子育てエッセイ(番外編) : 僕が亡き義父に奥さんとの結婚を認めてもらいに行った日 娘がパートナーになる彼を紹介してくれた日
1990年、僕はスーツ姿がで菓子折りを持って1軒の家に向かっていた。
そこで、僕の彼女の両親と彼女の兄夫婦と彼女が
僕が来るのを待っていた。
その日僕は、彼女の両親に彼女との結婚を認めてもらうためにお願いに行くことになっていた。
家の前で彼女が少し不安そうに待っていた。
玄関を開けると彼女の母親が来たので、僕は挨拶をした。彼女の母親は、よく来てくださいましたね、
と言って来客用のスリッパを出してくれた。
応接間に通された。
そこにはスーツ姿の彼女の父と兄夫婦が座っていた
僕が彼女の父の前に座ると彼女の母がその隣に座った。
僕は彼女と結婚させてくださいと言って、手をついて頭を深く下げた。
そして頭を上げると、彼女の父は黙って腕を組んで座っていた。彼女の母も兄夫婦も彼女自身も心配そうに、ことの成り行きを見守っていた。
彼女の父が咳払いをしてからこう言った。
「何時でも、どんな時でも、ふたり仲良く。」
僕はありがとうございますと答えた。
彼女もお父さんありがとうと言った。
場の雰囲気が急に和んだ。
彼女の母
「ユウキさん、足を崩して楽に座ってください。」
彼女の兄
「鈴原さん、珈琲がいいですか?ゆっくり飲みましょう。」
珈琲とケーキを頂きながら彼女の家族と話しをしていると、彼女の父が肉を買いに行って来る、と言って出かけた。
彼女の母
「ユウキさん、夕ごはん食べて行ってくださいね。
もう、家族なんですから、遠慮しないでください。」
夕食はすき焼きだった。彼女の父は1番高い牛肉を買って来てくれた。
夕食が始まると彼女の父がすき焼きを作り始めた。
僕が恐縮していると、彼女は、私のお家ではすき焼きはお父さんが作るの、心配しないで、と言った。
彼女の父は、ユウキ君、遠慮しないで食べなさい、
と言って、僕に肉や焼き豆腐やしらたきやネギを沢山とってくれた。
ふと彼女の父を見ると、目に涙を浮かべていた。
すき焼きの最後に餅が出て来た。
彼女は、私のお家ではすき焼きの最後は、うどんではなくてお餅を入れて食べるの、お父さんはお餅が大好きだから、と言った。
初めて、すき焼きの餅を食べたが、僕はうどんよりも餅の方が美味しいと思った。
食後、お茶と果物をご馳走になり挨拶をして帰った
彼女の家族と彼女が僕が車を停めてある、近くの
神社の駐車場まで送ってくれた。ところが、途中で
彼女の父だけが引き返した。
その時、彼女の父は小さな声で囁いた。
他の人たちには聞こえなかったみたいだが、僕には
聞こえた。
彼女の父はこう囁いた。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
2年前の冬、僕が住む長野県の諏訪湖に何年か振りで御神渡りが出来た。
諏訪大社上社の建御名方命という男の神様が、
諏訪湖の対岸にある諏訪大社下社の八坂刀売命という女神様に諏訪湖の氷上を歩いて渡って会いに行く時に出来ると言われている。
長女の彼がそんなロマンチックな自然現象を見てみたいと言ったことから、長野県に来て長女の彼が僕たち夫婦に結婚を認めて欲しいとお願いに来ることになった。
僕は娘たちが結婚したい相手を連れて来たら、
何も言わず賛成することに決めていた。
1番の理由は自分が好きな人と結婚することが幸せだと考えていたからだ。
もうひとつは、自分の娘を信じているならば、
自分の娘が選んだ人は信頼出来ると考えていたからだ、娘が選んだ人に対して反対するのは娘を信じていないことになると僕は思っている。
奥さんにもこのことは了解してもらった。
そして奥さんに、義父と同じ言葉を使わせてもらう
ことを認めてもらっていた。
上諏訪駅に迎えに行き、そこで長女からパートナーになる彼を紹介してもらった。
今時の髪型をした、スラッと背の高い青年だった。
同じ大学で知り合ったと言った。
僕たちは近くの古民家カフェに入り珈琲を頼んだ。
改めて挨拶をした。
誠実で優しそうな青年だと思った。
その青年は、顔を少し赤くして緊張しながら、
結婚させてくださいと言って丁寧に頭を下げてくれた。自分もこんな感じだったのかなぁ、と思った。
僕は、義父と同じ言葉を使わせてもらった。
何時でも、どんな時でも、ふたり仲良く
と言うと、その青年はありがとうございますと言って又頭を下げてくれた。
長女も、お父さんありがとうと言った。
お昼ごはんの時間になった。
彼が、信州に来たから信州蕎麦を食べたいと言ったので、蕎麦会席の店に行った。
彼は、蕎麦がきを素揚げして餡をかけた料理と、
殻を取った蕎麦の実を茹でて、温めた蕎麦つゆに入れて、ワサビを少し入れスプーンで掬って食べる料理を特に美味しいと言って食べてくれた。
最後に冬だったので温かい蕎麦を勧めたが、
ざる蕎麦が食べたいと言ったのでざる蕎麦を食べた
食後、長女と彼はふたりで御神渡りを見に行った。
その姿を見送る時、義父が言った
老兵は死なず、ただ消え去るのみ
という言葉を思い出した。
あれから、30年近く経って漸く、この言葉を囁いた義父の気持ちが分かった。
義父は今から10年以上も前に病気で亡くなった。
僕はその後の人生で、義父が涙を浮かべなから作ってくれたすき焼き以上に美味しいすき焼きを、食べたことはなかったと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?