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悟後招待状

おはようございます。Jです。 ここに書くのは、することがなくなったJの アウトプットです。 そして、アウトプットして染み込み、定着させる それだけのことです。 本当に、それだけで ただ、本当にすることがないんです。 これが誰かに届くといいとか、 そんなことすらありません。 するべきことがないせかいから ただすることをしている 軽さしかないです。

    • せっかち

      実はせっかちだ 気づくとすべて「早送り」 行動からなにから 息を止めて早くやってしまう 早口だとも思う 以前よりはマシかもしれないが… 思いついたことは すぐにやりたい方だ 継続は考えない 試したいことは、すぐにやってしまう これも「せっかち」のうちだ で 最近はmonk modeにハマっていて それからというもの せっかちが収まりつつある 「なにを急いでいたのだろう」と 改めて思うw 「早送り」して何を得たかったのだろうと ひとつ思い当たる それは「休息」だ 休息し

      • 煩悩のありか

        煩悩は行為です そして 行為は無為自然です 煩悩は消えます 煩悩は否定です そして 否定は無為自然です 煩悩は消えます 煩悩はあの世で消えるのではなく この世で消せます だから、あの世はこの世にあります つーか あるよね? あの世の話をこの世でしてるじゃないw 煩悩はこの世で消せるから 涅槃があるんです 涅槃は煩悩が消えたこの世です どこにも行かないで さて、どこまで行ったかな あ、先日の開いてシェアする会で Mさんが「どうしても腑に落ちない」と足掻いていた 正直

        • 「他人」の中に「自分」も「他人」として入れる

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        悟後招待状

          最除外

          悟りが何かも知らないのに 今、目の前にあるものを 最も最初に これは違うと 悟りから除外する コレだけは違う これであるはずがない これ以外のモノが悟りだと… いや、あなた知らないはずですよねw なぜにそこだけは自信持てちゃってんですか?え? 確実にあるものを否定したら そりゃ探すしかないわな

          最除外

          フツーの人でも ACIMを始めれば 「なんでこんなに責められなきゃいけなんだ!」ってなると思うw フツーでもそうなのだから 極端な状況にいたら、尚更だと思う ACIMに対峙する前に 「フラット」な状況に慣れておくことは重要な気がする 「フラット」を知らないと ずっと揺れるので酔うと思う さて、とにもかくにも 被害者加害者ゲームなのだ!と言いたい もう、それだけなのだ そればかりなのだ ずっとそうで それをどこまでも利用する 当たり前になりすぎていて 気づかない とにか

          鍵を持つ者

          先日書いたものだけれど つまり、なにが言いたいかだけど 「解放→拡大→なにも変えようとしない→解放」 何も加えずして 拡大させる 何も教えずして 知らせる 何も変えずして あきらかに変える その時に(途中)感じるのが「拡大」なのだけれど 拡大した時 (同時に)360度周り終わった感覚を与えてくれる そこなんだよねぇ いや、誤解を承知で ハッキリ言おうw 「拡大する」感覚 「自分だと思っていたものが自分じゃなかった」と気づく感覚 「一歩も動かされていないのに、回転し

          鍵を持つ者

          ノンデュアリティとか非二元すら内側だ だから安心してほしい

          ノンデュアリティとか非二元すら内側だ だから安心してほしい

          枠外

          自分だけ助かりたいと 思っているわけではないと思うのだけれど 苦しいのは自分だけだと思っているから とにかく、この自分を助けて欲しいと 思ってしまうんだ 実は世界に人間なんていない あ、あ、 あーーーーー せっかく良さげなこと書けそうだったのにw オカルトw やり直し 自分だけ助かりたいと 思っているわけではないと思うのだけれど 苦しいのは自分だけだと思っているから とにかく、この自分を助けて欲しいと 思ってしまうんだ みんなは苦しんでなんかいない 笑っているし

          出られない

          「それこそが、本当のあなたですよ」 という、スピ界には 正直よくある言葉で それが間違いかと言われると やっぱり半分は「そうですね」だと思うけれど この 「本当のあなた」が立ち上がる時に 「本当」を持てる「あなた」がいないと言う点について もう少し言及したほうがいいのではないかな、と思うのだけれどw さて、 「日常のあなたと、非日常のあなたがいる世界」 または 「私がいてあなたがいる世界」 ここで注目すべきは 最後の「世界」だ ノンデュアリティでは「ない」が「ある」の

          出られない

          落下地

          見ないフリが上手になる それは、 今の自分の感情だったり 今の自分の考えだったり 疲れたのに、疲れていちゃいけないだったり サボっちゃいけないから、気を抜いちゃいけないだったり 見ないフリが上手になる そもそも「見ない」というか 「見ちゃいけない」ぐらいの勢いだ ちょっと前にも書いたけれど 正直、「自分」に着目し過ぎなのに 「自分を見失っている」状態だ 全然、一筋縄では行かないと思う からまり過ぎている 「どこかに正解者がいる世界」で生きている そして、その「正解者」

          落下地

          定数

          価値観が合わない人と話すのは 時間の無駄、タイパが悪い のか…だけれど 「合わない」から会話が弾むとなれば 「楽しい」のではないかと思う さて、スピ界でたびたに目にするのだけれど 「波動の低い人には近づくな」とか 「腹黒い人の特徴」とか みてほしいのは、その立ち位置だ 絶対に自分は 「高い人」または「低くはない人」側だし 「腹黒くない人」前提だということ 「腹黒い人の特徴」とかを語る人が 腹黒くない保証はどこにあるのだろう… つーか、そこまで腹黒さがわかるのは、つまり…

          解放者

          全くの受け売りなのだけれどw “よきマスター”がいるのであれば それは教えはしないだろう “よきマスター”がいるのであれば 知識は捨てさせるだろう “よきマスター”がいるのであれば 例えではなく、そのものを見せるだろう “よきマスター”がいるのであれば 誰をも歓迎するだろう “よきマスター”がいるのであれば 場所を特定しないだろう “よきマスター”がいるのであれば 時間を選ばないだろう “よきマスター”がいるのであれば 方法など無用だろう “よきマスター”がい

          解放者

          いまここから目をそらさせてくれるなら 金はいくらでも払う それだけのことだ 探しているにもかかわらず 金を出して追い払うんだから 笑える さて、先日のシェア会で こんな話をした みんな、いまここになんかいたくない 退屈すぎて、いたくない それだけのことだ、と ACIM的に言えば この自我の働きかけが手に取るようにわかる、と思う 「いまここ」なんて 退屈なんだよ それを知っているオマエは これじゃないものを探しに行くんだ それこそが「いまここ」以上のすばらしいものだ

          ただただ静かに サイレントで過ごすリトリート? セミナー?があるそうで それはまさに 只管打坐だ ずっと前からあるわけだ さて、瞑想でも只管打坐でも サイレントでもいいのだけれど それが日常の 日常の中の一部で日常にあるならいいと思う ここでいう「日常」とは それは歯磨きであり、食事であり、井戸端会議であり 仕事であり、休息であり、動画視聴うんぬんと 同じものであり 日常の中の日常に、それがあることが大事だと思う なんでよ?って それはつまり X月X日のX時〜の2時

          色眼鏡

          もっともありがちな誤解は 悟れば聖人になれるだ というか 「悟った人は聖人だ」 が、誤りだ 悟ったとか、全然関係ない つまり 悟ったとされる人物も そもそも?性格が悪ければ、そのまま悪い 病気があれば、そのまま病気だ 徳がなければ、人徳者でもない 能力も性格も、なにも変わらない にもかかわらず 悟ったとされる人物を 「素晴らしい人」にしてしまう その色眼鏡を、まず外そうか もし、悟ったとされる人物が 優しいなら それは「悟ったから」ではない 怒らないなら それは「悟

          色眼鏡