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生と死

あなたが生まれた時を
あなたは知らない
あなたが死んだ時も
あなたは知らない

あなたが生まれたことを知っているのは
あなたではない別の人で
あなたが死ぬときも、知っているのは
あなたではない別の人

あなたはあなたが生まれた時に
立ち会っていないし
死ぬ時も立ち会っていない

観察されているだけで
その時自分が自分を観察することはできない

あなたが生まれて死ぬところを
あなたは観察できない

いつもそうだ
あなたについての観察は
いつも向こう側
いつ生まれたのか
死ぬ時「死んだよ」と誰が教えてくれるのか

生まれて
死ぬって
いつも他人の場合にしか立ち会えない

にもかかわらず
それは自分にも起こると思う
不思議すぎる

あなたが生まれたのはホントだろうか
あなたが死ぬのはホントだろうか

毎朝、あなたは目を覚ます
気づいたら目が覚めて
あなたはついさっきまで寝ていたよと言われる
夜になって疲れて眠るとき
目を閉じてあたりが暗くなって
あなたの寝つきの良さを
次の日に朝教えてもらった

あなたに関することを
あなたは知らない

死に際
あーもう死ぬんだなと思うかもしれないが
はい、ちゃんと死ねたよとは誰からも教えられない
では、どうして自分が死んだとわかるのか

あなたは観察者だ
目の前に映るモノをあなたは観測する
または内側と呼ばれるスペースに浮かぶ何かを観測する

観測、観察にコントロールは効かない
気づいたらしているし
気づいて止めることもない
止まる時も勝手に止まる
止まったためしはない

生きるとか死ぬとかは
こちら側の話だろうか
どちらも確認できないのに
それはこちら側にあるだろうか


あなたが観察する世界は
いつも生まれて死んでいる
そこに生と死がある
ただ、そこでの生と死の定義も実は曖昧だ

あなたは死んだ人を思い出すことで
蘇らせることができる
好きに会話もできる
いやいやそれは違うでしょうというなら
見えないものは存在しない、で終わりだろうか
空気もあって電波もあるのに

生まれた子どもはいつから存在していたか
母のお腹に宿った時か
本当にそこがスタートだろうか
あなたは細胞分裂を見ただろうか
誰かの資料や映像では観たのかもしれない

あなたがいなかったら
彼らの生と死はあっただろうか
あなたが観察しない時
それはあるのだろうか
他の誰かは「ある」と言っても
あなたが観察してないものをあると言えるのか

あなたが「ある」時
すべてが「ある」のじゃないか
あなたが見れば「ある」のじゃないか
ないものだって、あなたが見れば「ある」のじゃないか

あなたがない時なんてない
あなたがない時
例えば死んだ時
誰が世界を認識している?
息子が友人が兄弟が世界が?
それを誰が認識する?


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