準無菌室から一般病棟への移動と辛いリハビリ【大学病院血液内科36日目】
介護保険の話を聞かされた父は『なんか病院から早く出ろと追い立てられてる感じがしちゃって』とショボーンとしている。先生や看護師の相談員さんからも『今の時代、一つの病院にあまり長くは入院できないんです』と言われていた。
またこの頃、頑張ってきたリハビリがだいぶしんどくなってきたようだった。
この日、鼠径部のラインを外す処置をしたそうだ。あまりに痛くて「今日はリハビリどうしようかな」と迷っている風の父がいた。今まで3ヶ月近く寝たきりだったのだ、動かすのは恐怖もあるだろう。それに体のどこかが痛い、しんどい、思うように進まない…となったら諦めたり迷ったりするのも当然だろう、と家族は思う。
ところが、医療スタッフからの見立てはそうじゃなかったらしい。
準無菌室、卒業
週末。
「今いる血液内科の準無菌室を出て別フロアの一般病棟に移ることになりました」と看護師さんから伝えられた。今までも同じ病室の患者さんは何人も一般病棟に移っていかれてたので父もいつかは…と思っていたけど、ついにその日が来た。
回診や薬・点滴の処方などは今まで通り血液内科から行われる予定。その他毎日の体調管理(検温・血圧測定・採血・日常生活など)は別の科の病棟看護師さんがみてくれるようになるということだ。
E-ICU、救命病棟、無菌室、準無菌室。今までいろんな病室を渡り歩いてきた父。その都度担当してくれるスタッフが変わり、環境が変わり、その変化に父はちょっとうんざりしていた。せっかく慣れてきたと思ったのに…と消極的な心情がグチとなってポロっと口から出てくる。
そうだよなぁ…不安もストレスも相当だろう。
でも、それでも前に進まなきゃならない。
『荷物をまとめなきゃな』と言う父に『じゃあ、看護師さんに褒められるようにキレイにまとめちゃお?』と提案し、週末の間一緒に荷物整理をすることにした。現に今も『ケア用品や日用品は足りなくなる前に持ってきてもらえるし私たちすごく助かっているんです』と看護師さんから絶賛されている。ベッドを移る際も、父が少しでも誇らしい気持ちになれるといいな、と思った。
棚の中には救命病棟時代に使っていた口腔スポンジやジェルなど、今は使わなくなった物がわりとたくさん入っていた。父に「これはもう使わないね」と確認すると『え、それなんだっけ?』と覚えていない様子。グッズにまつわるいろいろな思い出話をしてあげると『へぇ〜そうだったんだ』とまるで他人のことを聞いているかのような風だった。いまだに救命病棟での認知はハッキリしていない部分が多い。
紙袋等にキレイにまとめ、棚の中には何一つ残っていない状態まで仕上げた。これで当日、看護師さんはラクできるはず。ドヤ顔で「もう片付いてまっせ」と言ってやりなね!と、父と笑い合った。
窓際のベッドにしたいという父の希望が叶えられ、新しい病棟でも景色を見ながら食事ができることになった。この日、軟飯食から常食に変わりおかずもグレードアップ。父の機嫌はまずまず良かったように思う。
前回の投与から2週間経ったこの日、特に発熱などの炎症反応も出ないまま9回目のアクテムラ点滴を迎えられた。体調も悪くなさそうで、このまま順調に間隔をあけていければ皮下注射で治療できるという方針だった。
治療は順調に進んでいるように思えた。
あとはリハビリだ…
病室の外で父と会う初めての日
血液内科36日目。一般病棟に移って2日目の午前中、介護保険に関することで相談員の看護師さんと面談をした。父の住所は地元にあるため、地元の役所で申請をしなければならないことなどを丁寧に教えてくださったけれど、使えるサービス等についてはもう多すぎて何がなんだかわからないまま終わった。
さらに看護師さんから『お父さん、リハビリに消極的みたいで…すぐに疲れたと言って諦めてしまうようです。ご家族からもリハビリをもう少し頑張るように伝えてください』とハッパをかけられ、最初はハテナマークしか浮かばなかった。毎日くる父のLINEからはそういう状態が読み取れなかったからだ。
今だって今までだって精一杯頑張っているのに「さらに頑張れ」と言う医療関係者。このあたり患者本人や家族との感覚のギャップがあるのかもしれない。それはあくまでも「退院後の生活」を考えてくれているからこそなのだと信じてはいるけれど。
◇
病室に戻るとちょうどリハビリの時間だった。父を迎えにきてくださったのっぽ先生(PTさん/リハビリ部長)が『よかったら長女さんも一緒に行きませんか』と誘ってくださった。初めてのリハビリ見学。すごいワクワクしていた。
介助してもらいながら車椅子に乗り、エレベーターに乗る。よく考えたら病室の外で座る父を見るのは初めてだ。なんだか新鮮…とつい呟くと、のっぽ先生がすかさず『だいぶ頑張ってきたもんね』と笑顔で話してくださった。
リハビリはまず、車椅子から歩行器に乗り換えるところから始まった。のっぽ先生が膝を支えてくれ、腕の力を懸命に使い歩行器にもたれかかるようにして立ち上がる。
(こんなことまでできるようになったんだ…)
病室の外で私の知らない父はこんなに頑張っている。寝たきりだった頃に比べたら劇的な回復だ。素直に感動し、すごいと思った、そう伝えると父も笑って応えてくれていた。
ところが、その思いはすぐに打ち砕かれる。
歩行器を使ってリハビリルーム内や廊下を歩きはじめる。50mくらい歩いたところで指につけているアラームがけたたましく鳴り始めた。SpO2が92、心拍数160。ものの3分でみるみる青白い顔になった父の額には脂汗が滲み、のっぽ先生は歩行器についているサドルに腰掛けるよう父を促した。苦痛に歪み、体を動かすのが好きだった父の面影はまったくなかった。
のっぽ先生から「どうする?」と聞かれた父は「今日はここまでだな」と言い、10分ほどでリハビリを終えることになった。
PTのっぽ先生のすごさ
多分この辺りのことを相談員の看護師さんは言っていたのだとすぐにわかった。現実を目の当たりにして正直ショックだった。
でも、のっぽ先生の対応は全然違った。『娘さんにいいとこ見せないとね〜』とか『介護保険ね…今申請したら要介護5だぞ〜(笑)』とユーモアに変え、父を後押ししてくれている。父も先生を信頼しているので『頑張ります』と応えられる。
ただ、他のスタッフさんの対応とのっぽ先生のそれがあまりに違いすぎて、特に病棟看護師さんへの信頼が父の中ではガタ落ちしちゃっているのが目に見えてわかる。
のっぽ先生が『リハビリ以外の時間も、車椅子に乗り降りしたり、体を起こしたりしないとな』と言うと、介助なしで車椅子に乗れない父は『看護師さん、あからさまにイヤそうな顔するから呼びたくないんだ』と答える。
すると、のっぽ先生の返答はこうだった。
『ここの看護師さんね、他の病院に比べると本当によくやってくれている方なんだよ。これからリハビリ転院をしていくと思うけどその病院も多分もっと厳しい環境だからね。看護師には僕からちゃんと話しておく。介助してくれるように頼んでおくから頑張ってよ〜!』
父はしぶしぶ了承。
そしてその後、看護師さんはあまり嫌がらずに乗せてくれるようになったと後になって父から聞かされた。
弱気になってしまうのがデフォルト。それをわかった上で患者を励まし、褒め、時にビシッと言ってくれるのっぽ先生。
それは患者である父だけでなく、家族の私にも伝わるプロの支援だった。
リハビリ見学中の私の心境はまるでジェットコースターみたいだった。病室の外で会う父、初めて目にするリハビリ、感動したと思ったら以前と全く違う父の姿にしばし呆然、打ちひしがれる。どんな声をかけたらいいのか、気持ちも行動もまったくついていけてなかった。
それが、のっぽ先生の話を聞いて「どこに向けて進んでいけば良いのか」がクリアになった。父の現状を受け入れ、一緒に励まし支えていこうと思えたのだ。リハビリのない週末は私と一緒にリハビリしよう、と父に提案することもできた。
◇
「看護師さんが言うこと、あまり深く気にしない方がいいと思うよ」とTwitterの仲間が励ましてくださった。妹に至っては「何?その言い方。腹立つわー」と一緒になって怒ってくれた。
いろんなことがあり、いろんな人がいる。相手の意見や言い方を変えることはできないけれど、そのどれを切り取って見ていくのか?は自分自身で決められるということだ。
父にとって何がベストなのか、そして私自身や私たち家族にとってはどうなのか。答えはきっとこうだ。
のっぽ先生のおかげで、前を向いて進んでいける。
父は(家族も)本当に良い先生たちと出会い、恵まれている。
そして今、父はできる限り精一杯頑張ってくれている。
私も周りの方々のおかげで、やさぐれそうな気持ちが一気に和らぐのを感じている。
そう、やっぱり感謝できることに目を向けるのがベストなのだ。
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