中世の本質(33)まとめ
最後にまとめとして中世の本質と中世の期間について記します。
中世の本質は二つです。一つは分割主義です、そしてもう一つは双務契約です。筆者はこの二つが中世を本質的に構築したと考えます。中世の核心です。
中世国家は分割主義の思想の下に組み立てられています。武家は古代の王土、王民、王権という絶対物を領地、領民、領主権という中世の相対物へと分割、細分化していきました。分割の結果、領地制、身分制、主従制という中世独自の制度が確立します。そして中世日本は色鮮やかなパッチワークの国となったのです。
分割主義
国土の分割:領地制の確立
国民の分割:身分制の成立 (武士、農民、町人、公家、寺僧)
国家権力の分割:主従制の創造 (中世王と封建領主の共同支配)
尚、分割主義は明治維新において否定され、そして分割されていた国土、国民、国家権力は新しく設置された中央政府の下に一元化されます。それは日本を分権国から中央集権国へと移行するためでした。現在の日本はその延長線上にあります。
そして中世のもう一つの本質は双務契約です。
双務契約は古代の不平等主義と形式主義を打破し、平等主義や現実主義を中世世界に導入しました。そして数世紀に渡る双務契約の履行は中世人の精神を鍛え、自律の生き方を促し、そして人権を保障することになります。
双務契約
平等主義の成立 (不平等主義からの解放、中世の主従関係の出現)
現実主義の成立 (形式主義からの解放、事実の重視、政教分離の断行)
自律の出現 (古代王からの解放、自主性と自治の獲得)
人権の誕生 (絶対権力の否定、領主権、武士権、農民権の成立)
尚、双務契約は明治維新において一斉に解約されます。何故ならその時、契約当事者である中世王や大名が消滅したからです。その代わり国家と国民が新たに双務契約を交わすことになります。それは現代の双務契約です。
国家の支配者(憲法)は国民を保護します、安全保障と社会保障を確立し、国民の安全と安心を約束する。一方、国民は国家に対し、義務を果たします、それは労働や納税や教育です。国家国民のギブアンドテイクです。現在の日本はその延長線上にあります。
次に中世の始まりと終わりについて説明します。
中世日本は12世紀、頼朝と封建領主たちが関東の地において挙兵したことから始まります。その時、分割主義と双務契約の二つがその姿を実体的に現したからです。すなわち頼朝と封建領主たちとの間に主従関係が結ばれ、中世王という存在が成立し、頼朝による本領安堵が行われ、領地制が布かれ、そして領主権や武士権という中世の人権が成立したのです。それは中世の形を決定するものでした。
一方、中世日本の終焉は版籍奉還と廃藩置県が実施された時です。その時、分割主義と双務契約の二つが消滅したからです。中世王、分権制、主従政治、身分制、中世の人権などが一斉にその姿を消しました。 従って中世日本は12世紀から19世紀までの700年間であったといえます。
この期間、日本の支配者は武士でした。中世は(中世)武士の歴史です。従って中世は武士が歴史上に誕生し、そして歴史から退場するまでの期間ともいえます。
武士の成し遂げた業績の中では古代からの解放が最も重要なものであったといえます。それは日本を歴史的に大きく飛躍させることになったからです。古代を否定し、超克することは世界の中において極めて稀なことでした。そして武士は中世という新しい世界を樹立します。それは現代をしっかり準備することでもありました。
さて最後に中世と今日の世界とのつながりについて一言述べてこの論を終わりとします。
中世は一つの歴史として完結しています。しかし中世の影響は今も続いており、それは今日の世界に決定的な役割を果たしています。
日本と西欧諸国は世界が認める法治国です。多少の相違はあるものの共に分割主義を確立し、双務契約を開発し、そして数世紀に渡りそれらを実施してきた国々です。
日本の中世は700年、中世フランスは800年、中世ドイツは900年、そして中世イギリスは500年の歴史です。これらの国(と西欧人の造ったアメリカやカナダ)は今日、世界を先導する立場にあります。
一方、古代国は中世史を持たない国です。それは人治国です。古代人は上記の分割主義と双務契約の二つを経験してこなかった。そして古代人は今も、絶対者に服従を誓い、不自由を忍び、声を立てず、ひっそりと生きています。それは沈黙の秩序です。
多くの場合、これらの法治国と人治国とは対立的に行動します、何故なら双方の立ち位置やものの見方やものの理解の仕方が根本的に異なっているからです。それはどうしようもないものです。
この落差は本質的に中世という歴史が引き起こしたものであり、中世の有無が原因なのです。平等主義や現実主義や中世精神を引き継ぎ、さらに発展させた国民の世界観とそれらから無縁な国民の世界観とは相いれません。何故なら、前者は後者を否定した上に成立したものですから。
ですから両者は正反対の立場にあります。彼らが同一レベルに立つこと、理解しあうことは本質的に不可能です。すなわち中世は人類を二つに割いてしまったのです。勿論、それは中世の罪ではありませんが。
中世は人類を発展させ、そして同時に苦しめているのです。それは中世が古代と現代との中間に生息した歴史であることを象徴的に物語っています。つまり中世は古代国と現代国とを分ける分水嶺なのです。
以上で中世に関する説明を終わりにします。読者の皆さんは筆者の見解をどのように評価するのでしょう。賛同していただけますか、それとも異論を唱えるでしょうか。
そして筆者にとって歴史研究者の方々の評価や異見も興味深い。皆さんはこれまでの中世論(400年説や800年説や500年説)を擁護するのでしょうか、そしてあくまでも近世というものを支持するのでしょうか。それともその誤りを認めるのでしょうか。
完
(注) 筆者はこの書において封建主義という言葉をあえて使いませんでした。その代わり分割主義という言葉を使用してきました。
何故なら、封建主義という言葉はすでに手垢にまみれています。様々な解釈がまとわりついてこの言葉はとてもあいまいに見えます。この言葉を使用するためにはそのあいまいさを解きほぐし、明確に定義する必要があります。しかしそれはこの書の仕事ではありません。(歴史書<中世化革命>において封建主義は定義されています)
そして封建主義の<封建>は本来、土地の分与から派生した言葉です。それは中世の本質を語る時、偏よった見方を与えてしまう。中世は土地だけではない、しかし中世は国民も国家権力も含めて検証しなければいけないものですから。その点、分割主義という言葉は単純明快であり、無機的であり、理論の構築にはふさわしい。
(この書<中世の本質>は歴史書<中世化革命>からの引用です、 アマゾンから出版されています)
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