「好きなことを仕事にして生きていくのがいいよ!」に対して「そういわれてもね…」となんだか真剣になれない理由がわかった。
しゅんしゅしゅんです。
最近は、猫も杓子も「好きなことをして生きていく」だ。
「好きなことの見つけ方」「人生で幸せになるコツは好きなことを徹底すること」「好きなことを仕事にしよう」「好きなことだけして生きていく」「やりたいことをやる」
ネット上であふれている。正しいと思いますけど、みんながみんな言い過ぎ。なんだか盛り上がりすぎてて冷めますね。
amazonで「好きを仕事に」で検索したらめっちゃビジネス書出てきますよ。すんごいです。
ほら。こんな感じのタイトルの本は、ここ1年で何冊出ているのだろう。ビジネス書のジャンルの中でも一番多い気がする。
基本的に僕は「好きを仕事にする」考え方には大賛成です。
ただどっかで真剣になれないというか。
ノリよく新しいことに挑戦していたら、いつか出会えたらいいな。そうやって出会ったことを没頭してやっていたら、いつか好きなことになってたりするのかもなくらいに、どっかで思ってます。
一方で、「転職の思考法」という本の中で北野唯我さんは「好きなこと=to Do型」を見つけられるのはごくごくわずかな人で、大部分の人は「どうありたいか=being型」を目指した方がいいと言っています。
「好きなことを仕事にしよう」と言われ、好きなこと探しをするものの見つからずに苦しい状態にある人には救いとなる考え方だと思います。僕も気持ちが軽くなった人です。
ありたい姿=beingを実現してやっている内に、そのやっていることがいつしか好きなことになるのかな。
僕は今そう思っている。
そんな中、ここらへん周りの思考を深める本を読んだ。自己認識=セルフ・アウェアネスの本だ。
そもそも「好きなことを見つける」の「好き」の定義はあまりはっきりとは語られません。どんだけ時間をかけても苦にならないこと?人生を賭して解決したいこと?子供の頃から好きだったこと?なんかあやふやしている。
この本の中に、こんな一節があった。
好きという気持ちを生み出すのは、正しいことをやっているという信念と、その仕事をしている時に感じる楽しさである。好きという気持ちがあれば、努力を重ねて技術を磨き、苦しい時期を乗り越え、自分の仕事や人生に意味を見出すことができるのだ
ほおほおなるほど。正しさ×楽しさ=好き、か。
こうやって分解すると、急に視界がクリアになる気がしませんか?正しいと自分が思っていること。やったほうが世の中のためになると思えること。これなら見つかる気がしませんか?
楽しさの方もわかる。自分が仕事をしていて楽しい瞬間なら特定しやすい。顧客から感謝された時。一緒に働く仲間と何かを成し遂げた時。裁量権もっている時。意思決定ができる環境にいる時。人によって違うと思う。まさに北野さんが言うbeingに近い。
つまり、好きなことが見つからないのは、好きの定義をクリアにしないまま考えているからではないかと思うのだ。
さらに、本書内ではこのように続く。
自分が好きで情熱を注げることがなかなかわからない人が、特にミッドキャリア期にある専門職従事者の間で目立つ。たいていの場合その原因は、転職またはキャリアチェンジを行うことによる「破損コスト」があまりに大きく感じられるため、そんなことは考える価値もないと彼らが考えていることにある。そのため、自分がやっていることが好きかどうか深く考えないようにしているのである
どき。これは深い。
原因論ではなく目的論の話です。もし変化したら、今まで積みあげてきたものは実は無駄だったとか。積み上げたものがなくなってしまった上に現状より悪くなるかもとか。リスクを感じる変化を起こさないことを目的に、好きなことを仕事になんて甘ったるいことは間違っているとか、そんなことには価値がないという感情を生むってことですね。
少なからず僕にもこんな思考が巡ることがある。
つまり、好きなことが見つからないのではなく、潜在意識的に見つけようとしないってこと。なぜならリスクが怖いから。人生におけるリスクとはなんなのか?それは本当に自分にとってリスクなのか?を整理することが大切かもしれない。
自分の人生にとってのリスクの整理と、好きの定義の言語化が、好きなことを仕事にするへの第一歩なのかもしれませんね。
では。
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