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不正解しかない時代に生きる N94

 正解のない時代、あるいは回答のない時代と称して納得解だったり絶対解はないことを諭すことが最近までのブームだったが、もうそんな綺麗事を言って世の中の不満を抑制するような洗脳的なメッセージでは我慢できないほど世の中の状況は悪化している。

  経済が右肩上がりの時はがむしゃらに頑張れば成功することができた。伸び悩んだ時は自分なりの楽しみ方や幸せを見つけることで満足を得ることができた。しかしいよいよ高齢化が進む中で人口も減少し、格差も広がる中で一体何に希望持たせればいいのだろうか? 

  これは親の視点である。  

 私の世代の親は勉強すれば幸せになると子供に発破をかけることが親世代の見てきた成功法則を伝授することだった。しかし私の世代は正解のない時代だったので納得解を見つけることこそがある観点では答えだったのかもしれない。  

 そこから私の世代は皆世代間で成功法則は違うということを学習したのだが、では自分の子供たちに自分たちの成功法則を伝えることは意味がないと知りつつも、彼らの時代は不正解しか想像できないのだ。むしろ自分の生きてきた時代は(まだ当分生きるとは思うけど)大きな戦争に巻き込まれることもなく平和なとても良い時代だったと。  

 何もこれから世界大戦が勃発するとか、大地震が起きるとか、コロナが全く収束しないとか予言したいわけではないが、苦難の時代に入っていると感じているのは私だけだろうか? 

 また普通に頑張ったところでギリギリの生活をするのがやっとの稼ぎしか得られない以上、いい道であれ悪い道であれ突き抜けるしか手段はない。幸せを決めるのはあくまで主観的な問題ではあるが、こんな時代にモラルは機能するのかはなはだ疑問だ。  

 あくまで書物で読む限り、祖父母などの先人に伺う限りの話だが、とても戦前の日本に似ていると私は感じる。当時、日本は不条理なほどの格差社会だった(GHQによる戦後の農地改革で格差が随分なくなった)。また裕福な資産家もちょっとしたことで無一文になるような不安定な激動の時代だった。  

 不確実な時代は何も考えない方がいいと尊敬する先輩に教わった。不安から先を見通したい気持ちはわかるが右に行くか左に行くか誰もわからないのだから考えるだけ無駄だと。  

 確かに不正解しかないのだから、考えることも解答欄に記入することも無駄でしかない。 

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