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心療内科の先生から学んだ人生の歩き方

今から15年くらい前の話になる。
息子が1歳の誕生日を迎えたばかりの頃だ。ある日、とんでもない物を見つけてしまった。
夫と息子がお風呂に入り、私が一息ついていると、なぜか夫の机の中が気になる。何だろう? 開けてみると、あるはずのない貯金通帳が出てきた。お風呂から出てきた夫に、「これは何?」と話を聞く。嘘を重ねていたが、夫には私が知らない顔を持つことが直感で分かった。

天と地がひっくり返るとは、こういう時を言うのだろう。女性とお金の問題があることが分かった。ドラマのような出来事に思え、現実が心に入ってこない。
私一人ではどうすることもできなくなり、家族会議をすることになった。息子はまだ1歳だ。だから皆で出した結論は、「このまま何もなかったかのように、生活を続ける」ことだった。「人間、一度くらい間違いはある。だから、一度は許してあげなさい」それが、私の父からのアドバイスだった。皆が息子を大事に考えて、出した結論だった。
小さな息子を抱えて、一人で子育てをすることも難しい。だから一番の解決だと頭ではよく分かったが、心がついていかない。夫は、なぜ私を裏切るようなことをしたのだろう? 私が生意気だからだろうか? 私が女性として魅力がないからだろうか? 何度も、何度も自分に問いかけた。やり直そうと努力したり、夫を責め立てたり……天気が変わるように、私の心は激しく変わり続けた。

私は、当時、自宅で英語教室を開いていた。どんなことがあっても、仕事は休みたくない。生徒達が来る時間には、笑顔で迎えねばと気持ちを立て直す。ある日、「笑顔」の準備を始めようとすると、何かがおかしい。急激に気持ちが下がっていく。落ち込んで動けず、言葉も出なくなる。何とか仕事はしていたが、次第に夜も眠れなくなり、どんどん痩せ細ってきた。隣りで見ていた母が私の異変に気づき、それから間もなくして心療内科に行くこととなった。

心療内科に行くなんて……私は、恥ずかしくてたまらなかった。弱い人間のような気がしたからだ。だから、先生とは、当たり障りのない話をするだけだった。そんな私に先生は、「毎日、歩きましょう」と課題を出す。先生に言われるから、仕方なく適当に歩いた。だが、私の心は、どんどん疲れ切っていく。そして、ある日、大量の頭痛薬を飲んでしまった。気づいた夫や私の母が慌てて吐き出させる。幸い、大事に至らなかったが、次の日は、ひどい頭痛と気分の悪さに襲われた。こんなに死んでしまいたいと心が思っているのに、体は一生懸命生きようとしている。疲れ切った心でも、必死に私を生かそうとしている私が染みてきた。体ってすごいな…と寝込みながら思った記憶がある。

家族に無理やり連れられて、予定外の心療内科の診察を受けた。薬を飲んだなんて、恥ずかしくて仕方がない。だが恥をかいている勢いで、私の心の中を話し切ることができた。「なぜ私だけ、こんなに一人で苦しまないとならないのだろう……周りの幸せな家庭が羨ましい。なぜ私だけ、こんなに我慢をしなければならないのか……」泣きながら、心の底に溜まっていた全てを語り尽くした。そして、先生は、静かに話を聞きながら、人生についてゆっくり話をしてくれた。
「……私の言っていることが、分かりますか?」そう私に最後に確認する。
「分かります」そう答えると、「では、あなたは正常だ。大丈夫。一緒に治しましょう」そう話してくれた。

それからは、先生との二人三脚で治療が始まった。
「あなたには、まず体力がない。だから、毎日歩くことから治療を始めましょう」先生のアドバイスに従い、歩き始めた。早起きし、歩く毎日……最初の1ヶ月は辛くてたまらず、夫に恨みを持った。なぜ傷つけられた私が、さらに苦しい思いをするのか? 毎日、心の中で怒りながらも歩いた。そして、1ヶ月が過ぎる頃、気持ちよさを感じるようになる。「毎日20分のウォーキング」が定着すると、30分へ、そして40分、60分へと徐々に時間を長くしていった。歩くうちに、睡眠薬を飲まずに済むようになり、少しずつ安定剤の量も減っていった。

息子のために、人生も歩き続けねばならない。息子のために、強い母親になりたい。だから、安定剤を完全にやめたい。その一心で、毎日、毎日、歩き続けた。黄色く色づいた葉が、徐々に落ち始め、葉を踏む音がカシャカシャとする中、葉が緑に色づく頃、私はどんな私でいるだろう? と思いを馳せながら歩いた。雨の日も、雪の日も、息子を思いながら毎日絶対にやめなかった。息子のために薬を飲まない元気な母親でいたい、その気持ちだけでストイックに歩き続けた。
1年が過ぎた頃、治療は終わりとなった。先生に二度とお世話にならないことが、先生への感謝の気持ちでもある。あれ以来、先生にお世話になっていない。

ウォーキングは、先生から学んだ心の治療法だ。だから心が疲れた時、今でも歩くようにしている。そして、人生は、どんなことがあってもきっと大丈夫だ。明けない夜はない。あの日立ち止まって治療した日々は、私にはなくてはならなかった大切な時間だと、今でも思っている。
これからも、私らしく人生を歩いて行きたい。

#創作大賞2023 #エッセイ部門