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【凡人が自伝を書いたら 43.尾張の半島(後編)】

オープンから2ヶ月が経ち、、(え、飛んだ)

あ、時を戻そう。


その店舗は会社の予想通り、ひっそりとオープンした。

「へぇ〜こんな新店もあるんですねえ。ははっ、おもろ笑。」(全然笑っている場合ではない)

オープン後は僕も調理の方に戻っていたが、出る幕があまりない。お呼びでない。(逆に寂しい)

弘信リーダーに至っては、

「よし。ここはもういい。次だ、次!」

なんて言い出す始末だった。

「待てぃ!!」

心でそう思っていたが、確かに、あんまりやることも無いように感じた。

僕らの部署の役割としては、オープンまでに店舗を完成させられたのだから、これは大成功だった。

「逆に、何しよ。」

これだった。


「当たり前の基準」

一方、公康さんの方は、何やら営業そっちのけで、パソコンをパチパチしていた。

「一体、何やってんだろ。」

僕は公康さんに尋ねた。

「あ〜これ?もう食材の発注なんかも教えようかと思ってさ。」

え!

これだった。

僕の中で、「食材発注」は、日々の食材の使用量を把握している「ベテラン勢」の仕事だった。

「さすがに早くないっすか? 食材の使用量も把握してないでしょうし、、」

「うん。だから、最初の1週間は俺がやるよ。そのあとは売上予測と食材使用の予測が出るだろ? そしたら、そのデータの見方を含めて教えればいい。」

「たしかにー」(論破)

うーん。たしかにそうだが、スタッフがやりたがるかなぁ?

これだった。

食材発注を覚えても、基本的に給料は変わらないため、普通は誰でも嫌がるものだ。自分でやった方が早いし、正確だからと、ずっと自分でやっている店長も多いくらいだ。

「スタッフのみんな、やってくれますかねえ?」

僕は今までの経験上、不安に思った。

「これも新店の良さよ? 生まれた時から貧乏な子供は、貧乏が当たり前になるだろ? 生まれた時からお金持ちでもそうだ。 最初から、やって当然だと教えれば、それが当然になるんだよ。 後から仕事を増やすから、嫌がられるだけだ。」

ふむふむ。

「たしかにー」(2度目の論破)

そこまでしてスタッフをこき使うか論では、若干の弱さを感じるが、そんなことを言っていたら、何の仕事もふれなくなる。店長だけが忙しい状態になってしまう。理想は「店長が仕事を持たない」ことだ

ふむふむ。

「たしかにー」(3度目の論破)

僕が思っていた「当たり前」って、あくまで「自分の基準」だったのかもしれない。たしかに僕も、アルバイト時代は普通に食材発注なんかもやっていた。

いつの間にか、これはスタッフはやらないのが当たり前、やりたがらないのが当たり前。そんなふうに決めつけていたのかも知れないな。

そんなことを思った。


「限界を超えて」

公康理論の通り、スタッフは自然にこれを受け入れ、オープン直後からスタッフがマネジャー業務も習得する「前代未聞の新店」が出来上がった。

食材発注以外にも、備品の発注、廃棄関係の処理、その他諸々、スタッフが平然とこなしていた。

公康さんが教えるこれらの業務は、とても新鮮なものだった。僕はこれらをアルバイトの時に覚えたため、かなり自己流。正しいかわからないが、何となくうまくいっているからOK。正直、教えることがなかなかできなかった。感覚でやっていたからだ。

公康さんは、それらを見事に言語化していた。

「ほう。だからそうなるのか。このデータを見ればより正確なのか。本当はそうやってやるのか。」

そんなふうに、僕自身も勉強になることがとても多かった。

一方、店長の仕事は、アルバイトの採用、シフトの作成、月一回の棚卸しくらいのもんだった。これはなかなかに理想的だった。


学びだけでなく、僕の「考え方」にも変化があった。

それは、「スタッフを成長させたい。」と思いつつも、同時に「ここまで」と勝手に自分で限界を決めてしまっていた。

自分が周りから、昔から「最強のアルバイト」的な目で見られ続けてきたところもあり、今考えればおこがましいが、「できる限り自分に近づいてくれればな。」的な気持ちで教育をしていた。

たしかに、自分と同じになるとは全く思ってはいないが、同じようなレベルのスタッフばかりになれば、それは「化け物揃いの最強店舗」になるのに、間違いはなかった。

ただ、別に自分を超えたって良いじゃないか。別に僕は「天才」ってわけでもないのだから、みんなにその可能性はある。

なぜ、今までそれが無かったか。

それは、僕自身がスタッフの限界を勝手に決め、信じていなかったからだ。スタッフを信頼していないわけではないが、「自分を越える。」とは信じていなかった。

なるほど。スタッフの限界は僕の中にあったのか。

これが「大きな気づき」となった。


僕は、それから調理・接客問わず、教育に励んだ。

目的は「スタッフが僕を超えること」だった。自分と部下を比較するのは、あまり良くないとは思っていたが、あくまで目安として、持っておくのは良いだろう、と思っていた。

今までは、「これは伝わらないだろうな」と思って教えていなかったこともあった。というより、うまく言語化できなくて、教えられなかった。

本当に忙しい時の切り抜け方、全体の営業を意識した動き、指示の出し方、連携の仕方。新人への教え方。言語化の仕方。伝わりやすい言葉の選び方。

普段、「これは伝わらないだろうな」「ここまではしないだろうな」と思って、伝えていなかったことも、何とか言葉にして伝えていった。こんな例を出したら、分かりやすいのではないか。こんなたとえ話はどうだろうか。

そんなふうに試行錯誤しながらも、伝え続けていった。

そんな中で、どんどんと成長し、いきいきと働くスタッフを目の当たりにし、僕はやりがいを感じていた。


「独り立ち」

こんなに仲良くて、いきいきとしている店もあるんだなあ。

これも店長の安井の人柄がなせる技なのだろう。僕らオープンチームとしても、前回より、また1段階上の仕事をすることができた。

教育って面白いなぁ。

そんなことを思っていた。


ただ、どうやらお別れの時が来たようだ。

オープンから2ヶ月が経ち、11月の上旬。

僕のお別れ会が開かれた。

名古屋市内の居酒屋。

味噌カツ。

うまい。

ひつまぶし。

うまい。

やきとり。

うまい。(これいるか?)

オープン時の思い出話、僕らが「怪しい店」でぼったくられた話なんかをしながら、名古屋メシを囲み、酒を飲み、楽しい時間を過ごした。

僕にとっては、少し寂しいお別れ会だった。

なぜなら、オープンチームとの2人とも、お別れだからである。

僕以外の2人は、そのままこの地にとどまり、次は岐阜県との境にオープンする新店に向かうことが決まっていた。

僕だけがこの地を離れ、九州組に移籍することが決まった。

公康さん曰く、チーム間のバランスを取るためだそうだ。この時期、新店舗の状況をみて、チーム編成の入れ替えが行われていた。オープンの完成度に差があっては良くない。まあ、これは妥当なことだった。

僕らは「最強チーム」と言われていた。

これが何を意味するか。

「多分、お前の行くチーム、弱いぞ。」

これだった。編成の動機からして、公康さんのおっしゃる通りだった。

このチームを離れる、寂しさと不安。

僕は若干「テンション低め」で、新天地「阿蘇のふもと」まで、地道に車を走らせていた。

長い。

ひじょーに長い。

名古屋から熊本まで、約1000キロ以上。

今まで経験したことのない移動距離である。

しかも県をまたぐごとに、サービスエリアに立ち寄り、ご当地メニューを食べまくる、なんてことをやっていたから、朝早く出たのに、熊本に入る頃にはもう真っ暗だった。

「くまモン」かぁ。

「くまモン」よりは「ヤクザ」の方がいいなぁ。

そんな訳のわからない比較をして、さらにテンション低めになっていた。

つづく


















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