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【凡人が自伝を書いたら 13.中学3年生(後編)】

ああ、青春の中学校生活も終わりが見えてきてしまった。

感慨深い。

もちろんその後も僕の青春は続くのだが、当時の僕はそう思っていた。それでもどこか清々しい気持ちで日々を送っていた。

僕は部活の最後の試合を終えて、負けはしたものの、どこか「自信」のようなものを取り戻していた。その時少しだけ自分の「在り方」のようなものが定まったこと、そしてそれを貫けたことから来る自信だった。

「あれ、そういえば、俺高校どうするんだっけ?」

これである。

3年の秋にして、これである。(愚か)

中学までは、何だか自動的にことが進んできたから、よく考えて来なかった。ああ、そうか高校は自分で選ぶのか。あ、しかも受からないと入れないのか。(重ねて愚か)

「志望校」

無い。てか、どんな高校があるか知らない。

僕も含め、部活のレギュラー全員には私立高校から「スカウト」が多くきていた。覚えているだけで5校はある。どれもソフトテニスの強豪だ。

メンバーの中にはそれを受けて「特待生」として、入学するものもいた。もちろん頭が良かったから、普通に進学校に進むものもいた。

僕はと言えば、そんな私立高校には行きたく無かった。

全ての高校が「頭が悪かったから」である。つまり偏差値が低かったからである。ここで問題が一つあった。

僕も頭が悪かった。

これである。(再三の愚か)

「俺は中央高校に行きます。」

僕が次の進路面談で答えると、先生は困っていた。

学力が足りない。圧倒的に足りない。

その高校は偏差値60越えの進学校だった。手が届かないというよりも、小指の指先さえも触れていなかった

なぜか僕は確信していた。行くに決まっている。

それからは入学してからのことばかり考えていた。(誤ジティブ)

「俺ここ行くけど、来ないか?」

中央高校を選んだ理由は4つ。

①家から近い

②頭の良い県立校(モテる)

③部活弱い(弱小を強くする⇨モテる)

④女子多め(元女子校⇨モテる)

この4つである。(愚か)

後々僕はテニスの実績を引っ下げた「推薦入試」で合格することになるのだが、面接で志望理由を聞かれた際、①から③は正直に答えた。

④の「女子多め」はさすがに言えなかった。(あたり前田のクラッカー)

僕は推薦入試なんて話が出る前から、公立志望のレギュラー陣や他校の強者に声をかけていた。

「俺は、中央高校行くよ。お前も来いよ。」(どの口が言っている)

先生が無理やり「内申点」を上げてくれたことに感謝を。(アーメン)

「最後は盛大にやるんだ」

プロレスである。

卒業式直前の最後の出校日。3月13日。

ここを最後の大会として、僕らは動いていた。(「動く」が腹立つ)

当日「小道具」として、マスク・小麦粉・ゴミ箱なんかを使って、盛大にタッグマッチを行った。もはや盛り上がりすぎて色々と崩壊していた。(反省)

痛恨の極みで「窓ガラス」を割ってしまった。(愚か)

ただ、この時は最後だから多めにみてくれたのか、単に卒業式準備で忙しく忘れていたのか、ガラス代3000円は請求されなかった。(すいませんでした。)

今となってはいい思い出だ。3年間大きな怪我が無かったことが、本当に不思議で、感謝している。(すいませんでした。)

立つ鳥跡を濁さず

3月15日。卒業式だ。

僕の任務は基本、先生への謝罪回りであった。(ズレた責任感)

「たくさん迷惑かけてすいませんでした。」

「ハゲを馬鹿にしてすいませんでした。」(サイテー)

「授業をスルーしててすいませんでした。」(サイテー)

「ガラスやいろんなものを破壊してすいませんでした。」(サイテー)

お世話になった先生への挨拶は、感謝より謝罪が多いものとなった。

「立つ鳥跡を濁さず」

これである。(少し違う気がする)

そんな感じで、僕の青春の中学校生活は幕を閉じた。

これから始まる、進学校の洗礼を知る由もなく、僕は部活の仲間や、友人とケラケラと馬鹿騒ぎをしていた。

つづく





お金はエネルギーである。(うさんくさい)