ギノ

在宅フリーランサー。ウェブ制作/ウェブディレクター、マーケティング全般。2012年独立…

ギノ

在宅フリーランサー。ウェブ制作/ウェブディレクター、マーケティング全般。2012年独立。国際結婚。可愛い妻と2才娘と4才息子と猫2匹で生活中。

最近の記事

手作りのプレゼントでがっかりされた思い出など

5歳の息子は、最近絵を描いたり、ものを作ったり、手紙を書いたりするのが大好きである。 幼稚園の預かり保育から帰ってくると、「パパ、これパパにプレゼント!」とお菓子の箱やチラシなどをセロテープでグルグル巻きにしたようなモノをくれる。 それは安定の悪いロケットだったり、雑草を飾った花瓶だったりするわけだけど、捨てるわけにもいかず、仕事場であるデスクの周りにはそういうものが散乱してる。 夜は夜で、「パパ、これ壁に飾って!」と嬉々として、画伯並みの絵を持ってくるので、壁中ベタベ

    • 長かった長かった4月・・・

      毎月1日は近くの神社へ一日参りに行く。 これは、スナックを営んでた商売人の母親の影響で、母は必ず一日の朝に神社(近所にとても立派な神社があった)にお参りに行っていた。 子ども心に、一日参りは楽しみで、小学校に登校する前だから6時ごろに支度をして、母親と一緒にお参りに行くのが楽しみだった。 特にお目当ては、神社前の表参道にある定食屋さんでの朝食。 ここで、朝からカツ丼もしくは神社前そばを食べれるのが、嬉しくてしかたがなかった。 スナックを営業していて、夕食も僕や妹と一

      • 自分を取り戻すための「よかった探し」

        いつの間にやら新しい年になった。 毎年せっせと妻はおせちを作ってくれてたのだが、今年は子どもたちの食べたいもの、自分たちの食べたいもので。できるだけ妻の負担を減らす方向で。 妻は自分用に激辛のお鍋を作って食べてたし、4才になる長男はアンパンマンカレー(レトルト)、2才のおちびちゃんは胡瓜とおにぎりをほおばっていた。 ぼくはスシローのテイクアウトと昼間からビールを堪能した元旦だった。 このnoteは、ずっと書かなきゃという気持ちに追われながら年末を迎えてしまった。本業の

        • 素敵なお隣さん

          この地に移住してきてからというもの、決して広いとはいえない二階建てのメゾネットタイプのアパートに住んでる。 庭というほど立派ではないが、一階には4畳ほどの庭もついている。 一棟には、二世帯が住むことができて、壁を一枚挟んでお隣さんだ。 ここに引っ越してきて、もう4年目になろうとしているのだけど、その間にお隣さんが次々と入れ替わった。 玄関のドアをあけて、数歩で隣の玄関までたどり着くのに、お隣さんのことはほとんど知らないし、あまり挨拶もしたことがなかった。 去年の6月

        手作りのプレゼントでがっかりされた思い出など

          2ヶ月目の「僕が僕であることをちゃんと取り戻す」

          「本来の自分を取り戻す」という名目でnoteで書き始めてから、もう2ヶ月。 「僕が僕であることをちゃんと取り戻す」ことを意識しながら過ごしている影響なのか、最近やたらと過去に関わりのあった人々を思い出す。 なんの前触れもなく急に思い出すので、「わぁ、こういう人がいたな!」と驚いてしまう。 そうそう、昨夜なんて僕がまだ小学生低学年の頃にまだ若くして亡くなってしまったおじいちゃんの夢をみた。 同居はしてなかったけど、近くに住んでて遊びやお泊まりに行くたびに可愛がってくれて

          2ヶ月目の「僕が僕であることをちゃんと取り戻す」

          結婚記念日、妻と乾杯しようと準備してたのに寝落ちしてしまった話

          9月15日は、6回目の結婚記念日だった。 「ランチにママの好きなものを食べに行こうか?」 そう妻に聞いたのだが、「うーん、別に食べたいものもないし、簡単に家で済ましちゃお。」という答えだった。 でも結婚記念日だから、せめて夜になったらゆっくり乾杯でもしようかと、近所のスーパーで僕はプレモル、妻はトリスを購入した。 ちなみに妻は酒豪である。 自分も決して弱い方ではないと自負しているが、ウィスキーをストレートできゅっ、きゅっと飲み干す妻には敵わないことを認めざるを得ない

          結婚記念日、妻と乾杯しようと準備してたのに寝落ちしてしまった話

          ヤスオ兄ちゃんの思い出

          自分らしさを取り戻すということを意識しながら過ごして早1ヶ月になる。 時折思い出すようになったのが、幼少の頃に可愛がってくれていた人たちだ。 母はスナック喫茶を営んでいて(昼間は喫茶店、夜はスナック)、常連さんも多かった。自宅の半分を改装してお店スペースになっていたので、壁を一枚挟んで住居とお店と分けられていた。 母は夜中までお店に出ていた。僕と妹の世話はほとんど祖母がやってくれていた。 寝るのも祖母とだったので、母と接するのは、朝食の時だけ一時的に起きて登校を見送っ

          ヤスオ兄ちゃんの思い出

          みんなと一緒に右倣えできない性格は今も健在でした。

          『noteを始めました。』にもちょっと書いたけど、 僕はまわりが「うわぁー」とばかりに始めたり、興味を持ったりすると、「あ、もういいや...」ってなってしまい、一気に熱が冷めてしまう。 周囲が一斉に同じ方向を向くと、自分だけ別の方向を向きたくなる。 流行し始めるともうダメだ...先日『NoCodeとの付き合い方。「キミに決めた!」』というnoteを書いた。なんだか書きながら違和感をぬぐえなかった。 なぜなら、その時点でブログやnoteなどで「ノーコード」について書かれ

          みんなと一緒に右倣えできない性格は今も健在でした。

          NoCodeとの付き合い方。「キミに決めた!」

          今年4月くらいから、急にNoCode(ノーコード)界隈が騒がしくなってきた。 そもそも、1年前なんて「NoCode」って言葉さえほとんど使われてなかったのに、この爆発的な広まりには驚いてしまう。 僕が初めてNoCodeという言葉を知ったのは、しんじさんのこの記事をみてから。 NoCode(ノーコード)という言葉を知っていますか?プログラムのコードを直接書かないで様々なアプリケーションを作ることのできるツールの総称です。 おそらくこの一文が、僕にとってNoCodeという

          NoCodeとの付き合い方。「キミに決めた!」

          ノーコードではなく、ノーミートの話

          妻はベジタリアンだ。 ベジタリアンといっても、いろいろなタイプがあるんだけど、妻は肉魚は口にしないが、卵や乳製品は食べるタイプのベジタリアン。 ヴィーガンみたいに、卵や乳製品を食べないというのは妻にとっては信じられないそうだ。なぜなら、チーズ、ケーキ、アイスクリームが大好物だから。 ぼくにとっては、それと同じくらい美味しい唐揚げやお刺身が食べられないというのは信じられないことなんだけど。笑 そんな妻が食事に出してくれるものはベジタリアン料理なので、必然的に我が家の食卓

          ノーコードではなく、ノーミートの話

          もし5億円手元にあったら僕は仕事をするのだろうか。

          タイトルを塩谷舞さんのツィートから引用させてもらった。 初のnoteの定期購読もさせていただいて、最後まで塩谷舞さんの文章を読める感動にひたってるわけだけど、それはさておき 「もし5億円手元にあったら僕は仕事をするのだろうか。」 という問いかけには、「お、おお...?」となった。 「1億円あったら」ということは、夢のような話だよね〜と思いながらも、マイホームやらクルマやら、欲しいもの購入してたらあっという間になくなっちゃうね、というレベルで考えたことはある。 でも「

          もし5億円手元にあったら僕は仕事をするのだろうか。

          結婚5年目。一度も夫婦喧嘩をしてないということ。

          昨日書いたnote。 なんと塩谷舞さんに読んでいただけるという胸躍る体験をした。 Twitterで感想までいただいて。 これは嬉しいなぁ! こんなサプライズなご縁をもらえるなんて、ますます書くことが好きになりそう。 それにしても、noteをシェアすると書き手さんに通知がいくんだ。 知らなかった。 僕にはもったいない女性との結婚話今日は妻との夫婦生活について書いてみる。 妻は台湾の最大都市である台北出身。 超がつくほどの都会っ子で、嫁いで日本の片田舎にくるまで

          結婚5年目。一度も夫婦喧嘩をしてないということ。

          noteを始めました。

          すっかり真夏日。 note始めました。 ブログだと書こうとして手が止まってしまう。ブログは今までにいくつか運営してきたし、今も運営してるのがある。 ブログをブランディングに活用したり、小銭を稼いでるのもあるんだけど、最近なんか違う。ブログを書くことが正直しんどい。 仕事でWeb制作やディレクションをやってて、独立してからというもの当たり前のようにWebライティングやらSEOの勉強をしてきた。 と、まぁそれらが悪い意味で自分が文章を書くということに関して足かせになって

          noteを始めました。