【BOOK】『暗幕のゲルニカ』原田マハ:著 芸術は理不尽に抗う武器
人類はなぜ戦争をするのか。
もっとミニマムに言えば、人はなぜ争うのか、とも言える。
それは、神が人間を造ったのであれば、致命的なバグがあるからだ。
戦争の愚かさを絵筆一本で描き、その存在自体が強烈なメッセージを放つ作品。
それが『ゲルニカ』。
1937年4月26日スペインのゲルニカ空爆前後と2001年9月11日アメリカ・ニューヨークのワールドトレードセンター空爆の前後という二つの時代を行きつ戻りつしながら、時代を超えてピカソによって人生を狂わされた2人の女性の視点で紡がれる物語。
これを書いている現在、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵攻が続いている。
人類が文明を持ち、これほどまでに人口が増えた現在でも、人類は争いをなくすことができていない。
だが、ピカソが『ゲルニカ』に込めた怒りは、まだ消えてはいない。
本作は、『ゲルニカ』が誕生した1937年からの<20世紀パート>と、ニューヨーク・ワールドトレードセンター空爆が起きた2001年の9.11事件後の<21世紀パート>を交互に読み進める構成になっている。
その二つのパートはそれぞれ1人の女性を軸に展開されている。
ひとりは『ゲルニカ』制作過程を写真に収めた写真家であり、ピカソの恋人でもあったドラ・マール。
もうひとりはニューヨーク近代美術館「MoMA」に勤めるピカソ研究家でもあるキュレーター八神瑤子。
この2人は共に生きている時代が異なれど、どちらもパブロ・ピカソに人生を変えられたと言っても過言ではないだろう。
この2人のみならず、ピカソは周囲の人間を巻き込みながら、大量の絵画を紡いでいった。
そして、みんなピカソの絵画に翻弄されながらも、ピカソの魅力に取り憑かれていく。
『ゲルニカ』は多くの人に愛されながら、戦争の愚かしさや虚しさを観る者の胸に突きつけたのだった。
ヒューマンシステムのバグ
戦う者は互いに自らが正しいと主張し、相手の主張を受け入れないことがほとんどだ。
その自らを正しいと主張する者に、『ゲルニカ』はヒューマンシステムの致命的なバグをも受け入れ、そして問いを突きつける。
本当にその選択でよいのかと。
その争いの元が、個人の欲望や国益やイデオロギーや、あるいは宗教の対立だったとしても、戦争で殺し合うことは愚かしいことだと『ゲルニカ』は伝えている。
本作の中では『ゲルニカ』をこう説明している。
パブロ・ピカソはとにかく多作だったせいか、代表作もいくつもある画家だ。
作風も時代と共にさまざまに変化した。
青の時代
『人生』(La Vie)(1903)
ピカソの青の時代の最高傑作と言われている作品。
左にいるのがカサヘマスとその恋人のジェルメール。
ピカソが19歳の時。親友だったカサヘマスが自殺をした。
そのショックが鬱屈した孤独と悲しみの画風に現れている。
アフリカ彫刻の時代
『アビニョンの娘たち』(Les Demoiselles d’Avignon)(1907)
<薔薇色の時代>を経て、その後のキュビズムの原点とも言える『アビニョンの娘たち』を描いている。
新古典主義の時代
『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』(Olga in an Armchair)(1918)
どんどんと進化するキュビズムも少しずつ落ち着き始めた頃、1914年に勃発した第一次世界大戦の影響もあって画風が変化した。
最初の妻であるバレエダンサーのオルガ・コクローヴァをモデルにすることが多かったという。
戦争とゲルニカ
<シュルレアリスム(超現実主義)の時代>を経て、本作『暗幕のゲルニカ』に登場する『ゲルニカ』を1937年に制作した。
『ゲルニカ』(Guernica)(1937)
ピカソは生涯をかけて「愛するもの」を描いてきた。
ただひとつ『ゲルニカ』を除いては。
冒頭で述べた「ヒューマンシステムの致命的なバグ」とは何か。
それは「愛情」という感情である。
家族や身の回りの人を愛するが故に、敵対する存在を憎む。
愛情と憎悪はベクトルは違うが、カロリー(熱量)はどちらも高い。
敵を憎み、攻撃を仕掛け、反撃され、その応酬がやがて戦争になる。
人類は古代から延々とこれを繰り返してきた。
主人公・八神瑤子の友人でニューヨーク・タイムスの記者・カイルの台詞だ。
アメリカがイラクに大量破壊兵器を隠していると詰め寄ったイラク戦争の直前である。
いまアートが世界に対してできること
写真家ドラ・マールはピカソの恋人として寄り添いながらも、離婚が成立していない妻の存在を快くは思っていなかった。
また、別の愛人でピカソの娘の母親マリー・テレーズとは激しく罵り合いをピカソの目の前でやり合ったりした。
ピカソを愛するが故に、戦う羽目になったのだ。
だが、愛することを辞めた時、人間は人間のままでいられるだろうか、とも思う。
愛することが一方で争いを生むのだとしても、それでも人間は誰かを愛し愛されなければ生きてはいけないだろう。
であれば、なお、己のために己だけで戦うことはやむを得ないとしても、何の関係もない人たちを巻き込んだ「戦争」は許してはならない。
八神瑤子は生涯のパートナー、イーサンを9.11のテロで亡くしている。
だからこそ、どうしても『ゲルニカ』をMoMAで展示しなければならなかった。
「戦争」に抗うメッセージを発信すること、すなわちアートの力を信じて。
パブロ・ピカソは92歳で亡くなるまでの78年間の画家生活を通じて約1万3500点の絵とデッサン、10万点の版画、3万4000点の本の挿絵、300点の彫刻と陶器を製作したとして、最も多作な画家としてギネスに認定されている。
いまだに戦争を続けている人類に、いま、ピカソが生きていたら、何と言うだろうか?
いや、何を「描く」のだろうか?
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