多様性と日本(4)日本と多文化主義
以前投稿した記事を誤って削除してしまいましたので、再度掲載しております。
多様性と日本(3)のつづきとなります。
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日本の多文化主義
(3)では多文化主義とその類型についてみてきました。では、日本では多文化主義はどのように受け止められてきたのでしょう。
日本では多文化主義は1980年代後半から議論されたと考えられます。当時は、日本には日本民族しか居住しない、単一民族論が主流でした。そのなかで、沖縄やアイヌについて民族論について論争はありました。沖縄は一地方なのか、沖縄民族、すなわち固有の言語や固有の文化をもつ集団なのか、沖縄民族論も唱えられたこともあります。
そうしたなか、日本で多文化主義が本格的に議論されるようになったのは、2006年以降のことでした。
日本では、多文化主義ではなく、「多文化共生」ということばが使用されました。
「多文化共生」は、2006年3月の総務省の「多文化共生の推進に関す研究報告書-地域における多文化共生の推進に向けて」という報告書が出されてから、全国的に広まっていったと考えられます。
同研究報告は、「多文化共生」を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築きながら、地域社会の構成員としてともに生きること」と定義しています。
この文言をそのまま受け取ると、「多文化共生」というのは、日本人であっても、外国人であっても、地域住民であるという表明となります。
ただし、より踏み込んで考えてみると、「多文化共生」は、たんにみんなで仲良くしましょうというだけではありません。むしろ、外国人も日本人同様地方自治体などで行政サービスが得られるように体制を整えていくという政策をはっきり打ち出した側面が強かったと思っています。
実際のところ、いろいろな場面で、「多文化共生」と「外国人政策」はほんど同じ意味で使われているように見えるし、「多文化共生」の施策は外国人の支援に結び付いています。
この点は、先の2006年の総務省報告書を読んでいくとはっきりしていきます。同報告書は、多言語での対応や日本語教育の推進、あるいは外国人住民を含んだ防災ネットワークの構築など、外国人の支援についての対応を提案するものとなっています。
ですから、2006年の報告書は、日本政府がいわゆる多文化主義を採用することを表明したんだと考えてよいともいます。今確認したように、日本政府は総務省を通じて多文化共生の理念のもとに、さまざまな施策を展開するよう提言しているからです。ただし、この時の提言が現在まで有用に機能しているのかは、注意深くみていく必要があります。2006年以降、多文化共生を取り巻く環境は大きく変わっています。
(1)~(4)のまとめ
今回は、多文化社会という言葉からいくつかのことを考えてきました。そして、多文化が多文化主義という言葉と結びついていることを確認しました。
多文化主義は、一国家における民族や移民など諸集団に配慮する政治的な考え方です。
また、多文化主義といった場合には、政策が伴うことも指摘しました。
さらに、政策の度合いによって、多文化主義を四つに分けられていることも(3)で確認したとおりです。
そして、最後に日本の多文化共生ということばについても簡単に触れました。多文化共生というのは、字面や定義では、日本人と外国人が住民として地域を運営するというような穏便な考えのようにみえますが、実際には政策を伴うもので、まさに「多文化主義」の一つに数えられるものだといえます。
今後また多文化共生について考えたいと思います。そのとき、この日本型多文化主義がどれだけ機能していているのかも合わせて考えていければと思っています。
読書案内
移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会編、2018年、『移民政策のフロンティア』、明石書店
関根政美、2000年、『多文化主義社会の到来』、朝日出版社
小泉康一・川村千鶴子編、2016年、『多文化「共創」社会入門』、慶応義塾大学出版会
総務省、2006年3月、『多文化共生の推進に関す研究報告書-地域における多文化共生の推進に向けて』
富永健一、1995年、『社会学講義 人と社会の学』、中公新書
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