中世近世

歴史教科書の問題点を検証しています。特に中世と近世に関する説明や記述について問題を見つけ、その問題の原因を解説します。頼朝や秀吉や家康が登場します。歴史の常識が大きく問われる内容です。

中世近世

歴史教科書の問題点を検証しています。特に中世と近世に関する説明や記述について問題を見つけ、その問題の原因を解説します。頼朝や秀吉や家康が登場します。歴史の常識が大きく問われる内容です。

最近の記事

中世の本質(33)まとめ

 最後にまとめとして中世の本質と中世の期間について記します。 中世の本質は二つです。一つは分割主義です、そしてもう一つは双務契約です。筆者はこの二つが中世を本質的に構築したと考えます。中世の核心です。    中世国家は分割主義の思想の下に組み立てられています。武家は古代の王土、王民、王権という絶対物を領地、領民、領主権という中世の相対物へと分割、細分化していきました。分割の結果、領地制、身分制、主従制という中世独自の制度が確立します。そして中世日本は色鮮やかなパッチワークの国

    • 中世の本質(32)日本史:三つの歴史と二つの革命

         筆者は日本史の基本の形が次のようなものであると考えます。―――日本はこれまで二つの革命を通過して来た、一つは古代をひっくり返し、中世を造った中世化革命であり、もう一つは中世をひっくり返し、現代を造った現代化革命です。その結果、日本史は三つに区分けされ、古代史、中世史、そして現代史が生まれた、と。  歴史の交代とは古代が中世へと変わること、そして中世が現代へと移ることです。それは支配主体である国家支配者、国家体制、国家政治の三つが根底から変わることです。それを成し遂げる

      • 中世の本質(31)近世不要

              古代---    中世---     現代--- 支配者:  古代王      中世王(封建領主)  法(国民) 国家体制: 中央集権制    分権制        中央集権制 政府:   中央政府     主従政府       中央政府 政治:   専制政治     主従政治       民主政治 人的関係: 上下関係 不平等 主従関係 平等主義  平等関係       主義、形式主義   現実主義 人権:   ---      領主権 武士権    基本的人権

        • 中世の本質(30)国自治

           江戸時代前期、大名と農民たちはほぼ対等な関係を維持し、大名は村の自立を認めながら、村を支配していました。しかし江戸時代後期になりますと状況は一変します。というのは大名が権力を乱用するようになるからです。彼は農民たちとの双務契約を一方的に破棄し、増税を命じ、あるいは専売制を布いたのです。それは農民たちを苦しめました。  当時、大名たちは藩の財政難に直面していました。貨幣経済の発達が農本主義にしがみつく武家を襲っていたのです。そして性悪な大名はその責任を農民たちに転嫁する。大名

          中世の本質(29)村自治

           村自治は西欧諸国の都市自治に匹敵するものです。規模や内容は大きく異なりますが、自治が行われたという事実は同じですから。村内の農民はみな対等でした。村には特権階級が存在しません。従って村の支配者は農民自身です、しかし農民は彼ら自身を支配する真の支配者を造りました。それが村法です。村法は農民たちの合意です。村はしたがって法の支配する、小規模な法治社会でした。 (尚、村では田畑を所有する農民が村を運営します、しかし当時、小作人などはその運営に参加する資格がありませんでした。これは

          中世の本質(29)村自治

          中世の本質(28)農民の成り立ち

           中世人の<成り立ち>についてお話しを続けます。領主と武士の成り立ちは鎌倉時代の黎明期でした。<成り立ち>は頼朝と関東の武士たちが双務契約を開発し、履行したことから始まりました。そしてこの契約はやがて全国の武士の間に広まり、領主と武士を成り立たせ、そして武家社会を成立させる基盤となりました。  一方、農民もまた成り立ちます。それは16世紀、戦国時代のことです。当時、戦国大名は近隣の村々を支配し、農民たちは戦国大名に服従していました。それは上下関係であり、古代支配と変わりありま

          中世の本質(28)農民の成り立ち

          中世の本質(27)武士の成り立ち

           中世王と大名とが主従関係を結んでいたように大名と武士も双務契約を交わしていました。大名は武士を保護する義務を持ち、そして武士は大名に忠誠を尽くします。特に武士の主君に対する忠誠は崇高なものといえるほど純粋であり、その律義さは高く評価され、国内ばかりではなく世界的に知られています。  双務契約の下、大名は武士の領地と武士権を安堵します。武士は与えられたその地で農民を使役し、農耕を営み、生き延びることができます。武士は(小規模ながら)一国一城の主です。武士の生命と財産は保障され

          中世の本質(27)武士の成り立ち

          中世の本質(26)忠臣は二君に仕えず

           さて双務契約の不成立についてもう一つの例をお話します。それは<忠臣は二君に仕えず>という表現についてです。この言葉は武士の素晴らしい生き方のように理解されることがあります。しかしそれは大変な誤解です。そんな生き方は武士にとっても大名にとってもあり得ない。それは奴隷の言葉です。古代世界の生き方です。中世の契約社会には存在しえないものです。  中世に絶対は存在しません。中世は<相対の世界>です。主君への忠誠はあくまでも主君の十分な保護があっての忠誠です。ですから忠臣は二君に仕え

          中世の本質(26)忠臣は二君に仕えず

          中世の本質(25)不完全な平等主義

           中世では多くの場合、主君も従者もそれぞれの契約義務を誠実に履行し、彼らの主従関係を維持し、安全を保障し合いました。それは契約当事者が、特に主君が従者との平等関係を損なうことなく、しっかり守っていたからです。それは美しい均衡でした。  しかし主従関係は厳しく、微妙なものです。平等主義が常に維持されるとは限らない。残念なことですが、中世には主従関係が破綻する悲劇が時々起きました。  原因は二つあります。一つは主君が従者を保護する力を喪失した場合です、そしてもう一つは主君が意図的

          中世の本質(25)不完全な平等主義

          中世の本質(24)現実主義

           双務契約は<現実主義>をももたらしました。現実中心主義です。そして形式主義の否定です。  武家は現実を尊重し、現実をもとに物事を決めました。例えば保護(恩賞)にしても戦役(忠誠)にしてもそれは現実(事実)をもとに行われることであり、しかし形式的なことでもなければ、空想的なことでもなく、そして恣意的なことでもありません。物事は目の前の事実によって決定されるのです。  例えば、中世王が公正な領地安堵を下したのかどうか、あるいは武士が激しく敵と戦い、戦功をあげ、忠義を貫いたのかど

          中世の本質(24)現実主義

          中世の本質(23)自律の始まり

           双務契約は<自律>という生き方を中世世界に導入しました。契約当事者は契約を結ぶ過程において必然的に契約相手を認め、相手を観察し、相手の立場を理解するようになります、そして契約を履行する過程で自己の力を発揮し、そして場合によっては自らを制御し、契約義務を果たそうと努めます。  それは自主性の確保です。中世人は大枠で自ら人生を選択できるようになったのです。すなわち中世人は双務契約を維持するにせよ、破棄するにせよ、それは当事者の自由であり、勝手だからです。あるいはどの領主と契約を

          中世の本質(23)自律の始まり

          中世の本質(22) 荘園制と領地制

             平等主義は中世に誕生しました。それは双務契約の開発がきっかけでした。武士たちが安全保障を求める過程でギブアンドテイクの、他者との対等な関係を編み出したのです。  一方、平等主義は古代には存在しませんでした。古代が不平等主義の世であった理由は古代王が国家のすべてを掌握していたからです。古代王は国民との間に決して超えられない高い壁を設けていました。そして国民は安全を求めて壁の前にひざまずき、古代王に絶対服従する。それは専制主義です。  それではこの不平等な古代と平等主義の

          中世の本質(22) 荘園制と領地制

          中世の本質(21) 中世人の成り立ち

            中世には領主権の他に武士権と農民権がありました。この二つも双務契約の下に生まれた人権です。領主と武士は双務契約を結び、その結果、武士は武士権を持ちます。それは武士の生存権、財産権そして(小規模)領地の支配権です。武士の領地や財産は中世王あるいは領主によって保障され、誰もこれを侵しません。それは<武士の成り立ち>でした。   そして農民もまた双務契約を結びます。それは戦国時代のことでした。戦国大名と農民はそれぞれの契約義務を持ち、それを誠実に果たしました。戦国大名は契約義務

          中世の本質(21) 中世人の成り立ち

          中世の本質(20)主従関係――服従と忠誠

            双務契約は主君と従者との間における五分と五分の対等な関係です。どちらの契約義務が重いとか軽いとかという程度の問題は意味を成しません、何故なら、どちらにせよ義務が果たされないようであれば共に生存の危機に陥ってしまうからです。主君も従者も相手から協力を得なければ破滅します。主君も従者も対等な関係というものがこの社会に存在するということを初めて学んだのです。<他者を認める>ことは平等主義の芽生えでした。   さて興味深いことは双務契約というものが平等関係を生み出したことだけでは

          中世の本質(20)主従関係――服従と忠誠

          中世の本質(19)双務契約

             これまで中世国の支配主体についていろいろ語ってきましたが、それでは次に中世国の国民についてお話していきます。主に武士や農民についてです。   先ず、双務契約というものについて説明します。双務契約は中世を考察する際、無視できない本質的なものであり、双務契約を抜きにして中世を語ることはできません。実際、武士や農民など中世人のほとんどはこの双務契約に加入していました。   双務契約は中世の安全保障です。武士たちは双務契約に加入し、安全を保障し合ったのです。双務契約は12世紀、

          中世の本質(19)双務契約

          中世の本質(18):狭い視野

            最後にもう一つ中世室町時代死亡説を紹介します。それは<農民自立説>です。それもまた石高制論や兵農分離論と共に有名な中世論です。農民の自立こそ中世の終わりを意味し、そして近世の始まりであるとする歴史研究者の主張です。   それは次のようなものです。―――戦国時代から桃山時代にかけてのことです。農民は兵農分離や太閤検地や石高制の成立をもって自らの農地を所有するようになりました。それは農民の自立といえます。従って農民は最早、奴隷ではない。農民の自立は画期的なことであり、すなわち

          中世の本質(18):狭い視野