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あなたは、どんな涙を覚えていますか?

あなたが今までに見た涙で、一番思い出に残る涙は? と聞かれたら、どんな涙を思い浮かべるだろう。

私は息子が中学3年生の部活の試合を思い出す。
「今日で引退にならないよう、絶対勝つからね!」
テニス部の息子は、朝から張り切っていた。

団体戦は、夏のような暑い日に行われた。
息子は、何とか団体戦のメンバーになることができたようだ。前日には個人戦を戦い、部員全員が負けてしまった。もしこの試合で負けたら、全員が引退することになってしまう。
息子達の顧問の先生は、その年で教員生活が終わることになっていた。最後に先生を次の大会まで連れて行ってあげたい。誰も口に出しては言わなかったが、心の底では思っていた。

2年前の春、息子達はテニス部に入部した。当時は、先輩の練習の邪魔にならないよう、コートの外で練習をする日々だった。狙った場所には飛ばないボールを追いかけ、撃ち合う。
そんな中、ある事件が起きた。
口論が始まり、ある部員が仲間の頭をラケットで殴ったのだ。3つの小学校から集まった生徒達は、まだまだお互いを分かり合えていない。ラケットで殴った生徒は、腹を立てたまま勝手に家に帰ってしまった。
先生は、その場にいた全員を集めた。
「ルール違反した奴を切り捨てるのは簡単だ。退部にもできる。だがそうはしたくない。みんなでもう一度、うまくやっていく方法を考えてくれないか?」
先生は、息子達に投げかけた。
暴力を振るう子……と、最初は誰もが距離を置いていた。あまり良い噂も聞かない子だった。
それでも息子は、
「助けてあげたい」
そう私に打ち明けてきた。先生はそんな息子の姿を見て、ペアとして彼と息子を選んだようだ。

その後も、12名全員が一丸となった姿は見たことがなかった。部活を楽しんではいたが、バラバラな印象があった。2年が過ぎ去り、最後になるかもしれない試合の中で、皆が寄り添いユーモアを言い合いながら応援をする姿が、心から嬉しかった。勝って、もう少し子供達を見ていたいという気持ちにさえなる。

試合は、いよいよ3回戦に突入だ。
息子達ペアの出番となった。続けて試合をするうちに、暑さもピークとなり体力はかなり消耗していた。格上のペアとの戦いだ。これで負けたら引退となってしまう。息子達は、ずっとペースが掴めなかった。気持ちの上でも、負けてしまっていたようだ。そんな中、ラインぎりぎりにボールが飛んできた。二人は、ボールが外に出ると思ったようだ。だから、ボールを追わなかった。
ところが審判が下した判定は、「コートの中」だった。その大切な1球で、試合終了となる。息子達のチームの負けが決まった。
二人は、最後まで審判に納得がいかない様子だった。その姿を見て、試合が終わった途端、先生が息子達を呼び止めた。
「今の態度は何だ! 審判に意見をするとは、何だと思っているんだ!」
叱られ始める。

コートの中で、皆の見ている前で、二人はずっと叱られていた。私はコートの外から、息子達が叱られているのを、立ったまま黙って見ていた。息子達が負け出した瞬間、勝つ気持ちより諦めの気持ちが勝ったこと、最後まで全力を出し切れなかったこと、そして審判に失礼な態度を取ったこと……最後だからこそ、叱られていた。どうせ引退する、と思ったら、暑い中注意をするのをやめたっていいところを、真剣に一生懸命に先生は叱ってくれていた。次の試合が始まろうとし、他のチームが入ってくるまで、息子達はずっと叱られていた。
「社会に出て、全力を出すんだ。言い訳する人間になるんじゃない」
そう言われているようで、先生からの愛情が見えるようで、心からありがたかった。
息子達の気持ちもよく分かる。誰よりも先生を次の大会に連れて行きたかったのだ。仲間達ともっとテニスがしたかったのだろう。

疲れ切った顔で、息子達が私のところに戻ってきた。
「先生は、あなた達を思っているから叱ったんだよ」
二人に告げる。
「いいプレーができず、すみません」
息子のペアが、私に謝ってきた。
悔しさ、情けなさ、恥ずかしさ、引退する寂しさ、様々な思いを堪えきれなくなったのだろう。息子は帽子を深くかぶったまま、涙を一粒こぼした。一粒だったから、皆には全く分からなかったが、頬を伝う涙に込められた複雑な思いが伝わってきて、切なくなった。

あの「一粒の涙」の中に込められた、深い心の動きが今でも忘れられない。涙には様々な種類がある。悲しみの涙、悔しさの涙、喜びの涙……どんな涙が、人の心に残るものなのだろう。
私が息子を見てきた中で、あの「一粒の涙」が、一番忘れられない涙だった。一度に、複雑に心が動いたあの瞬間、あの涙を見られたことは、私の心の中で決して薄れることはないだろう。

息子の涙を、今までたくさん見てきた。だが、涙を流したからといって、幸せでないわけではない。きっと、流した涙の種類が多い人ほど、豊かな人生を過ごしているはずだ。

息子たちは、その日、引退をした。
青春の1ページの一粒の涙は、ほろ苦い思いがたくさん詰まっていた。

#創作大賞2023 #エッセイ部門