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ブラックとかホワイトではなく、透明。

しゅんしゅしゅんです。

ブラック企業はイヤ。ホワイトな企業でないと。そらそうなんだけど、白とか黒とか2項対立的な白黒はっきりとした感じではなく組織は透明がいい。

なるほどなるほど。これはしっくりくる。

サイボウズ社の「最軽量のマネジメント」の中にこんな一節がある。

大切なのは、ホワイトでもブラックでもなく、「クリア」な会社を目指した、ということです。とにかく「透明」であること、つまり「公明正大」であることを。

就活の場で、よく「いかにしてブラック企業を見分けるか」という話になります。できればワークライフバランスを重視して、働きやすく、福利厚生も充実したホワイト企業で働きたい。すくなくとも、長時間労働で社員を酷使するブラック企業は避けたい…。 

けれども、全部が全部、ブラック企業を否定することはない、と思います。「当社はかなりハードワークです。そのぶん給与はこれだけ払います。やりがいのある仕事があり、市場としても成長性があって、頑張りによっては会社自体を大きくできる可能性があります。それを理解して、共感してくれる人はぜひチャレンジしてみませんか?」

ちゃんと情報が開示されているのであれば、選ぶのはその人次第です。

(サービス残業を強いられたり、長時間労働で体調を崩したり、だれかが亡くなったりするような状況に追い込むことを肯定しているわけではありません)


そう。今の時代。組織も会社も透明がいい。多分、組織と会社だけではない。サービスとか企画も透明がいい。

隠したところで情報なんざ漏れ出てしまうこの世界、白黒で物事を判じる断罪的なこの世界において、世の中という顔が見えない誰かみんなの「白」を目指し続けるのはしんどいし、無理だ。

包み隠さず、等身大で、オープン。そんな会社を応援するし、そんな人が好かれるし、そんなサービスや企画が安心できる。

最近、大手就活サイトが個人情報の取り扱いで問題になった。企画者に悪意はなかったと思う。ユーザーフレンドリーであろうとするとサービス体験は簡易なほうがいい。僕がこの大手就活サイトの問題になった企画の担当者なら同じことをしたと思う。

世の中の人が「気持ち悪い」と思うかもしれないということへの感度が低かった、ということなんだろうが。ここから学ぶべきは、「世の中の気持ちに感度高くなろう」ではない。個人の発信力が強くなった今、世の中の全員の気持ちを捉えて、カバーすることはできない。

だからこそ、「公明正大で正々堂々いこうよ」ということだろう。隠されていると思うと気持ち悪いが、隠していなければ少なくとも気持ち悪くはない。知らないことには嫌悪感を覚えるが、知っていることには好意すら覚える。

「どう捉えられるかわからないし炎上するかもしれないから、とがった企画はやめよう」はいまいちなんだと思う。じゃあ「場合によっては炎上するかもしれないけど悪いことやっているわけではないからうまく隠して伝えよう」がいいのか。

いや、これもいまいちなんだと思う。

正々堂々、包み隠さず語ればいいのだと思う。完全無欠の強さではなく弱さに共感が集まる。綺麗であることではなく、公明正大でオープンであることに信頼があつまる世の中なんでしょう。

ブラックとかホワイトではなく、透明。めちゃ含蓄ある言葉だなあ。

では。

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