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神と伏線

なにをするにも、伏線が必要になる。

例えば、本を買うにしても、適当ではダメ

僕は何を読みたいのか?

それはなぜか?

僕はどんな人間なのか?

これまでの人生の伏線を探る

そのおかげで、先の物語が作られていく。

デタラメに手を伸ばしてるだけでは

デタラメな断片が積み上がるだけで

デタラメな人間になってしまう。

SNSに流れる有象無象

それらは伏線もなにもない。

それらは物語になり得ないのだ。

だから、自分と向き合い、考える必要がある

自分の物語を、展開させねばならない。

でも、ここでひとつ問題がある。

その物語は、本当に自分のものなのか?

自分を探り、物語を作るのはいい。

でも、それが人形を操るための線だったら?

洗脳、宗教、教育、思い込み、妄想、囚われ

伏線だと思わされていたこと、

その見極めは、どうするべきか?

自分の物語は、自分で完全に創造できる?

例えば、想像と連想、

自分の想像だと思っていたものが、

用意された連想ということはないかな?

自分の物語なんて、創造できるのか?

いっそのこと、気にしない?

「自分」の物語なんて、あり得ない?

伏線が本当か嘘かなんて、わからない。

今、なにを選ぶかが重要だろう。

なぜなら、もうここまで来てしまったのだ。

嘘だろうと本当だろうと、それだけが真実だ

伏線みたいな色んな線を張り巡らして、

僕はできている。

それがどんな線でも、未来に繋がってる以上

それは僕の線、僕自身ということでいい。

それらの線を結んだりほどいたり、

それらの線が絡まったり解かれたりして、

僕は自分を知り、次の線に手を伸ばすのだ、

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