【凡人が自伝を書いたら 21.大学1年生】
さあ!僕は自由だ。大いにハジけまくるのだ!!
僕のこんな魂胆は入学して「2秒で」消え失せた。
「みんながやっているとやりたくなくなる」
これが僕だった。あれ、どういう路線でいこうか。
果敢に改札を通ったのはいいものの、俺はどこ行くんだっけ?あれ、何線に乗ればいいんだっけ?
完全に出鼻をくじかれた。
「いまさらハジけてんの?笑」
僕はチャラけた奴らとは距離を取っていた。
こいつら明らかに、「大学デビュー組」だな?明らかに、高校までは黒髪坊主・眉毛ボーボーだったに違いない。
学生服のボタンもきちんと1番上まで締めて、なんなら「首元のフック」までしていたに違いない。俺にはわかる。その表面に薄〜くまとったチャラさの鎧が目に見えるようだ!
僕は明らかにひねくれていた。(愚か)
そんな奴らに限って、会ったときに「腕を変な角度から出して」握手的なことをする。すぐ「うぇ〜い」と言う。常に髪をもさもさ触っている。靴をカポカポと引きずって歩いている。
あらあら、今頃ハジけちゃって。遅くないですか?笑
見事に自らを棚に上げ、これだった。(末期)
「でも、やっぱりモテたい」
これが男のつらいところである。愚かとわかっていようとも逆らえない。これが「男」である。(もう、むしろ可哀想)
うん。テニスをやろう。
これだった。
部活⇨もはやモテない⇨却下。
うーん。
サークルに行こう。
「こんにちは。」
「あ〜うち、経験者お断りなんだよね。」
。。。これだった。(かわいそう)
「いえ、わたくしは、かじった程度です。」
友人の誘いで別のサークルに向かうと、大体30人くらいがポコポコとテニスをしていた。4面に分かれており、ぱっと見、実力順に分かれているようだった。
「初めまして。」
「おー、良く来たね!君はどれくらいやってたの?」
会長の「岡本さん」だ。
「いえ、僕はちょっとだけやったことがある程度です。」
「あ、そうなんだ。じゃああのコートにする?」
「はい。」
弱いと見せかけて、実は強いパターン。カッコいいやつやん。
これだった。(愚か)
もちろん1球打ったら、即バレ。(もはや、逆に恥ずかしい)
「ん?全国大会ですか?」
サークルの全国大会があるらしい。参加者は男女合わせて約2000人。ソフトテニスの専門誌にも載る有名な大会らしい。(僕は知らなかったが)
僕のサークルの1年は結構強かった。インハイ出場選手が2名いた。僕は実績的には見劣りしていたが、実力は意外と十分だった。
今年はいける。先輩たちはそんなふうに意気込んでいた。僕とインハイ出場の2名と上級生でチームを作り、8月に千葉県の白子町というところで全国大会に出場することが決定した。
「話題のダークフォース」
8月の終わり、海辺の白子町。潮風が吹き、海の匂いがする。少し歩けばすぐに海だった。
そこは街の至る所にテニス会場が点在している。合わせると100面近くあるのではなかろうか。まさに「テニスの町」だった。
海へ行って花火をしたり、(酒を飲んだり)、旅館で暴れたり、青春そのものの感じだった。
そして、試合の方は予想以上の強者揃い。もちろん下位の方は本当に初心者もいるのだが、少し勝ち抜くとインハイ選手やら国体選手やらがゴロゴロいた。出場大学は関東がメイン。次に関西、少しだけ地方の大学が来ていた。僕らは完全に「無名の田舎もん」だった。
大会の初めはペア別のトーナメント戦。男子は600組以上が出場していた。
僕は1年の「長尾君」とペアを組んだ。僕らはとんでもない快進撃を見せた。サークルメンバーが負けていく中、僕らはボコボコと勝ち進んだ。気が付けばベスト8を決める試合まで勝ち上がっていた。
その頃、僕らは「話題のダークフォース」になっていた。「あいつら何者?」と噂されていた。なぜか途中で倒した日大の応援陣もめちゃくちゃ応援してくれた。
この会場での最終試合だったため、ギャラリーの数は凄まじかった。相手は早稲田の選手。試合は熾烈を極め、完全に調子に乗っていた僕は、自分の中では極みに近いプレイをしていた。
僕らのサークルの応援団も大盛り上がり、なぜか応援してくれた日大の応援団も大盛り上がりだった。
ただ、激戦の末負けてしまった。
その後行われた団体戦もなかなか勝ち上がり、ベスト32。
ペア戦全国ベスト16、団体戦ベスト32。なかなかの成績で、大会を終えた。
その後発売された「ソフトテニスマガジン」に名前がちっちゃくだが載っていて、それはとても嬉しかった。
「働きますよ?僕は」
大会が終わり、夏休みはあと1ヶ月。
暇い。ひじょーに暇い。
僕はよく通っていたファミレスでアルバイトに応募した。
面接当日。店長が現れたのを見て、立ち上がってきっちり挨拶。
志望動機は、
「はい、お金を稼ぐためです。まあ親にあまり苦労をさせたくないのが半分。遊ぶ金・生活資金くらい自分で稼いで、あまり子供扱いされたくないってプライドが半分です。」「あ、あと僕はどんな人ともうまくやっていくっていうのが、いまいちできないみたいなので、飲食店ならお客さんいっぱい来るから勉強になりそうじゃないですか。」
こんなことを言って合格した。
意外と真面目なので、初めに全員に自己紹介をし、仕事をバリバリ覚えた。仕事を覚えたのには、「わからないことが怖かった」「できないと自分の価値がないような気がした」そんな理由があった。
次の春には、僕はアルバイトのリーダーになっていた。
店長も社員の人も、主婦さんも、学生もみんな「ちやほや」してくれた。それに調子に乗って、さらに仕事を覚えて、パフォーマンスを上げていった。
こんな感じで、大学生活が始まっていった。
つづく
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