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こんにちは。
株式会社ロジック・ブレイン コンサルティングパートナーの園池涼一です

弊社の性格診断システムであるロジック・ブレインを利用して、歴代の首相の能力から成果を検証していきます。

また、コンピテンシーの観点からも考えていくと、かなり膨大な文章になります。
どのような行動を取ったことで、どんな成果が出たのかを知ることがコンピテンシーの大きな特徴です。

今回は元総理大臣・昭和の妖怪の異名を持つ岸信介氏の人物像と業績です。

岸信介氏の経歴

note:ISDロジックで歴代総理を解説・岸信介

岸信介氏の総合分析レポート

岸信介氏レポート

岸信介氏は感性タイプです。「好きか嫌いか」という感覚を判断基準として優先します。
スピードタイプでチャレンジ精神旺盛な人。

岸元総理の戦略・感性、戦術・比較です。
計画を立てるけど計画通りやった試しがない
計画を立てた時点で気分が変わる
感性の中でも思ったことをはっきりいうタイプ
あくまで傾向ですので・・・

岸信介氏・チャレンジ精神旺盛な人

保守合同の仕掛け人
公職追放されていた岸信介氏が政界に復帰した1953年(昭和28)、保守政党は吉田茂氏率いる自由党と、改進党を中心とする勢力2分されていました。
反共産主義の信念を持つ岸信介氏は、内外の共産勢力の台頭に対抗するには保守による安定政権が必要と考え、保守勢力の結集を図り、こうして1955年(昭和30)、自由民主党が誕生することになりました。

安保改定を強行突破
「吉田内閣が締結した日米安保条約は不平等で早急に改定すべき」と、岸信介氏は考えていました。総理就任後にアメリカと交渉を重ね、「日米が共同して日本を防衛する」ことを織り込んだ改定にこぎつけましたが、アメリカの戦争に日本が巻き込まれる懸念が国内で広がり、空前の反対運動へ発展します。
岸信介氏は採決を強行し、新安保条約はデモ隊の怒号が国会を取り囲むなか成立しました。

昭和の妖怪
岸信介氏は退陣後も長く政界に影響力を保ち続け、歴代政権の命運を左右する黒幕とみなされました。自らの人脈を使って、沖縄返還や日韓国交回復の実現に協力したともいわれます。
いっぽうで、利権をめぐる日韓癒着や、FX(次期主力戦闘機)選定に関わる疑惑などもあり、謎の多い大物政治家のイメージから、「昭和の妖怪」と呼ばれるよになりました。

岸信介氏の業績 対等な日米関係を目指した安保改定

第1次岸内閣
「外交」と「治安」の強化に注力しました。岸信介氏の得意な分野は経済でしたが、「経済は官僚でもできる。だが外交や治安はそうはいかない。総理になったからには、このふたつに力を入れるべきだ」と。

まずは現在も生きる「国防の基本方針」を作成したのが岸信介氏です。これには3ヶ月という時間をかけまとめ上げたのでした
内容は…
①国連の活動支持と国際協調による世界平和の実現
②国家の安全保障に必要な基盤の確立
③国力国情に応じ、自衛のため必要な限度の防衛力整備
④アメリカとの安全保障大勢の維持

アジア歴訪
外交ではアジア諸国を訪れ、戦後賠償や経済協力などを各国首脳と話し合い関係強化に努めました。

岸信介氏は内閣が成立した1957年(昭和32)に2回にわたりアジアを歴訪しています。戦後、日本の現役総理がアジアを外遊したのは岸信介氏が初めてで、1回目はインド・タイ・台湾をはじめとする6カ国、2回目では南ベトナム・カンボジア・インドネシアなど7カ国を歴訪しています。
在任中には全部で27カ国を数えますが、その内訳は、欧米7、中南米5、オセアニア2、アジア13とアジア諸国を重視していました。

アジア外交の目的は戦後処理とアジアとの経済関係の強化です。各国の首脳に対して「アジア開発基金構想」を語っています。日本1国で経済援助すると、新しい植民地支配に繋がると警戒されるので、政治的に中立的な基金を創設しようという意図がありました。

またアジア外交を重点的に行った背景には、日本が独立国としてアメリカに追従の姿勢をやめ、より自立した国家として国際社会で振る舞うべきだという「対米自主」の考えがあったからだと言われています。

つまり、「アメリカと交渉する場合は、孤立した日本ということでなしに、アジアを代表する日本にならなければいけない」と語っていることから、日本外交の最重要課題である、「アジアとの共生」と「アメリカからの自立」がこの先の日本の引っ掛かりになることを予見していたのかもしれません。

アジア訪問が終わるとすぐにアメリカを訪れ、日本の真の独立に向けて「占領時代の残りかすを払いのけて、対等の立場に立った日米関係を作らなければならない」と考えていた岸信介氏は「日米新時代」というキャッチフレーズを打ち出し、アイゼンハワー大統領との首脳会談で、この考え方は大筋で受け入れられました。

そして日米安保条約の改定に向け、安全保障に関わる委員会を設置することが決まるのです。

内閣改造と解散総選挙
帰国すると内閣改造に着手するのですが、「安保改定で一番苦労したのは、党内調整だった」とのちに語るほど厄介な人事となるのでした。
この人事で主流派の増強を目指し、財界人の藤山愛一郎氏を日米交渉の重要ポストである外相にすえました。
これが反主流の処遇をめぐる混乱となり、党内亀裂の火種となってしまうのでした。

強化を図りたい岸氏は解散総選挙に打って出ます。そして1958年(昭和33)5月22日、衆議院選挙が行われ、狙い通り自派の勢力を拡大して政権基盤を固めました。

新安保成立を強行

1959年(昭和34)6月、参院選で自民党が勝利をおさめると、止まっていた安保改定が前進します。岸信介氏は内閣改造を断固するのでした。反主流派の池田勇人氏が再び入閣するなど、大幅な刷新となりました。

安保改定への交渉はようやく進展を見せ、10月には改定の政府原案が自民党で党議決され、それと呼応するように反対の声も一段と大きくなっていくのでした。
11月には安保改定阻止国民会議のデモ隊が国会を取り囲み、全学連を中心とする2万人が構内に突入、警察隊と衝突する事態を引き起こしました。

この時に樺美智子さんが死亡していたこともあり、1960年の5月20日未明の安保条約強行採決を境にして、国民を巻き込んだ盛り上がりを見せ、いろいろな団体から内閣退陣の要求がされるのでした。

その中には小説家の石原慎太郎氏や、大江健三郎氏などの知識人らが抗議集会を開き、国労・勤労の交通ストは戦後最大規模となりました。

6月には来日したハガティ米大統領秘書が羽田空港でデモ隊に遭遇し、米軍のヘリコプターで脱出するという事態も起きたこともあり、アイゼンハワー大統領訪日も延期せざるを得ない状態に。

6月18日、新安保条約の自然成立を総理官邸で待つ岸信介氏は安全確保のため他の場所での待機を要請されましたが、「私はどこへも動きません。一国を率いている内閣総理大臣なのだから」とその申し出を断るのでした。

翌19日に新安保条約は自然成立氏、4日後、藤山外相、マッカーサー駐日大使との間で新条約の批准書が交換され、同日岸信介氏は退陣を表明します。
退陣前日の7月14日に暴漢に襲われ登山ナイフで左腿を6箇所刺され、翌日の総理退陣の当日は病院のベッドで迎えることとなりました。

岸信介氏の能力とビジネススタイル

ISDロジックで歴代総理を解説・岸信介氏・能力 2

ISDロジックで歴代総理を解説・岸信介氏 2

岸信介氏の成果としては安保改定、またアジア諸国を歴訪することにより、アジアの代表である日本でなければならないという姿勢で臨んだ戦後処理を考えたアジア諸国歴訪です。

岸信介氏の能力は吸収力対話力です。また細かく見ていくと、本質の金の陽からくる対話力、現実的スタイルから発揮される包容力です。

吸収力
見たものや聞いたものを必要なポイントだけを絞り込んで理解するために必要な能力で、分析力発想のまま形にする)・説得力人の話を自分がいかにも経験したように話す)が合わさって吸収力となります。

元は商工省のエリート官僚だったことから、大変頭の良い人物でした。東京帝国大学法学部では首席になっています。

大学時代は大正デモクラシーが盛り上がっていました。

岸元総理が共鳴したのは資本主義社会の弊害を国家の干渉によって改良しようとする、北一輝氏の「国家社会主義革命論」を徹夜で書き写すほど傾倒しました。
本人との面会も果たしており「魁偉なるその風貌と烈々たる革命的気迫」に圧倒されたという印象を書き残しています。

この北氏の「国家改造論」はのちに「統制経済」の旗頭として頭角を現す、「革新官僚」岸元総理の思想形成に大きな影響を与えています。

対話力
対話力は相手に不快感を与えずに自分の意見を伝えるコミュニケーション能力で、組織展開力人を探しにいく)、人材運用力必要な人材を見極める)が合わさって対話力となります。

岸元総理がこの能力を活かされたのは「外交」と「治安」と「組閣」でした。

アジア外交でもこの力が発揮され、戦後処理として単独では行うのではなく、アジア諸国を巻き込んでの「共生社会」を築こうとしたことは特に組織展開力が強く出ているのかなと感じます。

特に外相を財閥の藤山愛一郎氏を抜擢し、その期待に応えます。安保改定に着手できたのも藤山氏の功績によるもので、ここでは組織展開力・人材運用力が活かされています。

また組閣においては第2次岸内閣における内閣改造ではその手腕が発揮され、池田勇人氏を清濁合わせのむ姿勢がこの対話力からも見てとれます。

岸元総理は人の好き嫌いがあまりなかったと言われています。
ごろつきのような面々とも平気で付き合うので「あんな手合いとなぜ付き合うのか」と周囲の心配をよそに、

「人との付き合いは潔癖だけではダメだ。相手の本質を見抜かなければ」と応えていたといいます。

この対話力が多彩な人脈を力に変え、「人の活かし方」という人材運用力にも繋がっていたのです。

包容力
包容力は人間関係をチーム単位で引き上げていくリーダーシップを取るときに必要な能力で、資金運用力(相手にお金を出させる)・統率力(周囲を巻き込み行動させることができる力)が合わさり包容力となります。

この能力が保守合同に活かされています、判断の難しい問題に関して、岸元総理は賛成・反対の意志を明言せず、
風見鶏的な対応を取ることが多かったので、よく「両岸」と揶揄されました。

しかし、「党内をまとめていくのに一方の『岸』だけ好いて、他方の『岸』を押さえてつけるわけには行かない」と語ります。

さまざまな立場の人々を調和させることが、難題を解決するには必要だと考えていたからです。
ここでは対話力も活かされているとみてとれます。

また、理想の実現には力と資金力が必要ということを認識しており、「政治は力であり、金だ。包容力は他社からの資金調達においても発揮されます。

力のある者のみが主導権を確立でき、保守統一を遂行できるのだ」と戦後、政界に復帰した岸元総理が瞬く間にその中枢に辿り着く過程で漏らした言葉として伝えられています。

この能力が保守同一で発揮され、岸信介氏の政治リーダーとしてのスタンスでした。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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参考文献 池上彰と学ぶの日本の総理 第5号 岸信介 小学館ウィークリー**

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