手作りのプレゼントでがっかりされた思い出など
5歳の息子は、最近絵を描いたり、ものを作ったり、手紙を書いたりするのが大好きである。
幼稚園の預かり保育から帰ってくると、「パパ、これパパにプレゼント!」とお菓子の箱やチラシなどをセロテープでグルグル巻きにしたようなモノをくれる。
それは安定の悪いロケットだったり、雑草を飾った花瓶だったりするわけだけど、捨てるわけにもいかず、仕事場であるデスクの周りにはそういうものが散乱してる。
夜は夜で、「パパ、これ壁に飾って!」と嬉々として、画伯並みの絵を持ってくるので、壁中ベタベタと絵が貼ってあるし、仕事用の書類や本を置いてる棚にも絵やオブジェで溢れてる。
困るなぁと思う反面、息子がいつも書いてくる絵(家族が笑ってるやつ)がなんとも楽しげで可愛らしいのだ。最近ひらがなも覚えてきたので、なにか暗号のようなものが書いてあるんだけど、よくよく解読すると「よくがんばったね」とか書いてあったりして、笑ってしまう。
そういえば、自分も子どもの頃はよく漫画っぽい絵を描いたり、お菓子の箱や親父が飲んでる瓶ビールの蓋なんかで、なにか作っては満足していたような記憶がある。
まぁ、おもちゃなんて買ってもらえなかったし、図書館で借りてきた工作の本をみながら、ガラクタを作って楽しんでいたっけ。
自分もそうだったな〜と苦笑しつつ、ちょっと苦い思い出を思い出した。
小学2年生の頃だったか、クラスの女の子に誘われて、誕生会だったか、クリスマス会だったか、ちょっと忘れたけど、その子の家にお呼ばれしたことがある。
男女合わせて6人くらい招待されてたのかな。
みんなでプレゼント交換をするから、なにかプレゼントを用意するようにとのことだった。
そこで、気合を入れて、石鹸箱やら折り紙やらでプレゼントを作った。なにを作ったのかは覚えてないけど、おそらくおもちゃっぽいのだろう。
当時の自分は、手作りのプレゼントは必ず相手に喜ばれると、子ども心にそんな思い込みもあったように思う。
さて、ここからは忘れもしないシーン。
ケーキを食べ終わったあと、プレゼント交換タイムになった。
みんながカバンから取り出したプレゼントをみて、びっくり!!
みんな「買ってきたモノ」なのである。
キラキラした綺麗な包装や袋に入ってて、そう、ファンシーなグッズたちなのだ。
いっぽうボクが手にしてるのは、頂き物のお菓子が包んであった包装紙で包まれた、ガラクタみたいな手作りおもちゃ。
みんなで円になって、歌いながらプレゼントを隣の人に回し始めた。歌がおわったときに、手元に残ってるものをもらうことができる。
ひととおり歌い終わると、ボクの手元には透明な袋にはいったキラキラした文房具のセットが残った。
最悪なことに、ボクの作ったものは、ボクを誘ってくれた(しかもボクはその子に気があった)女の子のところで止まっていた。
その子が包装紙を開いて、ちょっとがっかりしたような表情になったのを忘れもしない。
まさか、みんながお金を使ってプレゼントを用意してくるなんて思いもしなかった。ボクは心底その子に申し訳なく、恥ずかしく思った。
帰り際、その子に「あんなんでごめん。」と謝った。
「手作りが嬉しいから・・」と言ってくれたような気もする。
それがきっかけで、自分の作ったものや書いた文章を人にあまり見せなくなった。
ボクなんかが作ったものより、買ったモノのほうが相手に喜ばれる。
自由に文章や4コマ漫画を書いて人にみせていたのが、日記になった。
人前で歌うのが好きだったのに、お風呂で歌うようになった。
人に自分の正直な気持ちを伝えるのが、苦手になった。
それから何十年もたった今でも、自分のなかに「どうせ自分が作ったものなんて・・」というちょっと闇落ちした自分がいる。
やはり自分をさらけだすというのは苦手だ。
そんな自分がいるのを改めて掘り出して対峙してたところ、塩谷舞さんの文章にこんな一文が。
“英国の教育省が発行している保育のガイドラインには、”3歳4ヶ月から5歳まで”に子どもに身につけさせたい到達点の一つに、「自分の権利のために立上がる自信と能力を示す」という目標があるのだそう。”
小2の自分に「自分の権利のために立上がる自信と能力を示す」ということが身についていたら、自分の手作りおもちゃの魅力を堂々と披露することができたかもしれない。
「ボクの作ったものが好きな子のところに行って、ラッキーだ!」とくらい思えたのかもしれない。
今のボクにも全く欠けている「自分の権利のために立上がる自信と能力を示す」という考え方。これは息子には身につけて欲しい。
「みんなと同じじゃないと間違ってる」そんなのはクソ喰らえと、今まさに自我の塊である息子にはこのまま主体性を保って、自分は自分でいいんだと自信を持って育ってほしいと思う。
先ほど息子を自我の塊と表現したが、本当その言葉の通り。
自分の思い通りにならないと、怒って主張してくる、それでもダメだと泣くわめく。親としては我慢させようと躍起になる。我慢も大事だと教えなくちゃと怒鳴ってしまう。我慢できてないのはどっちやねんって話。
きっと「自分の権利のために立上がる自信と能力を示す」を身に付けてないと、自我というものはいとも簡単に埋もれてしまうんだろう。
ボクは埋もれている自我を掘り起こしてる最中。自分探しではなく、自分を取り戻そうと意識しながら毎日を送るようにしている。
このnoteを始めたときより、だいぶ自分を取り戻してきたんじゃないかな。
息子を見習って、自我ビームの出力をもっと上げれるように強く、かつ自分らしく生きたい。
また、息子に「君は君のままでいいんだよ、君には君の権利があるんだよ」と自信を持って教えれるような親父になりたい。
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