*40 ひとつなぎの
「こちら酸塊のタルトでして、世界最古のケーキ、あらゆるケーキの元祖であると、いう風に言われているんですが、私自身オーストリアのリンツ、このケーキの発祥とされる場所で初めて食べた時の衝撃的な美味しさが忘れられずに、また日本ではなんでも長野県も酸塊の産地だそうで、そういった所に縁も感じながら作っております。是非、どんなもんだか味を見てみて下さい」
そんな能書きを僭越ながら垂れさせていただく機会も増えた。我が物顔で語ってはいるが、斯く言う私も作り手である以前にこのリンツァートルテの一ファンである。ファンとして美味しさを是非知って頂きたいと思う時、然らば作り手の役割はかつてリンツで味わった感動の再現である。そこに私らしい独自のアイデアを加えてしまっては―本来の魅力を損なわぬ範囲での材料の置き換えはあるにしても―その役割を果たし得ぬ。ケーキを焼いたらまたファンへと姿を変えて試食をし、リンツ旅行を彷彿とさせられればそれでようやく能書きを垂れられる。もといファンとして本来の魅力を伝えられる、という方が私の意に素直である。
伝統の継承、と言っては言葉が過ぎる。が、方向性としては其の方角である。殊にリンツァートルテに限って言えば世界最古と謳われるわけであるから、中国古典の文字を手本に那沿って認める書道の如く、いかに原本に近付けるか、その精度を極める作業こそ私の内なる主題である。時としてこの考えは煩喧しい拘りだと相手にされぬが、時稀にして似た事を言う人に出会う。今週も思わぬ人に近いものを感じたが、それはまた後に書く事にする。
果たして今週から自家製のジャムを使って作ったリンツァートルテは、まさしくリンツの感動を彷彿とさせた。ジャムの味は瞭りとし、市販のジャムとは矢張り一線を画すように感ぜられた。自分で作った物は美味いとは言うが、手を掛けて苦労した分だけ感動が増すという登山理論的偏見は抜きにして、その上で作った物の方が、味が立体的で奥行も広かった。ナッツと香辛料の入ったクッキー生地は然程甘くなく、ところがジャムの軽やかなる酸味によるシナジー効果か、一口食べて脳は甘い菓子だと俄然認識する。それ以前に、タルトを口の中へ入れて歯を閉じた時、砕けていく生地の感触に私はリンツを見た。あの日のリンツァートルテがフラッシュバックさせられた切っ掛けは、他でもないジャムではなく生地の方であった。今週のカフェでの私の能書きは一層熱を帯びていたに違いなかった。
それはそうとそのリンツァートルテに使うジャムを作るべく相変わらず酸塊を気に掛け探していた私は、近頃道の駅に酸塊が並ばなくなった事に気が付いた。以前手に入れた時に置かれていた一角はブルーベリーで埋まってしまっているし、さくらんぼや桃が並び始めたのと入れ替わるように酸塊を見なくなった。
来る日も来る日もその一角のみならずぐるりと全体を確認していたが結局いつまでも酸塊は出て来なかった。それで木曜日になって道の駅の職員に「酸塊を持って来られる方っていらっしゃいますか」と聞いてみた。すると職員は「最近はすっかり並びませんね」と言った後、過去に酸塊を持って来ていた人がいるから御繋しましょうかと言って来たから、それなら是非とお願いしてその場を後にした。
配達を終えて帰宅した時、知らない番号からの着信があった。出れば先程道の駅で紹介していただいた方である。何でもこの方の手元にはもう無いが、その友人に一人酸塊を持っている人がいるから電話で聞いてみると、そういう話であった。見ず知らずの私の頼みだというのに随分親切である。それで私はお願いをして電話を切った。
すると今度は昼過ぎである。朝電話を切った後に“スグリの高田さん”と登録しておいた番号から着信があった。こちらから名乗って電話口に出ると、友人の畑には矢ッ張り沢山あるがどのくらい欲しいんだか分からないから直接遣取して下さいと、今度はその友人の電話番号を貰った。それで高田さんとの電話を切った後、立て続けにその友人の方へ電話を掛けた。
話は単簡に済んだ。私の「あるだけ欲しい」という思いと相手の「あるだけ持って行って欲しい」という思いが合致した。「採る時は一度にまとめて採っちゃうよ」と相手が言って、私も「一度にまとめて頂ける方が好都合です」と返した。そうして、それでは金曜日か日曜日であれば都合が付けられます、急ぎじゃありませんからゆっくり採って下さいと言って電話を切ると、その日の夕方にはもう折り返しの電話があり「今からお届けに上がれますが」ときて、それで大凡三キロにも上る酸塊が手に入った。朝ちらっと人に尋ねた「酸塊」という言葉がその日の晩には三キロの実体を持って返って来た。それも面識のない人を伝って、である。
さて然し人繋ぎの大秘宝を手に入れたは良いもののこれ生物である。あまり長閑していれば瞬く間に腐ってしまうと恐れたのは、つい最近に旧約聖書の中のマナという食料を知ったからであろう。次の日から酸塊を房から外し選別する作業が始まった。これには頗る骨が折れた。やってもやっても終わりが見えぬは、初めから見えている凱旋門まで歩けど歩けどなかなか到達しないシャンゼリゼ通りの如しであった。
一先ず初めの三〇〇グラムでジャムを作った。これがリンツァートルテに換算して二つ分と弾き出されたから、以降三〇〇グラムずつ選別しては洗って袋に詰めて冷凍庫に入れた。パンを焼くに加えてカフェの準備も営業もあったから酸塊選別にあてられる時間も限られて、その上どうだろう、こうした細かい作業に限って大雑把に出来ず妙に拘ってしまう私の性分も相俟って今なお全てを選別し切れていない状況である。目方で残り六〇〇グラムだとすれば、全部で二四〇〇グラムにのぼる。正当に金銭を支払いこそしたが思いがけぬ贈物であった事は確かである。
私のこの一週間を振り返った時、人との繋がり、しかも予測不可能であったりそれまで知らずにいた人との繋がりが妙に頻発していた事に気が付いた。週の始め頃には市の職員とパンの物撮りに出掛けたが、そこで地域おこし協力隊の一人と挨拶をした。するとその翌日、過去にイベントで知り合っていた弁当屋の御母さんが中心となってやっている催しに「遊びにおいで」と誘われていたから出向いてみると、出店者の方々と知り合う中で偶然なのか通りかかった青年とも挨拶をすると彼もまた地域おこし協力隊員だと言った。それで例の酸塊の二人を挟み、カフェの営業をしているとさらにもう一人地域おこし協力隊員の方が見えた。皆其々に何の脈略も無く知り合い、そしてまた其々に別件で話を盛り上げたり依頼を受けたりした。
その日のカフェでの出会いはそれだけに留まらなかった。先日、イベントで私のキッシュを気に入り是非近々セット販売をさせて欲しいと申し出て下さった夫婦が来店すると、その段取りを打ち合わせた。その上私が並べていたケーキなどを眺めながら、色々出来そうとぼそり呟いたのはフランス生まれという婦人の方。彼女との遣取は西洋人らしくはきはきとしていて、ドイツ人と話していた頃の感覚で向かえるから非常に円滑で快活であった。
さらにはこの街が誇る生チョコの祖と呼ばれる菓子職人もその日来店し、思いがけず知り合うに至った。彼はこの場所のオーナーと話をし、私も接客にばたばたとしており膝を突き合わせて対話をする時間こそなかったが、パンを買って頂く際に幾らか話をし、後に名刺を交換した。以前食べた彼の店のチョコケーキが非常に美味しかった事を伝えた際、大御所のシェフパティシエを前に大変恐縮ではあったが「ヨーロッパに住んでいた頃を思い出す様な懐かしい味でした」と言うと、案の定その菓子の生まれはスイスで、彼是五十年と変わらぬレシピで作っていると言った。美味しいものは変に変える必要が無い、という言葉を聞いた時、人知れず、また肩を並べる様な言い様で大変恐縮ではあるが、胸の透く思いがした。
近々、二店舗目を構えパンや焼き菓子も焼くという。それがドイツらしいライ麦のパンだという話である。彼は去り際に「君のパンも委託でも何でも私の店に置いてみたらいいよ」と優しく言った。何とも面白そうな台詞である。この台詞が社交辞令であろうとテンプレートであろうと、また彼の真意が本気であろうと嘘であろうと、仮にそれが行われた時の損得の勘定がどうであろうと、そんな事には目もくれぬ私は、ただこの日にそうした言葉をシェフパティシエに貰った事実が面白いから良いのである。思いがけ得ぬ人脈の上に芽が出たなら、それが咲こうが枯れようが芽が出た事実を純粋に喜ぶのである。そうしてそれが咲くか枯れるか、それが分からぬから面白いのである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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