見出し画像

11)有坂銃を「不殺銃だ」と言ったのは誰だったのか【金カムロシア語】

尾形『この三十年式歩兵銃 ロシア兵の小銃より弾が小さく 2・3発当てても死なんので不殺銃などといわれたが 射程距離と命中率においてはこちらが上だった』44話

尾形『おまけに弾薬は三十年式の「不殺銃弾」だ』139話

この「不殺銃」という評価について当時のロシア側専門家が言及している。
既に過去回でお馴染みのフョードロフ中将(当時の階級は大佐。以下大佐) 。第一次世界大戦時、有坂銃(三十年式/三八式) を輸入するにあたって交渉使節の一人だった軍人である。

今回は氏の1964年出版の回顧録「В поисках оружия [フ・ポーイスカフ・アルージヤ](火器を探し求めて)」から拙訳で紹介するよ。

【読了まで 12分】

当シリーズはゴールデンカムイをロシア語から掘り下げて楽しんでいるよ。
単行本読了済みであることを前提に執筆しているよ。


「不殺銃(人道弾)」の元となったのは軍医からの症例報告

"Многие врачи, работавшие на фронте во время русско-турецкой и русско-японской войн, оставили ценнейшие наблюдения о характере ранений различным оружием и в разных случаях. На тысячах примеров они показывали, что раны, производимые пулями Арисака калибром в 6,5 миллиметра, заживают быстрее, чем от пуль более крупного калибра. Из этих примеров многие поспешили сделать вывод, будто пуля Арисака обладает меньшей убойной способностью. Появился даже весьма нелепый термин — ≪гуманная пуля≫."
──Федоров В. Г. ≪В поисках оружия≫ 1964.

【拙訳】
『露土戦争と日露戦争で前線に赴いた大勢の医師が、様々な武器、様々な状況による傷について有益な経過記録を残している。何千例もの症例が「6.5mmの有坂弾は、より大口径の銃創に比べ早く治る」と示していた。
このことから多くの人が「有坂弾は殺傷力が低い」と結論を急いでしまった。「人道弾」などという非常にバカバカしい言葉まで登場する始末だ』

正確に言うとこの回顧録には「不殺銃」ではなく 『гуманная пуля [グマーンナヤ・プーリャ](人道弾/人道的な弾丸)』という名詞で出てくる。もちろん褒め言葉じゃなくて揶揄やゆね。死なない。

✅убойная способность [ウボーイナヤ・スパソーブナスチ]
⇒ 銃や弾薬の威力に関する指標で、相手を殺傷する能力。殺傷力のこと。古くから使われている概念。回顧録で言及されているのはこちら。

✅останавливающая способность [アスタナーヴリヴァユーシシャヤ・スパソーブナスチ]
⇒ 被弾した相手を無力化する能力を表す指標。ストッピングパワーのこと。無力化とは反撃や逃走が不可能な状態を指し、必ずしも死を意味しない。意味しないが、それが必ずしも人道的であることも意味しない。前者に比べると新しい概念。回顧録には出てこない。

比較対象は「前回の戦争」

"Врачи, работавшие на фронте, сравнивали японскую пулю в 6,5 миллиметра со старыми пулями большего калибра и без оболочки, которые применялись в русско-турецкую войну 1877-1878 годов."
──Федоров В. Г. ≪В поисках оружия≫ 1964.

【拙訳】
『前線の医師たちは日本の6.5mmの銃弾(※筆者注:有坂弾のこと) を、1877年~1878年の露土戦争で使用された大口径かつジャケットで覆われてない古い銃弾と比較したのだ』

重言ごめんだけど『ジャケットで覆われてない』とは、フルメタルジャケット弾(FMJ弾) 以前の鉛むき出しの弾頭のこと。FMJ弾は弾頭全体フルを硬い金属メタル覆ったジャケット弾頭。
新しい銃器と前時代の銃器を単純比較してしまっているという指摘である。
露土戦争(1877年~78年) と日露戦争(1904年~05年) の主力小銃は次の通り。
ロシアもトリョフリニーカの口径、ベルダンカより小さくしてんだよね…

  • 露土戦争の主力小銃

    • 🟨トルコ【ピーボディ・マルティニ】
      10.4mm口径 / 鉛弾

    • 🟦ロシア【ベルダンM1870】
      10.75mm口径 / 鉛弾

  • 日露戦争の主力小銃

    • 🟥日 本【三十年式歩兵銃】
      6.5mm口径 / FMJ弾

    • 🟦ロシア【トリョフリニーカ(モシン・ナガンM1891)】
      7.62mm口径 / FMJ弾

鉛弾かフルメタルジャケット弾(FMJ弾)か

"Такое мнение составилось потому, что к решению этого вопроса подходили слишком односторонне. Рассматривая действие пули, принимали во внимание почему-то лишь ее калибр, а не общее устройство. Прежние пули не имели оболочки. Поэтому они легко деформировались при ударе и наносили очень тяжелые рваные раны. Новые же пули, в том числе и Арисака, имели твердую оболочку и деформировались гораздо меньше."
──Федоров В. Г. ≪В поисках оружия≫ 1964.

【拙訳】
『このような見解は、論争解決に対し、あまりに偏った取り組みをしたことで形成された。弾丸の効果を考えるのに、全体構造ではなく口径のみに焦点を当てたのだ。以前の弾頭はジャケットに覆われていなかった。そのため、衝撃で容易に変形し、非常に深刻な傷を負わせた。有坂弾を含む ”新しい” 弾頭は硬いジャケットで覆われ、変形がはるかに少なかった』

この「新しい」は第4回でも言及した「новый [ノーヴイ]」。後ろについている「же [ジェ]」は強調を表していて「新しい」に掛かっている。この強調の「же [ジェ]」については次回単独で。

結局のところ、日進月歩するテクノロジーによって鉛弾は古いものになったということ。
「撃たれた側/医者」の視点と「撃つ側/武器屋」の視点の違いである。

鉛は柔らかいため、むき出しの鉛弾は変形しやすい。人体組織とぶつかって変形し、広範囲かつ複雑な傷を負わせた。また鉛自体、人体に有毒である。
これが「撃たれた側/医者」の視点である。

「撃つ側/武器屋」にはまた別の視点がある。

柔らかい鉛は銃身内部にこびり付きやすく、取り除かなければ銃を痛めたり動作不良を起こしたりに繋がるのだけど…これが非常に手間だった。
何せ銃身は、大口径と言ってもせいぜい直径は1センチ程度であり、でも全長は数十センチもあり、中には螺旋状の溝(ライフリング) が刻まれていて、そこに金属がこびり付いているのだから。

そこで鉛を硬い素材で覆ってやることでライフリングにこびり付きにくくした。覆ってやることで実包の保存性が増した。硬さが増したことで、火薬のエネルギーを逃がしにくくなり威力が増した。

FMJ弾の作り方は、弾頭の芯となる鉛(※現代では鉛以外の芯も有)とジャケット用の金属(※一般的には合金)を一緒にプレス機に掛け、圧着と成形を行う。鋳造の鉛弾に比べて、大量生産でき、また、より形も質も均一に作れるので弾道性能も向上した。

更にこの頃、火薬も黒色火薬から無煙火薬になった。
黒色火薬は大量の煙が出ることによる視界不良が難点で、それを改善したのが無煙火薬なわけだけど、他にも…

  • 弾頭をより上手く加速させられる。

  • 燃えカスが少ないため銃身内のすす汚れが少ない。

…などの利点がある。
まとめると「鉛弾+黒色火薬」から「FMJ弾+無煙火薬」に変わったことで

  • メンテナンスの手間が大幅に軽減された

  • 銃の信頼性が増した

  • 銃の威力が増し、小型化軽量化できるようになった

露土戦争と日露戦争の主力小銃のもう少し詳細な概要は下図の通り。

※歩(шаг [シャーク]):ロシアの旧単位。100m=140歩。 ピーボディと.45turkishの資料は少なく、断片を引っ掻き集めてるだけなので「?」を付けておく。モシン・ナガンは日露戦争当時のM1891の数値

前々回から一貫して小口径化路線

ちなみに、日露戦争の前(露土戦争) の前(クリミア戦争 1953~56年) は、ライフルがそれまでの滑腔銃かっこうじゅう(銃身にライフリングが施されていない銃)に取って代わりだした時代で、ロシア帝国軍が主力として使っていた滑腔銃の口径は18.03mm。虎の子だったライフルの口径は17.78mm。クリミア戦争終結年に15.24mm口径のライフルを採用する。ベルダンカだってその前時代より小型化されてるわけだね。

フョードロフ大佐の別の著書「История Винтовки [イストーリヤ・ヴィントーフキ](小銃の歴史)」(1940年)の方からも引用しておく。

"Ударное действие пуль должно быть достаточно для вывода из строя живых целей на всех дистанциях стрельбы из оружия (убойная способность), а также для пробивания различных прикрытий: брустверов, деревянных укрытий, броневых щитов, брони бронемашин и танков (пробивная способность)."
──Федоров В. Г. ≪История Винтовки≫ 1940.

【拙訳】
『弾丸の衝撃作用は、その武器の持つ射程内ならどの距離でも生ける目標を行動不能にできる(殺傷力)だけでなく、様々な障壁、木造の防御拠点、装甲シールド、装甲車や戦車を貫く (貫通力)のに十分でなければならない』

今どき、プロの兵士が前線で無防備なドテッ腹を晒していることはまずないのだから、当たったらエグい傷になるぞ以前に、ボディアーマーを始めとした様々な遮蔽物への貫通力が必要になる。

(※変形する弾頭は変形にエネルギーを奪われるため貫通力に劣る。但しこの特質が「対象の確実なストッピング」「貫通による第三者の巻き添え防止」の観点から有用な場面も。適材適所)

"Выявилась необходимость уменьшения калибра. Такое уменьшение давало следующие выгоды: при уменьшении калибра цилиндро-стрельчатая пуля выходила меньшего размера, а следовательно, и меньшего веса; отдача получалась не столь сильной, стрелок мог носить при себе большее количество патронов.
Таким образом, одновременно с распространением нарезного оружия и принятием пуль Минье и Петерса всюду возник вопрос об уменьшении калибра. Самый малый калибр был принят в Швейцарии —10,4 мм (4,1 лин.) в 1851 г., в Англии — 14,77 мм (5,77 лин.) в 1852 г., в Испании — 15,24 мм (6 лин.) в 1852 г., во Франции — 11мм (4,3 лин.) в 1866 г., в Пруссии — 15,44 мм (6,08 лин.). в 1841 г."

【拙訳】
『口径を小さくする必要性が明らかになった。小さくすることには次のような利点がある。弾頭も小さくなるためその分軽くなること、反動もさほど強くなくなること、より多くの実包を携行できることだ。
したがって、ライフルの普及とミニエー弾[*1]やピータース弾[*1]の採用に伴って、小口径化問題が各地で生じた。(各国で)採用された最小の口径は、スイスが1851年に10.4mm(4.1線[*2])、イギリスが1852年に14.77mm(5.77線)、スペインが1852年に15.24mm(6線)、フランスが1866年に11mm(4.3線)、プロイセンが1841年に15.44mm(6.08線) であった』

*1] その独特な形によって威力と装弾の容易さが飛躍的に向上し、ライフルを戦争で使える物にした銃弾
*2] ロシアの旧単位。1線=1/10インチ=2.54mm。トリョフリニーカ(3線銃)の名の由来

"Последовательное уменьшение калибра с 7 до 3 лин. и даже до 2 1/2 лин. (от 17,78 до 6,5 мм) дает возможность увеличить начальную скорость, с которой вылетает пуля из дула оружия; увеличение этой скорости также отражается благоприятным образом на улучшении всех баллистических качеств оружия, в том числе и его дальности, меткости и настильности."
──Федоров В. Г. ≪История Винтовки≫ 1940.

【拙訳】
『口径を7線から3線へ、さらに2.5線(17.78mmから6.5mm) まで小さくしていくことで弾頭の初速を上げることができ、そして初速の上昇は射程距離、命中精度、軌道の安定性など、銃の弾道特性全般の向上に好影響を与える』

当時の大日本帝国陸軍の装備では、腰につけた弾薬盒だんやくごう計3つで一人120発を携行できた。ロシア帝国軍は一人60~100発だった。
実包の総重量を計算してみると、ちょうどその数で大体2キロ半になった。当時そのくらいが歩兵一人の弾薬に割ける重さの限界だったのではないだろうか。

※ロシアの旧単位: фунт=ポンド, 1з=96д=4,266g

フョードロフ大佐の検証結果と使節団入り

再び「В поисках оружия [フ・ポーイスカフ・アルージヤ](火器を探し求めて)」から。

"Между тем, если бы они сравнили действие пули Арисака хотя бы с русской оболочечной пулей калибром в 7,62 миллиметра, то результат получился бы несколько иной: тогда бы и не стали говорить, что уменьшение калибра до 6,5 миллиметра снизило убойную способность новой пули."

【拙訳】
『もし、有坂弾とロシアの7.62mmFMJ弾(※筆者注:トリョフリニーカの銃弾のこと) で比較したならば、結果は幾分違って、口径を6.5mmにしたことで新型弾の殺傷力が低下したとは言えなかっただろう』

"Но, опираясь на мое исследование и результаты опытных стрельб, я с уверенностью говорил себе: укоренившееся мнение о меньшей убойной силе этой винтовки — вздор. Она ничуть не хуже других современных образцов."

【拙訳】
『私は自らの研究と試射の結果に基づいて自信を持って自分に言い聞かせた。「(三十年式が)殺傷力の低い小銃などという定説は全くのでたらめだ」と。他の近代式の小銃らに引けを取らない』

"В общем, сравнивая различные достоинства и недостатки обеих систем, можно было признать, что русская трехлинейная винтовка 1891 года и японская винтовка 1897 года были равноценными. Поэтому я считал, что эти винтовки Арисака вполне подходят для того, чтобы быстро возместить недостаток в огнестрельном оружии у русской армии."
──Федоров В. Г. ≪В поисках оружия≫ 1964.

【拙訳】
『総じて、両方のシステムの様々な長所と短所を比較し、1891年のロシア3線口径小銃(※筆者注:トリョフリニーカ) と1897年の日本小銃(※筆者注:三十年式) は等価と認められた。
したがって、私はロシア軍の小火器不足を迅速に補うに有坂銃が適しているとした』

フョードロフ大佐は検証結果を報告書にまとめ、1911年の砲兵委員会に提出。ロシア帝国は有坂銃の輸入を決め、フョードロフ大佐を使節団の武器・弾薬の専門家として日本へ派遣した。

まとめ:1911年の四年前

以上がフョードロフ大佐が語る「不殺銃」についてである。

  • 日露戦争時、三十年式(有坂銃) への「人道弾」「殺傷力が低い」という揶揄やゆはあった

    • 根拠となっていたのは軍医の症例報告

    • 比較対象は前時代の鉛弾

    • 実際の理由はFMJ弾だからで、口径が小さいことではない

    • 直近50年だけ見ても、小銃は一貫して小口径化してきた

  • FMJ弾同士の三十年式と1891年式トリョフリニーカなら「総じて等価」

  • ロシアは納得して有坂銃を輸入

これはあくまで尾形が『不殺銃』と口にすることになった背景の紹介で、くれぐれも『不殺銃』と称した尾形や作者が「間違っている」と言いたいのではないので誤解無きよう。そもそも筆者は撃ったことも撃たれたこともないので。

フョードロフ大佐が報告書を提出したのは1911年。作中時間軸はその4年前に当たる1907年。
尾形が知り得た情報が「不殺銃」で何ら不思議はないし、なんならエンカウントしたロシア兵に直接「グマーンナヤ・プーリャ(人道弾)」「ウボーイナヤ・スパソーブナスチ(殺傷力)が低い」と揶揄られても理解できただろうし……あ? もしかして本当にそう言われて根に持ってる?

補足:フョードロフ大佐(最終階級中将)とは

  • 武器・弾薬の専門家としてロシア使節団に加わり来日

  • 三十年式のロシア語版公式取扱説明書の作成者

  • 「フェドロフ自動小銃」の設計者で、この小銃の銃弾に有坂弾を採用

  • 実習先の兵器廠へいきしょうの長だったのが「トリョフリニーカ(モシン・ナガン)」の開発者モシン大尉(当時の階級は大佐。最終階級少将)



  1. ロシア語台詞は単行本を基本とします

  2. 明らかな誤植は直しています

  3. ロシア語講座ではありません

    • 文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています

    • ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません

  4. 現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬そごがある可能性があります

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?