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銀座花伝MAGAZINE Vol.30

#地上にひとつの場所 #「香」に向き合う旅 #瀬戸内アートと銀座

この街は、時に「無目的の街」などと呼ばれます。目的を持たずに、無目的に歩く時こそ思わぬ発見があったり、拾い物をするという意味です。筆者の開催する銀座お散歩ライブに参加された方が「いつも銀座に降り立っていたのに、会社と駅との往復ばかりで、こんな場所があったのか!」と感嘆されることが少なからずありますが、目的があると周りが見えないのは当然のことかもしれません。

最近、銀座の街にZ世代の姿が多く見られるようになりました。Z世代はインターネット環境やSNSが生まれた時からあり、「物を買うだけの消費」には見向きもしない世代だと言われています。銀座のこれまでのイメージを良くも悪くも抱いていないのも特徴です。

そんなZ世代の合言葉。
「一周して、リアル」

ネットは最早新しさを運んではくれず、リアルの中にこそ自分たちが求めるものがある、という意味だとか。新しい世代が、この街を作り替えていく予感を感じます。

銀座の通りで交わる光と影で体験した「香」の実態を求めて、島旅の体験をお届けします。「地上にひとつの場所」は、瀬戸内海の島に存在していました。また、Ginza Gualityの手土産情報などをお伝えします。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に人々の力によって生き続けている「美のかけら」を発見していきます。




1.  ESSAY    地上にひとつの場所
   -香りに向き合う旅-


銀座の街に深く潜ることを体感するようになると、表通りと裏通りが交差するところで「香り」を感じることがある。筆者は長年その現象を不思議に思ってきた。その不思議さを探るうちに、それはどうも光と影とが織りなすことで生まれる風の匂いではないか、それを脳の中で最も感度の高い“嗅覚”が敏感に探知するからではないか、と思い始めた。

以前本誌で「五感散歩」について取り上げたので、散歩での体験についてはその稿に譲るとして、光と影が複雑に交差することで生まれる「香り」を求めている筆者が出会った「香り」の体験を語ってみたい。穏やかな光が降り注ぐ「小さな島」にその香りはあった。

「五感散歩のススメ」記事↓


豊かな島にたどり着く

岡山県の南端にある宇野港から、小型船に乗って辿り着いた島には美しい棚田が広がっていた。瀬戸内海に浮かぶその島の近くには、あまり島影は見えない。ぽっかりと孤高に浮いているように見えるその場所は「豊島」(てしまと読む)という名前だった。日当たりがよい斜面には、クローバーの緑の絨毯と水仙のイエローがなだらかに海へと伸びている。

柔らかな紺碧の青空、きのうの雨のおかげで今朝の色は透き通っている、と島人が教えてくれた。自転車を借りて、唐櫃(からと)の棚田の山頂を目指してペダルをこぎ続けると、その道はうっそうとした森に続いていた。頂上付近で森の中を歩くことにして、ゆっくりと雑木林の間をくねっている道に足を踏み入れてみた。湿気を含んでいて地面が柔らかい。不思議だ、なぜこんなに水を感じるのだろう。雨が比較的少ない地域であり、大きな河川も、水を蓄える大きな湖沼もないはず、なのにたっぷりとした水の気配を感じるのだ。


ほとんど人気がない原生林の中を足底を感じながら歩いていると、雑草が生い茂って葉が重なるわずかな隙間の中に細いせせらぎを見つけた。水音もささやかなその小川は、目を凝らさないと見つけることができないのに、しばらく同じ場所で佇んでいると、どうもあちらこちらにこの小さな「泉」が点在しているらしいことを発見した。

湧き水だ。

耳を澄ましてみる。あまりこれまで感じたことのない、手つかずの自然がそこにはあった。自然に恵まれたこの島は、名前の通り「豊かな島」であるらしい。

自転車で急斜面を惰性に任せて滑るように降りてみる。ひゃほー・・・時にせり上がり、時に降下しながら、海と空の境界線に体が投げ出されるような爽快感に身を委ねると、島を伝う風や光や香りが自分の内側に一気に吹き込んでくるようだ。

降りてきた道を振り返って眺めてみる。この島の起伏が激しく地形も複雑だと分かる。斜面に敷かれた棚田には、種類豊富な農作物だろうか、その島野菜は実に鮮やかな色彩を放って島の主役然として生きていた。あの原生林の底で見つけた地面から湧き出す真水が、水路を流れ、田に蓄えられ、農作物はその恩恵を受け、水は蒸発し、空に帰り、雨となり、今一度海に帰り、そして島の底から真水に濾過されて、また地上へと立ち上っていく。そんな循環を身体中でイメージした瞬間だった。

宿泊施設もないこの島に、島野菜を食べさせてくれる食堂があると聞いて尋ねてみた。人口減によって人の住まなくなった古民家を活用したその店は「食堂101号室」といった。小さな土間から靴を脱いで部屋に上がると、そこはまるで田舎の実家に戻ったような空気感と少し燻した香りが漂うちゃぶ台が置かれた一間。部屋と縁側との間に下げられた簾から通り抜ける島風が汗ばんだ体に心地よい。

供された野菜は、島大根や島ズッキーニ、山菜や葉物など名前も知らないこの土地ならではの原野菜ばかり、色とりどりのびっくりするような鮮明な味わいがあるのだ。島名産の凍み豆腐(高野豆腐)をオリーブオイルで揚げて島塩で食べるというシンプルな食べ方にも感動した。聞いてみれば、無農薬のレモンやいちご、みかんもこの島ならではの自慢の農産物だという。試しにと、旬の豊島いちごで作られた島パフェなるものもいただく。深い真紅のみずみずしさが際立ちいちごの味の濃いことに驚かされた。

しかし、さらに驚いたのは、これほど豊かな自然に恵まれていると感じるこの島が環境破壊から再生された場所であるという事実であった。その汚染事件から島人が立ち上がり、農産物を作ることができる島にまで生まれ変わらせたのです、と語る食堂を切り盛りしている店主の表情は厳しい中にも熱を帯びているように見えた。



命を再生させた島

その汚染事件とは次のようなことだ。

1965年ごろから土地を所有する業者によって水ヶ浦の土砂が大量に採掘されるようになった。業者はこの跡地に有害産業廃棄物処分場を計画、島人の猛反対にも関わらず「木屑、食品汚泥など無害な産廃を利用してミミズの養殖をする」という嘘の事業申請を行い、それを疑うこともなく香川県は1978年に認可してしまう。

ほどなくして産廃の不法投棄が始まり、実質的に豊島が「ごみの島」になる道のきっかけを作ってしまう事になる。家浦港から陸揚げされた産廃を乗せたダンプカーが公然と豊島を走り回り、現場では野焼きが連日行われ、児童らに喘息などの健康被害が相次いだという。

1990年、業者は「ミミズの養殖を騙った産廃の不法投棄」容疑で摘発されたが、既に広大な処分地には廃油、製紙汚泥、シュレッダーダストなどの産廃が山を成していた。引き続き島人たちは、県の責任と原状回復を求めた公害調停の闘いを繰り広げた。中坊公平弁護士を中心とした「草の根運動」が、2000年の公害調停の最終合意を得るまで足掛け25年を要した。この訴えを掲げた島人たちの抗議キャラバンは、東京銀座でのデモ行進を皮切りに全国に広がりを見せ、当時ニュースでも大きく取り上げられた。


豆知識:中坊公平(なかぼうこうへい)弁護士(1929年-2013年)
1973年、森永ヒ素ミルク中毒被害者弁護団と大阪の千日(せんにち)デパート火災テナント弁護団の団長に就任し、被害者の救済などに尽力した。1985年ペーパー商法(顧客に商品を渡さず,その商品の運用・保管などを行うと称し,預かり証などしか交付しない商法)で多数の被害者を出して破綻した豊田商事の破産管財人に選ばれ,従業員給与の所得税返還を実現,被害者への配当を増やした。瀬戸内海の豊島の産業廃棄物不法投棄問題などにも関わり、市民派弁護士として〈平成の鬼平〉と称された。2006年住宅金融債権管理機構社長時代の不適切な債務回収の責任をとって、弁護士を廃業するも、その後も被害者支援活動を支え続けた。


再生への道のり

豊島に「美しい瀬戸内海の自然と調和する姿が戻るよう」、島人と県が「共創」の合意をしながら2012年完了を目指して、原状回復作業を続けることになるが、廃棄物を西隣の直島に運んで溶融する作業の処理量は1日300トン、後に実際には汚染土壌の総量が93万8千トンであったことが判明し、結局、豊島から撤去が完了したのは2017年の3月だった。2021年4月に至るも地下水の浄化作業は続いており、産廃特措法による国の支援が受けられる延長期限2023年3月までもう1年にも満たない時間しか残されていない。

喪われた自然とそれを再生するために闘ってきた島人の話に、さっき棚田の上で感動した原生林の美しさの裏に存在する影を目の当たりにした思いがした。お目でたい自分の見識と感性を恥じた。

島食堂「101号室」を運営する女性は、島の守人として自然の循環を再生するために、今日も農業と島野菜を活かした惣菜作りを通じて土地に根を張って生きている。



島人との共生「棚田再生」

1970年代までは島民が自給自足で暮らせるほど豊かだった自然が、1975年から16年に亘って続けられた不法投棄により痛めつけられてきた状況を改善すべく、自然と共生した美術館を作りその収益を得ることで棚田の再生を果たそうとした人物がいた。公益財団法人 福武財団の理事長 福武總一郎氏である。

「その場所を唐櫃(からと)にしようと決めたのは、2007年のこと。湧き出る清水からほど近い所にあり、かつては海まで棚田が広がっていた場所です。自然環境を回復させたいという島人の強い意志と団結力を見た時、唐櫃の森を歩き、丘から海までの景色を見渡し、休耕地になっている棚田の再生の大切さに気づきました。ここに、美術館を作ることで、日本が失いつつある大切なものを思い出す場所になるに違いないと思い、島の方々の賛同をいただいて棚田再生への取り組みを始めたのは、2009年4月のことです。」

それから13年が経った豊島美術館の周りには、少しずつ棚田が再生され、実りの季節には黄金の稲穂が波打ち、美術館の柔らかなフォルムは自然の環境と見事に調和を見せている。

「人が素直になれる空間」

と題されたこの美術館は、国境や宗教を超えて「生かされている悦び」を届ける島の「再生」のシンボルとしてそこに存在していた。

前代未聞の美術館

美術館の前に立って、驚いた。これはもう、美術館の定義そのものを革新していて、私たちがよく使う「ミュージアム」-古来より大切な文化財を空気や湿気、虫やカビを主敵とする外部環境の侵入による劣化から守るために作られてきた-とは別次元の佇まいである。これまでの美術館は作品を守るために、土地とは一旦縁を切って隔離させる必要があった。ところが、豊島美術館は、隔離するために必要な外部と内部との「壁」そのものを取り払ってしまっていて、その代わりに、島そのものと一体化して、訪れる人をその内部の一角に招き入れ、その人と島を「作品」を媒介とせずに直接会わせてしまうという、壮大な世界観を目の前に出現させたのである。

                       島に佇む「豊島美術館」 建築家:西澤立衛



柱もない、天井だけが浮き上がって見える空間に、作品といえばたった一つ、美術家・内藤礼による「母型」が置かれていた。それは、実際には作品というより現象のようにそこに存在していた。

美術館に足を踏み入れる。靴を脱いでー

最初は何が起きているのかわからない、戸惑いと衝撃が見る者を揺さぶる。


                               水が湧き出す「豊島美術館」 


全面にわたって白い光沢を放ちながら奥までずっと広がる床の随所に、それは起きていた。「それ」は小さな小さな、湧き出る「泉」だ。瞬間、あっと声をあげてしまった。さっき原生林のなかで発見した「水の穴」だ。そう湧き水だ。豊島にもたらされている、島の地下で起きている真水の恵みが、奇跡的に天然の濾過作用で地上にもたらされている瞬間に立ち会っているのだ。

数え切れないくらいたくさんの小さな穴から染み出している真水。筆者の足元のすぐそばで繰り広げられている透明な出来事に目が離せなくなり、しばらくは動くことができない。

たった今、そこから湧き出してきた一つの小さな水滴。水を綺麗にはじき、滑らせる性質を持ちかつわずかな傾きを持つ床の上を、予想できない動線を描き、あるものは生まれた場所からずっと遠くへ、またあるものはすぐ隣の水滴と合体を始めて次第に大きくなりつつまるでアメーバのよう、生命体のように活動を始める。ひとところにとどまっている水滴についてはいずれ陽の光を浴び蒸発して空へと帰っていくのさえ見える。


床に横になると、天井に開けられた大きな穴から、豊島の透き通った青空や風に揺れる緑が映り込む。ひたすら呆然とたたずむ自分の姿は、誰か他の人の視線があったら「清められている」と思わせるに違いないと想像した。

これまで世の中になかった、ありえない表現の中に身を置けることほど幸せなことはない。

そこには、美術家・内藤礼によるメッセージがあった。

「1秒1秒に対し、過ぎ去っていくこととの対峙」



豆知識:内藤礼(ないとうれい)
「地上に存在していることは それ自体 祝福であるのか」を問い、作品とそれをとりまく環境が対話する作品を制作してきた美術家。ひそやかで繊細な造形作品と、それを配置し鑑賞する緊張感のある空間からなるインスタレーション作品に世界から注目が集まる。1997年にフランクフルトの古い修道院を舞台にした作品「Being Called」を発表、国内では2001年直島/家プロジェクト「きんざ」を手がけ、2005年春に銀座ギャラリー小柳にて初個展デビュー。


                             内藤礼「母型」(写真:森川昇)


地上にひとつの場所 -香りの記憶-

豊島での衝撃的な体験は、「地上にひとつの場所」に出会った昂奮そのものだった。休んでいた神経細胞が急に活発に動きだした感覚。それは身体中にまとわりついて離れない「香り」とともに筆者の記憶となっている。島の美しい自然と再生の物語は、光と影が交差する時に生まれる「生命の香り」だったのではないか、そんな思いが日に日に増してくるのだ。

島中に放たれる夏みかんの花の甘い香り、海から立ち登る潮風の塩気を帯びた空気の匂い、真水の清々しい透明感のある味わいを感じる風の音、時折島の角角に漂う甘酸っぱい豊島いちごの酸味を帯びた香り、どれもが独立していながら、一つの「豊島」の香りを創り出しているように感じた。

東京に帰ってきても、島の香りの記憶が忘れられず、いつしか無意識にその香りを探すようになった。思い出は嗅覚とともに強く脳に残るというが、まさにその現象を今も体感し続けている。

                                 豊島 棚田脇を走る坂道



香りの言葉

ところで筆者は「カオル」という言葉の漢字に「香」を当てているが、「大漢和辞典」(諸橋轍次著)によれば、その表現には、「薫」「芳」「香」「肇」「匂」「馥」「臭」がある。かおりを表す文字はそれほど複雑な要素を含んでいるということだろう。

「薫」・・・高いかおりを発すること                「芳」・・・かおりぐさ、においぐさが本義。転じて良い香気、ほまれや美    しいものの例えを意味する。
「香」・・・本義は「黍(きび)」などの良い香りを指しているが、転じて「凡て、声、色、様子、味などの美しいこと」を意味している。
「馨」・・・良いにおいが遠くまで及ぶ事から、感化や名声が伝わる意味にもなる。
「匂」・・・「匂」→「韵」→「韻」と遡れる。「韻」は音の良い響きの意味で、例えば、「韻を踏んだ詩歌」のように用いられる。聴覚と嗅覚が互いに関わり合っているのを感じる国字。
「馥」・・・かおりが豊かの意で、香気が盛んな様子を表す。     「臭」・・・悪いにおいに用いられるが、元来、イヌがよく鼻でにおいをかぐ事から「犬と自(鼻)」とを合わせて「臭」の字を作った。


香りを生み出す、ということ

長年資生堂で香りの研究に携われた、調香師・中村祥二氏の著書「調香師の手帳(ノオト)」の中に興味深い話が出てくる。

調香師は、香料を作るときに「香調」を意味する「ノート」という言葉を使うのだそうだ。この「香りの言葉」は一般の人には分からなくても、それを使えば専門家同士どんな香りの組み合わせでも、どんなイメージか理解し合えるという。


豆知識:ノート 「ノート(note)」という言葉は、もともとは音楽用語。①楽器の音(sound、tone) ②楽譜や音符(key)③古語とか詩の調べ、曲調、旋律、歌(strain、melody、song)などを表す。

具体的には、こんな具合だそうだ。


シトラス・ノートーーーー レモン、オレンジ、ライムやマンダリンなどの新鮮で爽やかな香調。
スパイシー・ノートーーーー丁子(ちょうじ)やシナモン、ナツメグ、コショウなどのピリッとした感じのスパイスの香調。
アニマル・ノートーーーームスク(麝香)、シベットキャット、(麝香猫)からとるシベット(霊猫香)、ビーバーからとるカストリウム(海狸香)、マッコウクジラからとるアンバー(龍ぜん香)の四つの香調。
フローラル・ノートーーーージャスミン、スズラン、ローズ、バイオレット、ミモザなどの甘く華やかな香調。
ウッディー・ノートーーーー香料の世界では、この香りがそのまま使えるわけではない。調香の基本的要素は、元来は白檀、パッチュリ、ベチバー、セダーウッド、の4種類を指す。

香水を作る時、ローズやジャスミンや柑橘系など香水の主役と、その効果を上げ、主役の香りに広がりや持続性を持たせるムスクのような特別の素材を組み合わせる。しかし、実はどの香水にも必ずなければならない、香水の中心に位置するものがある。それが、ウッディー・ノートだという。香りの骨格、香りを支える裏の本体に位置する素材。
調香のノートの種類は、まだまだたくさんある、と著書には綴られている。さすが一流の調香師の見識は違う、とその経験と知識の深さに引き込まれていった。


「島の香り」との再会

ウッディー・ノートが香創りの中心である。その話は、妙に私を納得させた。その骨組みさえ守れば、どんな香りも作ることができるという話に、豊島で体験した「島の香り」に再会できたらどれほど素晴らしいだろうか、と妄想が膨らんだ。

そんなある日のこと。

銀座にあるアート本の専門書店(GINZA SIX 蔦屋書店)で何を探すでもなく回遊している時、「瀬戸内海の情景」というポップが目に飛び込んできた。書店で香水に出会うとは、ありえない奇跡と思いながら、真っ白い正方形の箱の裏を見ると、製造元に香川県の会社の名がある。もしや・・・・胸が高鳴る。「豊島 瀬戸内海の穏やかな香りをお届けしたくて創りました」とある。

SENSO del MARE -瀬戸内海の香り-

メッセージにこんな言葉が綴られていた                   広大な海と空の澄み渡るような情景を、トップのマリンと柑橘で爽快感を感じる香りに、その後穏やかで柔らかい風と海による自然の神秘を表現したミドルから静寂と鎮静を意識した甘く香るラストへと変化してゆきます。

【TOP NOTE】
・ベルガモット  ・オレンジ  ・レモン  ・ジンジャー
【MIDDLE NOTE】
・ガーデニア  ・アイリス  ・ジャスミン

「変化する香り・・・」か。柔らかい風と海と静寂と鎮静が対比する香りを前に、鼓動が止まらない。

創り手の熱を感じながらテイスティングをさせて頂くと、海から漂う透き通った風と湧き水を思わせる原生林のたたずまいが交わるような「香り」を感じた。そのオードトワレは、実に爽やかで、目を閉じるとあの日、あの時、心躍らせた時間を蘇らせてくれるようだった。


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エピローグ

なぜ、銀座の蔦屋書店に「島の香水」があったのか。後から分かったことがある。瀬戸内海を美しく元に戻す運動の中で生まれた「瀬戸内国際芸術祭」は、2022年には5回目の開催となり、今や世界中から島全体を使ったアート作品を体験するために訪れる人々で賑わっている。自然の循環と経済の循環を実現した豊島や直島はその中心となっているわけだが、3年に1度の開催の度に地元島人たちが工夫し開発したさまざまな商品の中から、瀬戸内海の自然に相応しいアート作品やアート雑貨が選ばれ活動資金の一助として販売されている。その活動に共鳴した銀座蔦屋書店が、瀬戸内アートフェスのコーナーを開設し、展示し協賛しているというわけだ。

そのお陰で筆者は身近に瀬戸内の香りを置いて、あの日の美しい出会いを鮮明に思い出すことができている。

           ーーー*ーーー

今日も銀座中央通りと裏通り路地の間に立ってみる。光と影が交差する瞬間に、やっぱり「香り」を感じるのは私だけだろうか。この香りが、光と影が織りなす「生命の風」の匂いだとすると、いつかこの香りを再現できるだろうか。そんな日がやって来るのを心待ちにしている。




2. 銀座情報  

◇銀座の手土産 ー鮭の専門店「王子サーモン」

銀座で手土産といえばスイーツをあげられる方が多いが、もらって嬉しいGinza Gualityの代表といえば、1967年創業以来「日本の鮭」のパイオニアブランド「王子サーモン」だろう。

この店の鮭愛は、銀座でしか扱わないシャケの種類を告知したこんな看板からも伝わってくる。

定番のサーモントラウトを、王子サーモンの燻製技術で香り高く仕上げた切り落としは人気がある。不定期に提供される150グラムのキングサーモンの「切り落としたて」を手に入れるために店を訪ねるのが楽しみだ。身質のプリプリ感と鮮烈な芳ばしさ、そして厚切りされたボリューム感は驚きで、しかも価格が通常よりリーズナブルで大満足の気分を味わうことができる。

そして保存できて料理にも活用できるのが、スモークサーモン・チップドライ。サーモンの旨味が凝縮されていて、ワンコインで購入できる「東京ドライサーモン」というお手軽商品も銀座では見つけることができる。鮭とばで作られたスモークサーモンは、北海道産の天然秋鮭を原料にしていて、ドライなのに脂の乗ったシャケの風味まで凝縮されているのが嬉しい。

おつまみやサラダなど活用幅も広い。風味と円味が強いドライサーモンは、野菜の甘味と相性が良いので野菜の種類は問わない。ドレッシングはクリーミー系が合いそうだ。

銀座「王子サーモン」には、パスタ「サーモン・カルボナーラ」や、脂の旨味たっぷりが詰まった「銀座おにぎり」などユニークで美味しい発見がたくさん用意されている。

サーモンの本物に出会える専門店↓


◇戦火をくぐり抜けたビアホールー銀座ライオンー

「サッポロライオン」(中央区銀座7丁目)が運営する「銀座ライオンビル」が、2022年2月登録有形文化財(建造物)として登録された。

地下1階から6階まであるこのビルは、現存する日本最古の老舗ビアホールとして大切に保存営業されてきた。元々は、サッポロライオンの前進である「大日本麦酒」の本社ビルとして1934(昭和9)年4月8日に完工され、同時に「ビヤホールライオン」(1階)も開店した。戦争による空襲を免れ、創建当時とほぼ同じ内装のままの佇まいで現在に残っている点が登録理由だという。ビアホールの内装は、「豊穣(ほうじょう)と収穫」をコンセプトとし、大地をイメージした赤れんがの壁大麦を表現した矢尻型の装飾の柱ブドウの房をモチーフにしたシャンデリアなどが施されている。店内正面にはビール大麦を収穫する女性たちが描かれた大型のガラスモザイク壁画の存在。この空間がますますビールの美味しさを際立たせるようだ。

一世紀以上受け継がれてきた銀座ライオンの生ビールの美味しさは、伝統の生ビール抽出方法「一度注ぎ」にある。ポイントは、注ぎながらグラス内でビールを回転させることにより、余分な炭酸ガスを抜いて、雑味を泡に閉じ込めるという技。すっきりとした爽やかな喉越しが「ビールは苦くて苦手」という人にも好評な理由である。
伝説のビール・マイスターの海老原清氏をはじめ、若手2人のビール名人たちも育ち、日々の研鑽によってその技術は次世代へと受け継がれている。

ビールの季節到来。コロナ禍での外食の落ち込みを取り返すべく、少しずつ賑わいを元に戻す手探りの営業が続いている。


3.  編集後記(editor profile)

「香」を求める旅を続けるうちに、興味深い話を知ることになった。

孔子が「香」によって悟りを開いた、という物語だ。
中国の紀元前5世紀初頭、周王朝の支配体制がくずれ、諸侯の対立構想が激化する春秋末の動乱期に、孔子は新しい説を唱え、衛、陳、宋、楚などの諸国を行脚したが、「法律ではなく道徳をもって国を治める」との理想を受け入れるには諸国の政情は厳しく、どの諸侯にも受け入れられなかった。失意のうちに生まれ故郷の「魯」(山東省)に帰る途中、孔子は、花は控えめだが香りが高い蘭に出会い、それに感じ入り「猗蘭操」という琴曲の詩を詠んだ。

蘭之猗猗,揚揚其香。不采而佩,於蘭何傷?
今天之旋,其曷為然?我行四方,以日以年。
雪霜貿貿,薺麥之茂。子如不傷,我不爾覯。
薺麥之茂,薺麥之有。君子之傷,君子之守。

        琴操十首(2)「猗蘭操」孔子傷不逢時作

現代訳の詳細は省くが、どこからともなく漂う控えめだが高い蘭の香りに接し、自らを省みて「自説を押し付けることの愚」を悟ったという意味である。孔子が「「日を重ね、歳を重ね努力しても報われない」と心を痛めている時に、蘭の香りでハッと心を確かにした、とも読み取れる。

嗅覚は五感の中でも太古から存在する原始的な感覚器だと言われる。嗅覚の情報は視聴覚の情報と違い、大脳新皮質を経由せず、本能的な行動や感情、直感に関わる大脳辺縁系にダイレクトに届くのが特徴だ。
そしてそれは脳の視床下部に伝わり、人間の生理的な活動をコントロールする自律神経系・ホルモン系・免疫系に影響を与えるため、心身のバランスを整えることもある。こうしてみると香りは一瞬にして脳を活性化し、感情をリセットするのに有効な手段だという説は、この孔子の悟りを持ってしても
確かなことだという気がしてくる。

孔子はこの悟り以来、家でひたすら修行した結果、教えを請う者が四方より集まったという。

「香」は人間の行動を変える、瞑想の効果を持つのかもしれない。

本日も最後までお読みくださり、ありがとうございます。
           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊





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