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CRP11まで上昇。炎症反応に「再悪化?」とビビる【大学病院血液内科41日目】

車椅子の乗り降りには看護師さんの介助が必要だったけど、のっぽ先生のはからいで看護師さんに頼むハードルが下がった父は、以前に比べると自分から進んで介助を呼ぶことができるようになった。

私との面会も、病室ではなく食堂に行ってみるなど、行動範囲が広がっている。

この週末、私は実家に戻り介護認定の申請や必要書類を持ってくるなどの雑用を済ませ、父と一緒にオンラインで医療費控除の確定申告をすることにした。こんなところで自営業の青色申告を続けていたのが役に立つなんてね。

父はベッドを起こし1時間ほど座って一緒にPCの入力をしてくれた。前は座り続けると動けなくなってしまうほど背筋や腰が弱くなっていたけれど、リハビリの効果で少しずつ回復している様子が窺える。

お風呂が大好きだった父。シャワーでの体力消耗も少しずつ緩和されてきて、この日はプチ入浴を堪能したらしい。

順調に進んでいる経過を踏まえ、翌週からはリハビリも1日2回に増えることが決まっていた。車椅子から平行棒に移り、腕で支えて歩く訓練を始めたらめちゃくちゃしんどい!と嬉しそうに嘆いている。。

父も自分の体の回復を感じられているようで、効果が見えるからなのかリハビリにも意欲的に取り組んでいるらしい。ちょっと前に「リハビリに消極的」と相談員さんに言われていたのがやっぱり信じられないんだよな…

1日2回のリハビリ初日

午前中に1回、お昼を挟んで午後に1回のリハビリ。そのほかに検査や点滴などもあるから、入院生活は思ったよりも忙しいようだ。『結構クタクタ』とぼやきながら、まんざらでもない感じ。

のっぽ先生は先のことまで考えてくださっている。大学病院では1日1回のリハビリが通例らしい。あとは自主的にやれということだ。ただ、人間「誰かにおしりを叩かれないと動けない」という時が必ずある。動かすのがしんどいのならなおさら、自分から進んでリハビリをするというのはハードルも高い。

毎日リハビリをしていても、週末2日間ベッドに寝たきりで過ごせば効果は半減してしまう、とのっぽ先生はおっしゃる。なるべく体を起こし、動かし、というのを意識してくださいよ〜と常々父に助言してくださっていた。

『リハビリ転院をしたらこんなもんじゃない』というのもその助言のひとつだろう。1日2回に増やしたのは、先々の転院・退院を考えた上でのメニューなのだ。そして父も、多少ぼやきながらもしっかりとメニューに付いていっている。

周りにはわからない信頼関係がそこにあるのだろう、と思った。

血液検査の結果に周りは戦々恐々

血液内科41日目。面会に行くと、この日の朝の血液検査の結果が書かれた紙を父がさらっと見せてくれた。『なんかの数値が上がってしまったらしいよ』と、呟きながら。

どれどれ…と見てみる。たくさんある検査項目の中で「L」や「H」が脇に添えられている数値を中心に読み取っていく。11.5「H」という数値が目に入った。目線を横にズラし項目を確認する。CRP。

ん?!CRP11.5??
嘘やん、この数値、救急搬送された時と同じやん!

一気にサーっと血の気が引いた。
そしてすぐに父の顔を、体を見回した。
顔色は?熱っぽくない?浮腫は出てる?腹水、息は上がってない?

勇気を出して訊いてみる『どこか辛いところはないの?』

『いや、それが何にも変わりないんだよね』

父の話を聞くと、どうやらアクテムラの間隔を2週間に1度にした影響のようだ。たった1回、たった7日間、アクテムラが入らないだけで、父の体は(悪い方に)反応してしまうということを示していた。

この週はアクテムラの投与を空ける予定だったけど急遽、翌日に点滴をすることが決まった。

(また逆戻りか…)一瞬、そう思った。

でも次の瞬間、なんで無理やり投与間隔をあげなければいけないんだろう?という考えが浮かんで来る。週1回のアクテムラ投与でようやくここまで安定してきたのに。

でも父は「何も変わりない」と言う。やせ我慢をしているようには見えない。見た目にも辛そうなところはない。炎症反応が感覚として様々な「辛さ」をもたらすことがないのなら、それも受け入れなければいけないものなのかな…と思えてきた。

それによく考えれば、今までだっていろんな一進一退を繰り返してきた。よくなったかと思えばすぐに悪くなり、しんどそうにしていたと思ったら翌日にはケロっとしてたり。慣れているはずなのだ。

脳内会議の結果、私の口から出てきた言葉は『じっくりやっていこうね』だった。

父本人は『いや、それよりもさ…』

父はどう受け止めているのだろう?「数値が上がってしまったらしい」という言い方から、他人事のように思っているのかなとも思ったけれど、実際には多少なりともがっかりしていたようだ。

その様子が窺えたから私は「(焦らずに)じっくり」と声をかけたつもりだった。ところが父は意外にもこう続けた。

先日の入浴時に鼠径部のラインを外したばかり。翌日の点滴はまた新たに針を刺し直すことになる。予定では来週でよかったはずなのに。父にとっては熱よりも「何よりも」針を刺す痛みが嫌らしかった。

なんだか拍子抜け。
そっか、そうだよね。いくつになっても痛いのはイヤだもんね。

また私の考えすぎだ(笑)父は現実を受け止めている。この疾患と一緒に生きていこうとしているのかもしれない。ユーモアも忘れてない。ハァ…いつまで経っても小さい自分。父は着々と回復に向けて、持病として受け入れていくことに向けて進んでいるのに、私はいちいち小さいことでビビって悩んで不安になって。なーんも変わってないんだもんなぁ。

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大学病院に来たばかりの頃の父。顔色は黒く、意識がもうろうとしていた。たくさんの管に繋がれて文字通り命を繋いでいる。そんな状態のところから車椅子に乗り、支えてもらいながらも歩く訓練をし、さらに「注射が痛くて嫌だ」と言えるまでに回復した。ほんとに奇跡だ。

一歩ずつ、半歩ずつでも、二歩下がったとしても、あの頃に比べたら進んでいることに違いない。

ほんとうは自分に言い聞かせなきゃいけなかったのかもね。『じっくりやろう』ってさ。


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