趣味がない。というのは多くの人が抱える悩みのひとつだ。昔の人からすれば贅沢な話だろうが、現代はできることの選択肢がありすぎる。選べるというのは、悩むということとほぼ同義で、つまり自由主義が生み出してしまったストレスということだ。
かくいうわたしも、趣味が見つからず休日を持て余している多くの現代人の仲間である。だから先日、友人が教えてくれたサイトに登録してみた。それは「趣味提案」というやつで、自分の情報をいくらか入力すると、この世ありとあらゆるものの中から、わたしに適したのを新しい趣味としてすすめてくれる。無数の選択があるなかで、他者から背中を押されるというのは非常に心強い。
ときには「こんなことも趣味といえるのか」と、聞いたこともないアクティビティや、なんとも地味な遊びなどを提案してくることがあった。しかし、どれだけニッチな趣味といえど、都会にはその道を行くのがいくらかいるもので、そのコミュニティに入ればある程度の盛り上がりはあった。逆に言えば、日陰であればあるほど仲間意識が強くなり、内側の熱量は猟奇的であった。
わたしは、趣味提案がすすめてきたものは次々にチャレンジした。しかし、どれも長続きしなかった。自分に向いているはずなのだが、思うようにうまくできない。そんなときわたしは、周りから嘲笑されているような気分になり嫌気がさした。
たしかに人並みにはすぐにやれた。ところが、いつもそこから上達の速度が極端に落ちる。これだけ時間をかけて、ここまでのものかと落胆するばかりだった。こんな程度ではなんの自慢にもならない。
それにどれだけやっても必ず上には上がいて、目立つことはできないし、自分の才能をみじめに感じた。自分の土俵はここではない。もっと自分に向いているものがあるはずだ、と思わずにはいられなかった。
というか、こんな気持ちにならないよう趣味提案を利用しているのに、これでは話が違うではないか。そもそも最初から怪しいと疑っていたが。
わたしはサービスに電話をかけた。
「はい。もしもし」
「おたくの趣味提案なんですがね。ほんとうにわたしに適したのを紹介してくれているのでしょうか。色々試しているのですが、大抵うまくできません。むしろできないことの方が多くてですね。例えばこの間は……」
「……はぁはぁ。なるほど、分かりました。お話を聞かせていただいたところ、弊社のツールに異常はなさそうです」
「じゃあなんなのですか」
「問題があるのは、申し上げにくいですがお客様の方かと」
「はて。どういう意味でしょう」
「つまりその、お客様は、自分のどこかにすぐれた才能があると思いこんでいる。それがそもそも誤りなのでは」
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