宇宙の片隅で
ぼくはこの小さな惑星から離れたことが一度もない。もうどれくらいの時間を先生とふたりきりで過ごしたろう。先生はいつも通りモニターに向かって作業をしている。ぼくはその背に向かって声をかけた。
「先生、宇宙に出かけましょうよ」
「ごめんなさい。何度言われてもそれはできないんです。あなたは私の仕事を見ていてください」
先生はぼくのことを「あなた」と丁寧に呼ぶ。どうしてかは知らない。けれど、先生のそういうところもぼくは好きだった。
「なぜです? 一度くらいよいではありませんか。毎日働き詰めなんですから、少しの間遊びに出かけたってバチは当たりませんよ。こんながらんどうの惑星にたったふたりきり。退屈で頭がおかしくなりそうです」
「それでも、この仕事だけは止められませんから」
きっぱりそう言って、先生はこちらを振り向きもしなかった。ぼくはお構い無しに続けた。
「それに仕事をしている先生はいつもつらそうです。先生のためにも言っているのですよ。一切のことを忘れて、ふたりでロケットをつくって出かけましょう」
「私だってそうしたいがダメなのです。そういう約束なのです。いずれ分かる日がくるから今は我慢してください」
断られたぼくはボコッと突き出た地面に腰かけ、先生の背中を見つめる。先生の考え方は理解できないことが多い。そこまで捧げなければいけない仕事なのか?
先生は相変わらずモニターから目を離そうとしない。モニターには、大量の銀河系が映し出されている。注意深く見るために拡大して、また全体図に戻した。何かの様子を観察しているみたいだけど、一体何をしてるのかは分からなかった。
「その約束とは誰との約束ですか。これまで先生の知人がこの星に訪ねてきたことはありませんけど」
「いずれ分かりますので。その時がきたら教えます。すみません」
そう言っている先生はまた一層つらそうに見えた。
ぼくは先生を愛していた。なぜなら、ぼくは先生につくられたロボットだからだ。ロボットがつくれるんだから、ロケットもつくれるだろうに。なぜ、先生はこの星を出ようとしてくれないんだろう。
先生との生活は、分からないことばかりだ。
数日後、先生が倒れた。立ち上がり、イスから手が離れたその時だった。こんなことは今まで見たことがない。突然の出来事に慌ててかけよると「心配ない」と先生は弱々しく言った。その響きには、何かの終わりが近いような気配があった。
「先生、無理をしすぎではないですか。やはり仕事などやめてしまいましょう」
「……そろそろ限界のようですね。もうそれだけの時間を過ごしたということなのか。ならば、あなたにお話しをする時です。わたしたちのことについて」
先生の目になっているライトがパッ、パパッと不規則に点滅していた。先生は宇宙を指して言う。
「いいですか、私たちふたりの使命は、この宇宙を管理するというものです。宇宙は誰も管理せずに放置してしまえば、隕石同士の衝突が頻発し、多くの惑星が影響を受け消滅してしまう。あなたが旅してみたいと言っていたこの宇宙は、実はこれまで私たちが守ってきたんです」
上げていた右手がだらりと力なく地面に落ちた。先生の指の腹辺りは磨耗して光沢を放っていた。
「そうだったのですか。でも守っていたのは私たちではなく、先生ひとりです。ぼくは何もしていませんから。それならこれからは私が責任を持ってお継ぎします」
「いや、私たちなのですよ。もうひとつ、あなたに伝えなくてはなりませんね」
先生は、ずっと宇宙を見上げている。
「すでに分かるように、私の体はボロボロです」
先生が言うのと同時に、宇宙から小さなロケットがまっすぐ飛んできて着陸した。まるで何度も何度も繰り返し行われてきたかのような、迷いのない精密な着陸だった。
「送られてきましたね。メンテナンスの合図です」
「なんです、どこからのロケットですか?」
先生は錆びた自分の体の部品を自ら外していく。
「なにをしているんですか先生」
「あれは星からのロケットです。私たちの管理者の住む星からの。中には私のための新品の部品が入っています」
「どういうことですか? ぼくらは一体?」
「私はもうじき動くかなくなり、意識もなくなります。その新品の部品を仕事の合間を見てでいいので、使いものにならなくなった部品と交換して組み立ててほしい。そうすれば、また七十年ほどはもつそうです。実際に私もそれくらいだったので間違ってないですね」
「新しい部品と交換して、先生はまた動けるようになる。そういう話じゃないですか」
「いえ、ロボットというのは、はじめ感情が起こりません。新しく組立てたらずっと動かないままです。ただ、やがて五十年も経てば感情が宿り、自ら動き出します。しかし宿るのはもう私のそれではありません。記憶もなにもかもなくしてしまっているので、私として話かけてはダメですよ」
「さっきからなにを言っているのです。先生の姿をした別人になるということですか? そんなことって」
すでに先生の身体は半分ほどになっていた。
「それなら最初から最後まで機械のままでいいのに」
「ふ、わたしも同じくそう思いました。でもこの作業は非常に高度で、かつ条件にパターンがない。相手はこの広い宇宙ですから。無感情な計算だけではうまくいかないと断定された、そのうえで生まれた私たち、だそうです。本当かは分かりませんけどね」
「いやだ。納得いきません」
「それでも、そのようにしなければなりません。私たちはずっとずっとそうやってこの宇宙を守ってきました。そのためだけに作られたマシンなのです。約束です。頼みましたよ……じゃあ」
先生はバラバラになり、ガラクタの山となってしまった。
ぼくは、なぜか自然と立ち上がって仕事をはじめた。さっきまで何も受け入れまいと決めていた。なのに急に、はじめなければいけないと思ったのだ。モニターに向き合うと、不思議とやることが分かって手が動く。それが何よりむなしかった。
やっと分かりました先生。今、ぼくの姿は、あなたとそっくりだ。
いつもありがとうございます。いただいたサポートはすべて創作活動に投資します。運用報告はきちんとnoteにて公表。そしてまた皆さんに喜んでもらえるものを提供できるよう精進いたしますので、何卒よろしくお願いします。