見出し画像

雑草みたいに生きたい

最近、雑草に魅力を感じる。

人に種を植えてもらって、水をもらって、育ててもらう、そんな一輪のお花も愛にあふれていて美しいけれど。

勝手に地球に降り立って、勝手に自分らしく生きている雑草ってめちゃくちゃカワイイ。

コンクリートの地面と壁の間から生えてくる雑草も。

誰からもケアされていないのに、勝手に生えてきて、勝手に生きている。

しかも、良く見ると、意外と綺麗。

小さなお花を咲かせる雑草も、ただ緑だけの雑草も、みんな形や色がそれぞれ違って個性的。

ただその野草の美しさに、私たちが気づいていないだけ。

画像1

雑草は、産まれたまんまのありのままの自分で、そこに堂々と生きている。

人間だってそれで良くない?

なぜみんな、自分らしさを失ってしまうのか。

自分を取り繕って、自分の本来の気持ちや感情を隠して、自分らしく生きれていない人ばかりなんじゃないか。

私もそう。

そんなの苦しいだけ。

なんで、自分を隠す必要があるのだろう。

なんで、自分に自信がなくなってしまったのだろう。

私は私として生まれてきたのに、なぜ私として生きる道を踏み外したのか。

そんなの自分じゃない。

だったら、雑草のように自分らしく在りたい。

本当はちゃんと名前があるのに、「雑草」と言われ、人からは見向きもされない野草たち。

でも、彼らはそんなことは気にしない。

ただただ、そこに生まれ咲き、堂々と、凛と、そこに咲いているだけ。

人目を気にせず、誰にも合わせず、自信をもって、自分を生きているだけ。

画像2

私も雑草のように在りたい。

自分の意志で、自分を生きたい。

自分に自信を持ちたい。


自分の生きたいように生きる。

雑草のような生き方こそ、人間の本来の生き方なのでは?


なぜそれができないの。そんなの綺麗事だって言われるの?

なんでやりたくもない仕事して、苦しいこと我慢して、涙を流して、生きていかなきゃいけないの?

やりたいことだけやって生きていける人間なんか一握り。

生きづらい世の中だね。

人間を本来の生き方から突き放したのは、この生き辛い世の中のせいでしょう?

画像3

だったらちょっとずつでもいいのかも。

自分の一瞬一瞬の気持ちや感情から目を逸らさず、それに忠実に生きたい。

自分の“今”の気持ちを大切に。

今、今、今、とりあえず“今”を生きていれば、雑草のように凛と自分を生きれるようになれる気がする。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?