見出し画像

カースト制と消費による魂の疲弊

【海外写真放浪記】 INDIA 8  ダラムサラー 

インド滞在中少なからず考えることになる貧富の差。インドの貧困の差の根底には未だ完全には消えていないカーストの名残があるが、これは今の社会に生きる私たちにも共通する所は無いのだろうか?


先ずはインドのカースト制度ヴァルナについて簡単に説明すると、元々ヒンドゥー教の身分制度で、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、スードラの4つの階級に分かれ、バラモンから順に階級が下がっていく。



バラモン  支配者層、バラモン教、ヒンドゥー教の司祭

クシャトリア 王族・武人階級

ヴァイシャ 商人、農民

スードラ 奴隷



基本的にはこの構成なのだが、詳しくこの4つの中でも細分化されている。さらにスードラの下にダリッドと呼ばれる不可触民があるがここでは割愛する。

このピラミッドで下から搾取し続け、差別化し、その階級から生まれた者は絶対に上の階級へは行けないと言う恐ろしい制度だった。



僕は前にも書いたと思うが手塚治虫のブッタでこのカースト制度について幼い頃に学んだ。アニメで描かれていてわかり易くこの制度の内容が理解できると思うので機会があれば読んでみるのも面白いと思う。


ちなみに麻原彰晃氏も元はバラモン教の修行僧だった。もはや本体とは無縁の最後となったが。


今でもこの制度により自由に結婚や職につけない人達もいる。彼らは今や名ばかりの先進国から来た僕をどう見ていたのだろうか。



画像2



このピラミッドは結局富が上の層へと集中するのだが、今の経済と何か似通ったところはないだろうか?

もちろん自由経済でやる気次第でどこまでも行けるので全く一緒とは言わないが、枠組みとして、初めに大きな富がある人に富が集中すると言うことに関しては同じはずだ。


そして下から解らない様に吸い上げ続けている事も。


僕は昔から今もゴリゴリの浪費家だが、今は大量生産で作られている物をあまり好まなくなった。勿論ハイブランドなど無縁。


安く買う事で満たされる満足感は、もはや魂の疲弊しか産まない。


ハンドメイドのサイトが伸びて来ているのもココに理由があるのでは無いのだろうか?



お金と言うシステムがある以上このピラミッドはきっと何処までも続くのだ。



画像2


話は戻るが、インドで働いている女性は大体サリーを着ている。泥まみれになろうともサリーで仕事をしている姿は何故か凛々しい。

僕らはその文化を置いてきてしまったからと言うのもあるが。


インドでは本当にいろいろな事を考えさせられた。


時間があったからか?

それとも今まで考えるのも馬鹿らしい程それを当たり前だと思い込んでいたからか?


理由は解らないがこれが人を何度もインドに呼ぶマジックなんだろう。


画像3



雨が降りしきる中出発したバスで僕はデリーへ一旦戻り、メインバザールの雑踏で気持ちが濁らない内にジャイサルメールへと移動した。





次回 INDIA 9 ジャイサルメール


instagram ←フォローお願い致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?