子育てエッセイ : 子どもは社会的地位ではなく、その子の基準で親を判断する
先日、銀行のATMで僕の隣の中年の男性が、ATMでお金を振り込むのを銀行の女性に教えてもらいながらやっていた。
僕がお金をおろすと、その男性も振り込みが終わり出口で待っていた中学生の男の子に
「お父さん、あんなことも出来ないのかよ。ラインで写真も送れないし、ダメだなぁ。」
と言われ、
「ダメとはなんだ!お父さんは部長になったんだぞ!」
と言って怒った。
そのお父さんは、会社では優秀な社員で立派な部長さんなんだと思う。でも、中学生の息子さんには、
ダメ出しをされたのだ。
僕が小学生だったのは1970年代だが、この頃の小学生の男の子は父親をこんな風に自慢していた。
「俺の父ちゃんは大工だ!あのデッカイ家は俺の
父ちゃんが建てたんだぞ!」
「俺の父ちゃんは消防士だ!消防車に乗って火事を消しに行くんだ、カッコいいんだぞ!」
「俺の父ちゃんの握る寿司は世界一旨いんだ!」
僕の父親は大型トラックのドライバーをしていた。
友達に
「ユウキの父ちゃんは、あんなデッカイトラックが運転出来るのか、スゲーな!」
と言われた時は嬉しかったし、自分の父親を誇らしく思った。
子どもは特に小学生の頃は、子どもにも分かる職業の父親の方が子どもに尊敬されやすい。
大企業の財務部の課長だと言っても、子どもには
分からない。
僕は長野県に住んでいるが、父の実家は長野県の
南の地域にある。
長野県の南の地域では猟師さんがいて、猪や鹿を
獲ってその肉を食べる。今で言うジビエ料理を食べて僕は育った。
猪は何人もの猟師さんが協力して狩る。猟師さんたちが山から猪を追って来て、待ち構えているベテランの猟師さんが銃で猪を仕留める。
そして皆で肉を捌き、ぼたん鍋にして食べる。
僕も何回かご馳走になったことがあるが、猪の肉は
美味しい。猟師さんたちの子どもは皆、ぼたん鍋を食べながら猟師である父親を尊敬の眼差しで見ていた。父親が自分たちの食べる物を自分で獲って来るからだ。
僕は仕事柄、英語を話すことが出来た。娘たちが
小学生の頃、学校に頼まれてアメリカからその小学校に訪れた子どもたち5人の通訳をしたことがある
娘たちは、お父さんは英語が喋れるんだね、と言って嬉しそうな顔をした。そして、僕も娘たちから尊敬されるようになった。
僕の奥さんは幼稚園の保母さんをしていたので。
ピアノを弾くことが出来る。また、趣味でパンや
ケーキを自分で焼いて作る。
娘たちの誕生日やクリスマスには、奥さんは自分でスポンジケーキを焼きケーキを作った。
娘たちは僕の奥さんが作るケーキを楽しみにしていて、いつも、お母さんありがとうと言って、嬉しそうに美味しそうにケーキを食べていた。
僕の奥さんは娘たちに、ピアノが弾けてパンやケーキを作れるお母さんと尊敬されていた。
子どもに尊敬されるには、どんなことでもいいのだが、子どもに凄いと思われなくてはいけない。
その子が凄いと思う所は、社会的地位と必ずしも
イコールではない。その子が凄いと感じること、
つまり、その子の基準で凄いと思うことだ。
先週の土曜日、僕は昼食にサンドイッチと珈琲を
買って、市営グランドの側の公園で食べた。
グランドでは、30代のお父さんが小学生の息子さんにサッカーを教えていた。
そのお父さんはきっと学生の頃サッカーをやっていたのだと思うが、見ていて上手いと思った。
そのお父さんが見事なドリブルを見せ、グランドのコーナ近くからゴールにシュートをきめると、
その息子さんは
「父ちゃんスゲー!もう1回見せてよ!
父ちゃん、頼むから、もう1回見せてくれよー!」と言って、父親にせがんでいた。
女の子しか育てたことのない僕は、
羨ましいと思った。だが同時に、こうも思った。
僕には、この若いお父さんのように、息子に凄いと
思われるものを、持っているだろうか?と。
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