多様性と日本(2)多文化社会ということばの起源
以前投稿した記事を誤って削除してしまいましたので、再度掲載しております。
多様性と日本(1)のつづきとなります。
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2.多文化社会ということばの起源
(1)で述べたように、ある種の矛盾をはらんだ、「多文化社会」ということばはどこからやってきたのでしょうか。
「多文化社会」ということばが英語の辞書にもないというお話はすでにしました。ただし、「多文化」や「多文化主義」という意味の単語は一般的使われます。ここでは、まずそれらの単語からみていきましょう。
「多文化」は、形容詞として、英語圏で20世紀初頭に使われ始めたようです。『オックスフォード英語辞典』によれば、「多文化multicultural」の初出は、1935年とされます。「multicultural」は社会学雑誌の投稿論文で使用されました。
その際には、「多文化的状況」という意味で、「multicultural」という単語が使用されていました。さらに続く事例は、1959年のモントリオールに関する文章の中にみられました。そこには、モントリオールが「多文化・多言語的な社会」であると書いてあります。
こうしたなかで、1970年代以降になると、「多文化」ということばが政治的に重要な意味を持つ言葉に発展しました。カナダやオーストラリアで「多文化主義」という考え方が広まっていったのです。
「多文化主義」は、基本的には政治理念で、文化的多様性を認めながら、一国家としての社会統合を目指すのが目的する考え方です。
政治学者の関根政美さんは、多文化主義を「同化主義」の対になる政治思想だとします。かれは、「同化主義」を一つの国家が一つの言語、一つの文化、一つの民族からなるべきだと考える国家統合の在り方だとします。日本に当てはめて考えれば、日本が日本語、日本文化、日本人で構成されるべきだと考えるあり方は、関根さんの言う「同化主義」にあたります。
一方、多文化主義は、先住民や移民のように、いま現在ある国において大多数の人々が話している言語や伝統文化をもたないひとびと(マイノリティ)に対して、マイノリティも自分たちの言語や文化を尊重されつつ、大多数の言語や伝統文化のなかで当該の国家につなぎとめる(包摂する)国家の方針を指します。簡単に言えば、文化的な多様性を認め、ひとつの国家として成り立たせるという考え方です。
たとえば、日本には200万人以上の外国人定住者がいますが、彼らは労働して日本経済に資するだけでなく、税金を払って国庫もうるおしています。では、日本語ではないことばで、自治体、たとえば市ができたとして、それは日本国としてみとめるのでしょうか。
もう少し具体的に考えてみましょう。日本には20万人ほどブラジル国籍をもつ住民がいます。そのひとたちがひとところにあつまったとする。そこで、彼らが街をつくって、ここは市役所でもポルトガル語を使うとなったら、いわゆる大多数の日本人はどう考えるでしょう。こうした状況を認めるのか、認めないかが、多文化主義では問われるわけです。
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補足
以上のことをもう少しまとめます。
つまり、本文で申し上げたように、多文化社会ということばは辞書にはないのですが、それに関連する「多文化」ということばが使われ始め、やがて「多文化主義」ということばが政策と相まって重要になってきたという経緯が存在しているのです。
(3)に続く
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