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4)答えられるもんなら 答えてみろよ?─反語表現【金カムロシア語】

第四回は161話のヴァシリの初台詞。
ここ、一文字もロシア語読めなくても、日本語台詞と違うこと言ってるって分かっちゃうんだよね。何せ日本語では「はずがない」と断言しているのに、ロシア語では「?」がついた疑問文になってるからね。

【読了まで 16分】

ゴールデンカムイのロシア語台詞を楽しむシリーズだよ。
単行本読了済みであることを前提に執筆しています。
作者と監修がつけた日本語とロシア語の台詞の差異から物語を掘り下げていきます。
ロシア語には縁が無いよって方にも楽しんでいただけるよう書いています。


ロシア語解説:反語表現

当該台詞とその再訳は次の通り。

ヴァシリ『Откуда ульта возьмут японскую армейскую винтовку последнего образца?
(ウイルタが日本陸軍の最新式の小銃を持っているはずがない)』161話

【再訳】
何処からウイルタは最新式の日本陸軍の小銃を手に入れるんだ

いいなぁ俺も一挺ほしい……ではなく反語表現。だから言わんとしている方向は同じ。アイツら民間人じゃない。
でもあえて疑問詞「何処から?(откуда [アトクーダ])」を使わなくても、ロシア語にもちゃんと「はずがない」の言い回しはある。

これ、ロシア語台詞の語順の通り…つまり耳から脳に入ってくる順になるよう倒置法で訳すと、ヴァシリが何に力点を置いているか分かりやすくなるよ。

【再々訳】
「何処からウイルタは手に入れるんだ? 日本陸軍の小銃…最新式を」

そう、この台詞の力点は最後に出てくる『最新式の(последнего образца [パスリェーニェヴァ・アブラスツァ])』ってこと。

疑問詞から始めることで「答えられるもんなら答えてみろよ?」と注意を引きつけてから「だってあれ最新式だぜ?」と一番言いたいことを出してきてる。

🟦ロシア語台詞
⇒ ゴールデンカムイの世界で実際に発せられた言葉(客観的事実)
🟥日本語台詞
⇒ 上記を会話相手がどう受け止めたか(主観的事実)

同僚たちは、ヴァシリほど目が利くわけじゃないから「アイツが最新式だって言うならそうなんだろう」し、だとしたら「ウイルタ(つまり民間人) のはずがない」と理解したのが日本語台詞。

このくだり、ちょうど鶴見の「ロシア側に情報を流した」という説明と共に、思わせぶりに三八式がアップになるから、まるで「三八式の情報も伝わっていた」ようにも見えるんだよね。でも…

杉元『その最新式小銃 俺が気球乗る時に第七師団から奪い取ったやつじゃん 返せよ』
尾形『これは三八式歩兵銃だ』114話

ヴァシリが「最新式」と呼んだのは、114話の杉元と同じく、あの小銃が「三八式」とは知らなかったから。

つまり、事前に知らされていた小銃を発見したのではなく、今までに見たことがない小銃だから見咎めた。脳内データベースにない小銃をね。
そこから「初めて見る小銃 ⇒ 最新式 ⇒ 彼らは民間人ではない」と洞察したことを示している。

ここまでが第一段階。そして、この台詞、更に掘り下げていくよ。

ロシア語解説:「日本陸軍の最新式の小銃」と「最新式の日本陸軍の小銃」は別物

ここ非常にいけずなんだけど…
「日本陸軍の最新式の小銃」← 🟥日本語
「最新式の日本陸軍の小銃」← 🟦ロシア語
…となってる。で、両者の違いを語ろうってわけ。細かくてごめんだけど。

1. 小銃の呼称に「陸軍の(армейская [アルミースカヤ])」はつかない

ヴァシリが言ったロシア語を分解すると「最新式の、日本陸軍の小銃」になる。「日本陸軍(の)小銃」は一塊。でもそういう呼び方はしない。

そんな名の小銃は存在しない

当時のロシア語での呼称は「日本(の)小銃」だった。これが一塊。割って別の単語を挿入したら名称ではなくなってしまう。文法としては間違っていないが、呼称としては間違っている、そういう語順。

❌日本陸軍小銃(Японская армейская винтовка [イポーンスカヤ・アルミースカヤ・ヴィントーフカ])
⭕日本小銃(Японская винтовка [イポーンスカヤ・ヴィントーフカ])

一方、日本語台詞の語順を分解すると「日本陸軍の、最新式の、小銃」になる。これならそれぞれの言葉は一般的な意味しか持たず、呼称にはならない。文末にこの語順で書かれたロシア側の資料を置いておく。日本語台詞の語順は正しい。

当時のロシア側の資料によれば、日露戦争時の主力小銃「三十年式歩兵銃」の情報として、以下の二点は充分知られていた。

  • ロシア語での呼称が「1897年式日本小銃(Японская винтовка обр. 1897 года.)」であること

  • 正式名称にある「30」という数字は日本の元号「明治」から来ていること

だからもし「38」という情報が伝わっていたならば「最新式」の呼称は、指折り数えるだけで正解の「1905年式日本小銃」に辿り着けたことになる。

2.「最新式の(последнего образца [パスリェーニェヴァ・アブラスツァ])」と言わない

直訳は「最式の」。
「последний [パスリェーニィ]」は「最後の/最後尾の」の意。一軸で表せる概念の最後尾。これより先には何もない
だから単に「末っ子」のような事実を示す他に、「最新」「最高」「完成形」だから最後なのだというポジティブな意味、そして逆に最後が最後たるネガティブさも含んでいる。「最期」「背水の陣」「(売れ残るのも納得な)劣った物/つまらぬ物」。

でも、テクノロジーや製品のように日進月歩なもので「新しい」場合には、一般的に「новый [ノーヴイ]」と言う。毎年やってくる「新年」の「新」もこちらを使う。終わりの無い武器開発に適した表現。

❌последнего образца [パスリェーニェヴァ・アブラスツァ]
нового образца [ノーヴァヴァ・アブラスツァ]

だからヴァシリの言い方ってのは「とことんハズしに来てる」わけ。この台詞の全体のニュアンスは…

「答えられるもんなら答えてみろよ? 遊牧民が何処から手に入れるんだ? 日本陸軍の、小銃の、しかも産声あげたばかりの末っ子を?」

…という非常にこねくり回した嫌味で引っかかるもの。
そして同僚たちがその枝葉を落して正確に受け止めているのが日本語台詞。そこに「日本からの情報に合致しました」という任務上の事務的ニュアンスは全くない。「俺の目は節穴じゃない」そう言っている。
何せ、最新式の存在すら知らない状況から日本陸軍の動向を見抜いてみせたわけだからね。

展開:なぜ『わからない』のか

ところがその三八式は目ざとく見つけたにもかかわらず、撃った相手が皇帝暗殺犯か、ヴァシリは『わからない(Не знаю [ニ・ズナーユ])』と言う。
手配書は持っていたにもかかわらず。後ほどキロランケだけでなく、同行者の似顔絵まで詳細に描いてみせるにもかかわらず。おや?お前の目は節穴なのか?

アシㇼパ『いや あいつもうキロランケニㇱパに興味がない あの似顔絵…手配書に裏に描かれていた』203話

…実は「もう」ではなく、ヴァシリは最初から皇帝暗殺犯にさほど興味なかった。

単純計算すれば皇帝暗殺時にはまだ生まれてなくて、リアルタイム世代じゃない。それに彼の母国への帰属意識は強くない。だからこそ、このあとヴァシリは狙撃手対決に挑むためだけに、脱走兵になり、国を離れ、もはや誰でもない『頭巾ちゃん』になってしまう(彼が「ヴァシリ・パヴリチェンコ」であると保証しているのは国である)。

そんなことより、ヴァシリはこの「最新式」が目の前に現れたことで、つい最近戦ったばかりの敵国陸軍が早々に軍備増強を進めていると知った。
1897年式(三十年式) と戦った日露戦争が1904年~05年、作品内時間軸は1907年。
片や自身の相棒「трёхлинейка [トリョフリニーカ]」は未だ設計年である1891年式のまま(※ロシア名は「モシン・ナガン」ではない。文末に補足有り)。

三八式を手にした尾形はまるで新しいおもちゃを貰った子供みたいに嬉々とし、読者も同じ視点で読むけど、銃弾を喰らう立場には笑えない話。
新兵器が自国兵士の助けになる立場から見るか、自国兵士が餌食になる立場で見るかで印象は全く違う。

当然、銃撃に曝されたアシㇼパも笑えやしない。
だから知り得た情報の範囲で「さぞ以前は皇帝暗殺犯に興味があったに違いない」と納得(合理化) しようとする。

でもその時ヴァシリが捉われていたのは「かつて自分たちを殺さんと狙っていた小銃が更新された」という差し迫った生存の脅威だった。
だから「новый [ノーヴイ](≒進化している)」と口にするのを忌んだ。「последний [パスリェーニィ(≒最後たれ)」と呪った。

『憎しみにかられて銃を撃つ者は狙撃手に向いていない』162話

彼は憎しみではなく、恐怖にかられて撃ってしまった。
だから撃った相手が皇帝暗殺犯か『わからない(Не знаю [ニ・ズナーユ])』わけだ。そこには全く目が向いてなかったから。全員の顔を確認したのは撃った後だったから。
この時のヴァシリは冷静なようで全く冷静ではなかったのだ。

考察:なぜ橇の経費がないのか

鶴見は三八式の情報をロシアに流していない。流した情報は台詞内の3項目のみで確定する。

鶴見『前もって私はロシア側が飛びつく情報を流しておいた
「近いうちに皇帝殺しの実行犯が南樺太からロシアに密入国する」
「国境を超える際は遊牧民族の中に紛れているだろう」
橇が走りやすい幌内川の開けた湿地帯に沿って北緯50度線をまたいで来るはずだ」と…』160話

…となると、気付かなきゃいけないことがある。
「なぜそりを想定できていたにもかかわらず、先遣隊に橇の経費はなく、鯉登が私費で雇うことになったのか?」だ。
橇相手に徒歩では、追いかけても離され、追いかけられたらすぐに捕まるだけだ。
さて、ここまでを踏まえてちょっと日本側の駆け引きの話。

  • ロシア側に三八式の情報は流れてなかったこと

  • 情報将校鶴見の専門はロシアであること

  • 尾形にロシア語の素養があること

  • 尾形の背後に中央がいること

…という初見の161話では分からない上記4つから、鶴見が先遣隊派遣で何を狙っていたのかについて。すなわち…

「ロシアの国境守備隊がどう動こうとも、尾形は遅かれ早かれアシㇼパを連れてキロランケから離脱、日本へ戻って来るはずだ。再入国時を狙ってロシア領内の浅いところで迎撃。アシㇼパを奪還。尾形をロシア領内で始末する」

鶴見サイドからすれば、尾形がキロランケとつるんでいるのは、自身の語学アドバンテージを生かしての潜入…くらいの推察はする。尾形もそう読まれるくらい分かっている。何せパルチザンに探りを入れようと思っても、それが可能な登場人物は、ロシア語の素養がある(ことが明らかな) 鶴見、月島、尾形の三人しかいないのだから。

アシㇼパをパルチザンと合流させたいのはキロランケだけで、その他の勢力は金塊問題が国際化し他国から干渉を受けることは避けたい。だから尾形が合流前に潜入を終わらせ、アシㇼパを連れてキロランケから離脱するだろうことも予想の範囲だった。ならばむしろ離脱までは尾形を泳がせた方が日本のどの勢力にとっても好都合だ。

現にアシㇼパの毒矢が鳴りを潜める一方で、尾形が旅の胃袋を支えている。それは帰路のために、何が食べられて何が高く売れるか、知っておく必要があるからだ。ベルダンの弾ならともかく、ここ敵国内で有坂弾は補給できない。撃ち切ったらそれっきり(携行できるのは最大120発)。それでも惜しまず撃つ尾形を…ベルダンを期間限定でしか入手しようとしない尾形を、キロランケはもっと疑うべきだった。

ゆえに月島は、それまで尾形の話題が出ても積極的には参加してこなかったのに、離脱したタイミングだけは気にして自ら杉元に話を振った。
月島の仕事は、離脱してきた尾形が再入国するところを狙ってロシア領内で始末することだった。
菊田と同じ条件なら日本国内で連絡が取れなくなると中央が動き出すことになるが、主権の及ばないロシア領内で「のたれ死んだ」ことになれば中央は手が出せない。排除するにまたとない絶好の機会。故に表向き鯉登が指揮官であっても、杉元の生死の処遇も含め、月島が全て鶴見から任されていた。

そうとは知らない鯉登は「国外に連れ去られた邦人の保護」に邁進まいしんし、一生懸命「もう少し移動しよう」と言ったり、私費で犬橇を雇ったりしていたわけだ。
鶴見/月島は最初から戻ってくる尾形を迎撃するつもりだったから追いかけるスピードは求めていなかった。むしろ国境を越えての軍事作戦になるのだから、深く入ることは避けたい。だから先遣隊に橇の経費は無かった。

鯉登は一番経験の浅い自分でも「橇が無視されている」と気付くのに、なぜ先輩たちが気付かないのか不思議でならないから、つい杉元をバカ呼ばわりする。杉元と谷垣に「鶴見が橇を想定している」と認識している描写はなく、鯉登の言動を「歩きたくないに違いない」と納得(合理化) しているに過ぎない。
(※歩きたくないだけなら鯉登一人が馬に乗ってもいい。そこをあえて全員で犬橇に乗るメリットはスピード)

ゴールデンカムイにおける全ての登場人物は知り得た情報の範囲内で充分知性を活かしており、誰一人「愚か」であることを特徴づけられてはいない(逆に、目に見えない他者の心は知り得ない。第三者が語る誰かの内面はことごとく外している。モンティホール問題の「開けられたドア」状態)。

結局、月島が重傷で動けなくなったことで尾形は命拾いした。対尾形追尾型最終兵器杉元もヤバかったけど、月島が動けていれば臥せっていようが容赦などしなかったろう。尾形は離脱後から再入国までが最も危ないと認識していたからあれだけ必死だったわけで、尾形vs鶴見/月島の駆け引きの前には、何も知らない杉元は単なる脇役に過ぎず、読者も杉元と共に置いてけぼりを喰う。

ヴァシリの洞察と日本語台詞の曖昧さが上手い具合に読者を誤読に導き、鶴見と尾形の行動をよりいっそう不気味に見せている。

補足:小銃のロシア語呼称について

「小銃」に該当するロシア語は「винтовка [ヴィントーフカ]」。「винт [ヴィント]」とは「ねじ/スクリュー」のこと。元々はライフリング(施条:銃身の内側に螺旋状の溝を施す)された武器全般をこう呼んだが、現代では「ライフリングのある肩撃ち銃(銃床を肩に当て両手で保持して射撃する銃)」のみを指すようになった。ライフル。rifle。

日本語における「小銃」の定義は防衛省規格火器用語(小火器)P.20を参照のこと⇒ https://www.mod.go.jp/atla/nds/Y/Y0002B.pdf

🟥有坂銃(三十年式/三八式)

名称は、設計者の名を採った「винтовка Арисака [ヴィントーフカ・アリサカ](有坂銃)」。

作中の時代には、国名を冠した「Японская винтовка [イポーンスカヤ・ヴィントーフカ](日本小銃/日本製小銃/日本の小銃)」と呼称されていた。
三十年式が「1897年式」、三八式が「1905年式」。

🟦1904年当時の呼称
武器専門誌「Оружейный сборник [アルジェーニィ・ズボルニク](武器コレクション)」に掲載された三十年式歩兵銃の分析記事。
当時この雑誌はロシア軍の推薦図書であった。
ここに書かれた「日本陸軍の新式の小銃винтовка нового образца для японской армии [ヴィントーフカ・ノーヴァヴァ・アブラスツァ・ドリャ・イポーンスカィ・アルミイ])が日本語台詞の「日本陸軍の最新式の小銃」に忠実で自然なロシア語である。

ハイライトは筆者──≪Оружейный сборник≫1904年

【拙訳】
1897年式日本小銃
及び実包

 武器コレ読者にはお馴染み、先の日清戦争を日本軍と共に戦った1880年式及び1887年式[*1] 村田銃は、その座を1897年式日本小銃とあだ名される新式に譲った。日本はこの小銃を今上在位30年を示す「明治三十年」と命名し、また、設計者である大佐の名から有坂銃ともいう。
 日本陸軍の新式の小銃は東京の工廠で製造された。(…以下略)」

*1] 村田銃に「1887年式」は存在しない。「十八年式」の1885年か「二十二年式」の1889年の間違いと思われる。「1880年式」の方は「十三年式」のことで合っている。

🟦1903年当時の呼称
軍事専門誌「Разведчикъ [ラズヴェーチク](インテリジェンス)」10月21日発行678号
日露戦争の前年には、既に三十年式の情報として「有坂(Аризака:現在の綴りはАрисака)」「1897年式(образца 1897 года)」「明治(Меджи:現在の綴りはМэйдзи)」が知られていた。
尚、この記事はドイツの日露情勢分析記事をロシアで紹介したもの。

ハイライトは筆者──≪Разведчикъ≫1903年

🟦1915年~1932年当時の呼称
有坂銃のロシア帝国及びソビエト連邦公式取扱説明書。1915年には国名を冠した呼称だったが、1932年には名称である「有坂銃」に。

赤字は筆者──有坂銃のロシア帝国(1915年)及びソビエト連邦(1932年)公式取扱説明書の表紙

🟦モシン・ナガン

この時代、ロシアでは全く別の名称だった。
それどころか、誕生から今日こんにちに至るまで、ロシア及びソビエトであの小銃が「モシン・ナガン」であったことは一度もない。
当然ヴァシリは相棒の名を「モシン・ナガン」とは認識していない。

当時の名称は「трёхлинейная винтовка [トリョフリニーナヤ・ヴィントーフカ]」
口語こうご(短縮形) は「трёхлинейка [トリョフリニーカ]」
作中に登場するのは「1891年式」

直訳すると「3線銃」や「3線口径銃」あたりだろうか。
ここでいう「線(линия [リーニヤ])」とはロシアの旧尺度の単位。1線=1/10インチ=2.54mmで、3線にあたる7.62mm口径(30口径) の意。
何か線状のものが3本あるという意味ではない。

30口径であることを名に持つトリョフリニーカと、30を名に持つが6.5mm口径の三十年式という構図。

単なる口径数が正式名になってしまった理由は、真の設計者は誰だ論争の末の手打ち。
ロシア帝国は次世代小銃採用のコンペで、モシン大尉(最終階級少将) のモシン銃を勝者としたものの、敗者ナガン氏のナガン銃の良い所も取り入れたハイブリッドにしようとし…ナガン氏の持つ特許に触れてしまったのである。

このゴタゴタによってロシア帝国は、勝者モシン大尉への褒賞金(計6万ルーブル) より、敗者ナガン氏への特許料(計20万ルーブル) が高くついてしまった。

そして皇帝アレクサンドル3世が下した、もはや誰の名前も付けず「Русская [ルースカヤ](ロシアの)」と国名を冠することも許さず、という決定に不満がくすぶり、以降、国内で小銃の名はタブーになっていく。

1941年及び1954年発行の公式取扱説明書に至っては「モシン」の名も「ナガン」の名も無いどころか「3線銃」の名すら無く、型式だけの名無しの小銃になってしまっているのが確認できた。

小銃の公式取扱説明書の表紙──左:開発年の1891年発行で「3線銃」。右:1954年発行のものは型式だけの名無しの小銃に。どちらも「モシン・ナガン」として知られている小銃の公式取扱説明書である。いずれも赤字は筆者による

この件について、武器設計者として高名なВ. G.フョードロフ氏(最終階級中将) がその著書「История Винтовки [イストーリヤ・ヴィントーフキ](小銃の歴史)」で次のように述べている(モシン大尉とフョードロフ氏は、同じ兵器廠へいきしょうの長と実習生という繋がり)。

”Вопрос о названии 7,62-мм винтовки широко дебатировался и вызвал много споров среди оружейных деятелей того времени.
Однако, независимо от принятых решений, нужно категорически признать, что в деле конструирования нашей 7,62-мм винтовки, состоящей на вооружении Красной Армии, работы Мосина имеют первенствующее значение."
── В. Г. Федоров ≪История Винтовки≫ 1940 г.

【拙訳】
「7.62mm小銃の命名問題については、当時の武器設計者の間で広く議論され、多くの論争を巻き起こした。
だが、下された決定がどうにせよ、赤軍で使用されている我らが7.62mm小銃の設計において、モシンの貢献こそ最も重要なのだときちんと認識されなければならない」

この小銃の誕生には別の物語もある。

モシン大尉は長く人妻に恋焦がれていたが、彼女の夫は世間体から離婚を渋り、慰謝料として軍人の給料では到底支払えない額(5万ルーブル) を吹っかけていた。それを見事この褒賞金で覆してみせ、16年越しの恋を成就させたとか。
実は国内コンペより前に、海外から「60万フランでモシン銃を買いたい」とオファーがあったのを、モシン大尉は「外国に武器は売らない」と断っていた。これが何ルーブルに相当したかまでは分からなかった。
モシン少将が亡くなった際、夫人の意向で棺の上にこの小銃が手向られたという。

現代では「винтовка Мосина [ヴィントーフカ・モーシナ](モシン銃)」と呼ばれている。
口語こうご(短縮形) は「Мосинка [モシンカ(マシンカ)]」。

残念ながら筆者には、日本に「モシン・ナガン」という呼称が入ってきた経緯は調べきれなかった。ロシア語のできる鶴見は、当然あの小銃が「трёхлинейка [トリョフリニーカ] 」であると知っていたはずで、同様に月島と尾形も知っていただろう。作中では、間違いではないギリギリを攻めた微妙な呼び方から、じわじわ「モシン・ナガン」に寄って行く。

尾形『この三十年式歩兵銃 ロシア兵の小銃より弾が小さく』44話

宇佐美『ロシア製小銃は網走監獄の看守全員に行き届いており』124話

杉元『看守は全員 ロシア製のモシン・ナガンで武装していた』126話

尾形『木の陰からモシン・ナガンの銃身が少し見えた』161話

ちなみにベルダンは「винтовка Бердана [ヴィントーフカ・ベルダーナ]」。
口語こうご(短縮形) は「Берданка [ベルダンカ]」。

「三八式」も、実際は尾形一人が「三八式さんぱちしき」と連呼してるだけで(後は有坂閣下が一度のみ)他の登場人物は「銃」「小銃」としか言っていない。「モシン・ナガン」も当のロシア人は一切呼んでいない…という面白い状況になっている。



  1. ロシア語台詞は単行本を基本とします

  2. 明らかな誤植は直しています

  3. ロシア語講座ではありません

    • 文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています

    • ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません

  4. 現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬そごがある可能性があります

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