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こんな時だからこんな考え方は、必要だと思ったのでnoteでシェアさせて頂きます。
(yahoo! news 僧侶の説法より)


■そもそも生きがいは、なぜ必要なのだろうか


−「生きがいが無い人は、今後の人生をどう過ごしたらいいか」−

 例えば、会社員であれば、「一生懸命に勉強して一流大学に入り、
大学を卒業したら、一流企業に就職して仕事に打ち込み、管理職や
役員に出世する……」といったロールモデルが、
世間で持てはやされてきたように思います。

会社員としての「~せねばならない」が厳としてあるせいで、
理想と現実のギャップに苦しみ、何のために生きているのかを見失う方を、
大量に生み出してきたともいえます。


では、そもそも人間は、仕事の“やりがい”や人生の“生きがい”を
持たなければいけないのでしょうか? 

 “やりがい”も“生きがい”も私たち人間がつくり出した概念です。
勤勉であることを美徳とし、「働きがいや生きがいを持たないのは、
覇気のないダメ人間」という価値観をつくり上げ、思い込んできただけにすぎません。

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 コロナ禍によって、働き方や生き方が見直され始めたいま、そうした
“たかだか人間がつくり出した価値観”は簡単に揺らぎ始めています。

つまり、何か出来事が起こるたびに変わってしまうような価値観に立脚して、
「仕事のやりがい」や「人生の生きがい」を探し続ける必要はないように思います。

 仏教の教えでは、生きとし生けるものすべてが、かけがえのない
貴重な存在です。もちろん人間も例外ではありません。
人間としてこの世に生を受けるということ自体が、
天文学的な確率で、まさに奇跡といってもいいからです。

つまり、人間は幸運の結晶であって、誕生した瞬間に
今生の目的を達成しているわけです。

のちの人生での出来事は、すべてオプションの「おまけ」
いってもいいでしょう。
もともと生きているだけで儲けものですから、あとはいかに
楽しく徳を積むかだけです。

 もちろん人生を無為に送ってしまうのは残念ですが、さりとて
「~しすぎ」ることも、同じくらいよくありません。

健康を害したり、家族や友人との関係を犠牲にしたり、目標を
達成できずに失意のどん底に落ち込んだりしては、かえって逆効果になるからです。


 仏教では「中道」といいますが、何事も「よい塩梅(あんばい)」に
取り組むのがベストでしょう。

 ビジネスパーソンにありがちなのですが、「仕事を認めてもらうため、
もっと頑張らなくては」「会社でもっと出世しなくては」などと焦って仕事を
しすぎ、自分を追い詰めてしまわれるのはよろしくありません。


■ありがとうの響きが自分を守る結界となる

 生きているだけで儲けものと申しましたが、この世には不条理な
出来事も待ち受けていて、さまざまな不幸やトラブルに遭遇します。
そうしたときには、どうすればよいのでしょうか。

 まずは、ありきたりですが、基本に戻り、人間として生を受けた幸運を
噛みしめ、世の中への感謝を口にすることをお勧めしたいです。
自分の気持ちが落ちているときは社交辞令のようになってしまうかも
しれませんが、それでもかまいません。

とにかく感謝の言葉を口にし続けることが大切です。
自分が発した「ありがとう」の響きは、自らを守る結界となってくれます。


 次に、マイナス思考を停止することをご提案します。
私たちには、つながる鎖のように思考を追いかけるクセがあります。

例えば、心配事があればそのことが頭から離れなくなるし、嫌いな人が
いればその人のことばかり考え、不愉快な思いを募らせてしまいます。

それは、自分で自分を不幸に追い込むクセです。「負の感情を持っては
いけない」のではなく、「負の感情を持っている自分に気づいてやめる」という作業です。

■どんな苦難もずっと続くことはない

 そして最後に、すべては諸行無常と心得てごらんになってはいかがでしょうか。
「苦あれば、楽あり」との言葉にもあるように、どんな苦難も
ずっと続くことはありません。
流れゆくそれぞれの出来事を学びの機ととらえ、成長の原動力ととらえるのです。


中高年となり人生の後半戦に突入ともなれば、
「人生はもう先がない」と、諦めや失望に打ちひしがれる方も少なくありません。

私は、看護師・僧侶として、余命いくばくもない方のお話を数多く聴かせて
いただいておりますが、残された時間が少ないと知ると、
「何のために生きてきたんだ」「もう生きていても仕方がない」など、
元気な頃の生活では見ることのなかった心の奥底のお気持ちを
吐露される方が多くいらっしゃいます。

最近は、「後悔なく死ぬにはどうしたらいいか」という
ご質問も多くいただくようになりました。

 もちろん正解などありはしませんが、「後悔なく生きた“今日”の
積み重ねが、後悔のない“死”をつくるのではないでしょうか」と
お答えするようにしております。

後悔なく今日を生きるためにも、原点に戻って生まれてきたことや
世の中に対する感謝の念を思い出していただきたいのです。

心穏やかにお過ごしになれば、いままで気づかなかったものの
価値が見えてくるかもしれません。

実際に、がん患者さんの中には、余命を告知されてから、「当たり前の
風景が愛おしく、輝いて見えるようになった」とおっしゃる方もいらっしゃいました。


 お釈迦さまは、そういった人間の底力を深く信じていらっしゃったのでは
ないかと思っています。

というのも、お釈迦さまの教えである「法(ダルマ)=不変の理」は、
生き方や考え方を押し付けるものではなく、「このやり方を、自分で
試してごらんなさい」というものだからです。

 お釈迦さまの入滅の前、弟子が「あなた様がこの世にいなくなってしまったら、
これから何を頼りに生きていけばいいのですか」と問いかけたところ、
お釈迦さまは、「自らを灯火とし、自らを拠り所にしなさい。
法の教えを灯火とし、法を拠り所にしなさい」とおっしゃいました。
(「自灯明法灯明」)。


 このように、仏教の教えでは、自らの心の持ちようをコントロールし、
自分と向き合い心を修めていくことが要となります。
幸福になるのも、不幸になるのも、自分次第というわけです。


 あなた様の明日が明るい灯火に照らされますよう、
心からお祈りさせていただきます。


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玉置 妙憂(たまおき・ みょうゆう)
看護師・僧侶

看護師、看護教員の免許を取得後、夫の“自然死”という死にざまが

あまりに美しかったことから開眼し出家。高野山にて修行をつみ高野山

真言宗僧侶となる。『頑張りすぎない練習 無理せず、ほどよく、

上手に休む』など著書多数。
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2020年は、様々なことが起こり歴史の大きな転換期となっていす。

私たちの生活や心にもその影響は訪れています。
どうにもならないことには、立ち向かいようもありませんが、
『自分の心』だけは、自分で管理できるものだと思います。

揺れる時代に、自分まで揺さぶられることのないように
【不動心】を養っていきたいと思います。





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