中世の本質(20)主従関係――服従と忠誠

  双務契約は主君と従者との間における五分と五分の対等な関係です。どちらの契約義務が重いとか軽いとかという程度の問題は意味を成しません、何故なら、どちらにせよ義務が果たされないようであれば共に生存の危機に陥ってしまうからです。主君も従者も相手から協力を得なければ破滅します。主君も従者も対等な関係というものがこの社会に存在するということを初めて学んだのです。<他者を認める>ことは平等主義の芽生えでした。
  さて興味深いことは双務契約というものが平等関係を生み出したことだけではなく、同時に古代から続く上下関係をも内包していたことです。すなわち双務契約を結ぶ頼朝は上位者として存在し、領主たちに命令する立場にあった。彼は領主たちを支配し、数々の厳しい命令を下します。領主たちはその命令に従い、平家を討ち、そして義経を自害に追い込みました。それは古代から続く主君と従者との厳しい上下関係です。
  一方、双務契約は主君と従者との間に新しい人的関係を持ち込みました。それが平等関係です。その結果、頼朝と領主たちの間には上下関係と平等関係の相反する関係が同居することになります。それは歴史的な矛盾です。正反対のものが一か所に並び立っているのですから。
それは古代と現代の中間に位置する中世らしい光景です。言わばそれは古代(上下関係)と現代(平等関係)とが一つに混合された状況です。しかしこの奇妙な関係は中世の武士たちにとって日常の人的関係でした。それが<主従関係>です。
  主従関係は単なる主君と従者との上下関係ではありません。もっと複雑で、高度な人的関係です。すなわち双務契約を結ぶ主君は最早、従者に対し、問答無用の、残酷な命令を発することはできなくなりました。というのは二者の間には平等関係が存在するからです。主君は従者の領主権を認め、それを侵しません。それを侵すことは自己否定につながる、何故なら領地も領主権ももともと主君が従者に分与したものですから。
  つまり中世王の命令は一歩、退いた命令となる、抑制の効いた命令となります。それは<領主権を侵さない限りにおいての命令>という形をとります。中世王は領主の生存を認め、彼の財産を侵さず、彼の領地支配を侵さず、そしてその上で厳しい命令を発する。それは言わば人権の発生でした。領主権は一種の人権といえます。中世王は領主の人権を認めたのです。
 このことは王権というものが歴史上、大きく変質したことを示しています。中世の王権は古代王の絶対王権とは違い、一定の限界を持つ<相対王権>となったのです。それは言わば人間性を伴う王権です。
  一方、古代には人権というものは存在しません。古代には領主権などというものは存在しません。国家権力はすべて古代王のみが所有しているのですから。従って古代王の命令を遮るものは何もありません、従者への命令は一方的な、何でもありの、抑制の効かない、残酷な命令です。
  すなわち双務契約は平等主義をもたらし、そして平等主義は古代から続く残酷な上下関係に一定の歯止めをかけたのです。上下関係は依然として残り続けますが、上位者の命令は抑制されたもの、人間性を備えたものになったのです。
  従ってこのように同じ主従関係といっても古代と中世とでは全く違います。古代の素朴な主従関係と中世の洗練された主従関係とは厳密に区別され、使用されるべきです。
  同様に、中世の従者も古代の従者とは異なります。古代の従者は奴隷のように主君に絶対服従する従者でした。しかし中世の従者は主君の命令に従いますが、その服従は最早、絶対服従ではなく、いわば<相対服従>というものに転じたのです。
  どういうことかと言いますと領主や武士は中世王の保護(恩賞)が十分で公正なものである限りにおいて中世王に忠実に服従します、命を懸けてまで中世王のために働きます。しかしもしもその保護が十分ではなく、公正なものでもなければ領主や武士は中世王を非難する、そして十分な恩賞を求めます。それでも十分な恩賞が得られないようなら領主や武士は中世王から離反します、すなわち中世王への服従は消滅します。そして彼は敵方に寝返る、あるいは中世王を暗殺します。それは領主の抵抗権です。
  中世の服従は相対服従であり、条件付きの服従です。中世王の保護次第です。保護あっての服従です。保護無くして服従はあり得ない。それが忠誠といわれるものです。忠誠の出現は双務契約の、そして平等主義の必然的な帰結です。そして領主や武士が最早、中世王の奴隷ではない、しかし自立者であるということを証明します。
  忠誠というものは厳しく、そして微妙なものです。双務契約を結ぶ中世王も従者もそれぞれの義務を誠実に履行する。つまり人として強くあらねばなりません。ごまかしや逃げは通用しない。
  誠実さと真剣さは中世人にとって必須なものとなり、その点、双務契約は中世人の精神を根底から鍛えたのです。従って双務契約を結ぶ武士にとって不誠実や無責任はあり得ないことであり、恥ずべきことでした。
  双務契約は鎌倉時代から江戸時代末期までの700年間、機能し続け、武士に誠実さや責任感の重要さを叩き込みました。それは中世に培われた代表的な精神です。中世は契約社会となり、権利と義務の遂行は日常生活に溶け込み、自らを律する高度な社会が出現したのです。
  中世と古代とはこの点においても大きく異なっています。人的関係という人間社会の基本においてこれほど違っているのです。ですからもしも忠誠というものを何か理想的なものと理解していればそれは改めなければいけません。忠誠はもっと生々しく、真剣なものであり、そして切実なものであるからです。
  忠誠と服従とは本質的に違うものです。そして古代国には忠誠というものは存在しません。<古代王への忠誠>というものは矛盾した表現です。正しくは<古代王への服従>です。
  今日の古代国における人的関係は次のようなものです。例えばロシアや中国は21世紀の古代国ですが、彼らの国民や軍人は彼らの独裁者に服従しています。しかしそれを指して独裁者に忠誠を尽くしているとは言いません。それは間違った表現ですから。古代の服従はあくまでも服従です。忠誠は平等主義の成立した国において初めて出現するものです。それは正しく表現されるべきです。
  ロシアや中国の独裁者は国民や軍人と双務契約を結んでいません、何故なら彼らは絶対者ですから。当然、彼らは義務を持たない、そして人々の人権も認めない。ですから独裁者が十分な恩賞を与えないからと言って国民や軍人が独裁者を非難することなどありえません。彼らは独裁者の暴力の下、ひたすら口を閉じ、服従を続けるのです。そこには絶対服従だけがある。
  もう一つ古代と中世との違いについて述べてみます。それは古代人が誠実さというものを重視しないということです。古代人も誠実さはよいことであるとわかっているでしょう、しかし誠実さは古代人にとって必要不可欠なものではないのです。というのは古代人にとって安全を保障するものは古代王への絶対服従ですから。
  ですからたとえ誠実であっても安全が保障されるとは限りません。極端なことを言えば誠実であったから中世王によって死を命じられることもあるのです。ですから古代人にとって誠実さは決して死活的に重要なものではないのです。それもまた古代と中世の根本的な違いの一つです。

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