*13 日と月と音と
これほど終業を、週末を待ち侘びた一週間は久しぶりであった。今週は土曜に休みを指定されていた私は、金曜日の仕事も粗方になってきた頃から時計を見ては終業迄後何時間だと、児童の様に浮かれた心を見習い生の前に露にしてまでも口にせずにはいられなかった。そうしてまた心を窮屈にしていた枷が徐々に弛まっていくのを見付けた私は、その甚大な解放感に足が浮くどころか其処ら中を跳ね回りたい様な気が起こった。それほどまでにこの一週間は片時も心が休まらなかった。気も張りっぱなしであった。次第に心が過敏になると共に、体も表情も屹度強張っていた。それで私はすっかり余裕を失ってしまって、平生ならへらへらといなすであろう些細な事さえ頭の隅に引っ掛かって何とも卑怯であった。
私は同時に複数の仕事をするのが別段苦では無かった。そうした無理があると却ってそれらを全て熟してやろうと寧ろ意欲的になった。しかしそれと同時に急き立てられる事は苦手であった。また急がなければいけないからと言って早く済ます代わりに仕事が粗雑になる事はもっと好まなかった。
今週からアンドレが休暇に行った。入れ替わるようにヨハンが休暇から戻って来た。先週と同様に見習い生の監視役として朝の五時に出勤していた私の仕事も、それによって少し変わった。
アンドレが居ると彼は多くの場合生地の仕込みを担当していた。それを欠いた今週の工房では、私が出勤するまではシェフが生地を仕込み、それから私が生地の仕込みを引き継ぐ形になった。それについては私も疾っくに心積もりがあった。ところが月曜日を迎えていざ蓋を開けてみると心積もりをしていた以上に忙しがる必要があった。
私が出勤して一つ二つ作業を済ますとその内見習い生の二人も出勤してきた。今週は先週と入れ替わりで、マリオが製菓の方に、クララが製パンの方に其々付いた。それだから先週マリオに教えた手順を、今週はクララにまた同じように教えてやる必要があった。私は極力丁寧に説明をした。
私がシーターの前に立ってクララにペストリー生地の折り込みを説明していた頃、丁度ルーカスとヨハンが休憩に行くと言うので、彼らが戻って来た頃にプレッツェル生地が出来上がるようにしておこうと私は時計を見ておいた。そうしてまた説明を続けていると、今度は製菓の方からシーターは後何分くらいで空きそうか、という質問が掛けられた。私は咄嗟に具体的な解を求める事が出来なかった。私一人で折り込みをするのであれば大方の目安はついたが、見習い生を抱えているとなかなか難しかった。それで私は大体の時間を一旦告げてみたが、それからまた教えている内にどうも約束の時間に機械を空けるのはとても間に合わないと気付き、正直にそれをまた伝えた。製菓の方でも私の状況を理解はしていた筈であるから屹度冗談の積であったのだろうが、肘を曲げて手首のあたりをとんとんと指で叩く急かす意を込めた仕草は、その時の私にとっては邪魔であった。それでも何時までに空くと約束をしたのも自分であった手前、急がなければ相手の予定が狂ってしまうという責任もあった私は、クララに説明しながら何度か手本を見せ、そしてまた彼女にもやらせてみせたりもしたが、時間の都合上半分以上の生地を私がやる必要があった。その上シェフから、ツヴェッチゲンダッチを何時までに仕上げてオーブンに入れるようにという指示もあった。
そうこうしている内にルーカス等の為にプレッツェル生地の準備をしなければならない時間になっていたから、私はそちらに取り掛かるからその少しの間だけ折り込みをクララにやってくれるよう頼んだ。幸いそれほど広くない工房の中で私の目の届く所での作業であったから、私は常に注意を払いながら生地の準備をすすめられた。
それから直ぐに彼らは工房に戻って来た。直に生地は出来上がった。その時私は製菓部門に追われるように生地の折り込みを片付けるのに躍起になっていた最中であったから、気付けば私が生地の出来上がりを確認するよりも前に彼らはどんどん作業を進めていってしまった。これは私の無責任であった。そうして仕事が進められた先で、ルーカスが遠くで「生地が硬すぎる」と言う声が聞こえた。その時彼は既に生地を機械に入れて分割を初めていた。何故機械に入れる前に言わなかったのかという僅かな憤りを感じつつ私は折り込みの手を止めてルーカスの元へ行き、そこで自分でも生地を確認した後、確かに大変硬かったから「それなら全ての生地を一旦ミキサーの中に戻せ」と少々声を荒げて、作業台の中にまだ残っていた生地の塊を一つミキサーの中に放り込んだ。彼は「もう遅いだろう」と言って聞かなかったから私は放って一先ず折り込みを片付ける方に戻った。製菓に機械を空け渡す時間はとっくに過ぎていた。そうしてプレッツェルは作り直しこそしなかったが触る度に胸の痛むような出来になってしまった。
そうした事が大変多い一週間であった。週半場には或る穀粉の在庫が無い事に気付き、急いでシェフに翌日に来る配達への追加注文を大至急お願いする連絡を送った。本来私一人が責任を負う必要の無い事柄の筈であったが、毎日生地を仕込む役回りであったから「何故こんなにぎりぎりになってから言うんだ。常に注意を払っておけ」と私の緩慢な管理を咎められるような気がして心が重たくなった。また金曜日にはカイザーゼンメルを成形の機械で回す傍ら、クララにアインシュトラングツォプフ教える必要があったから、カイザーゼンメルの機械と作業台とを忙しく行ったり来たりしながら、その上でまたプレッツェル生地を仕込む必要もあった。同じ失敗を繰り返す事は無かったが、見習い生の面倒を見る事と生地を仕込む事のそのどちらもに神経質にならざるを得なかった。それをまた誰かに頼る事も出来なかった。鬱憤を見習い生に悪態としてぶつける事などは言語道断であった。それだから金曜日の終業に感じた解放感は物凄かった。
土曜の夜にはアンナの主催するポルターアーベントに予定通り出席した。正直な事を申せば、出発する前の私の心は今週の多忙に頗る神経質になっていたから宛ら吉川夫人に対して妙な感を抱くお延の如しであった。それでも八年もドイツに住ながら初めての催事であったポルターアーベントは、殆どの事が上手くいかなかったこの一週間を浄化するかのように充実した。
賑やかに皿の割れる音で幕を開けたポルターアーベントは結局深夜の一時前まで続いた。食事に酒も振る舞われ、その内今週一週間の嫌な記憶も頭の外へ押し出されていた。時に職場の仲間とナーゲルバルケンという遊びで盛り上がった。時に私と同じく製パンマイスターである製菓職人のシルビアの旦那と製パンに纏わる研究話で盛り上がった。こうも製パンに関する話を出来る人間が身の回りにいないから大変愉しくビールも進んだ。そして時に見習い生のマリオと冗談を言い合って大笑いしたり、時に若い同僚達のダンスを見て和やかに笑った。それから本日の主役たるアンナの婚約者であるペーターと何だ彼だと話し、彼の勧める強いアルコールを片端から試飲した。そうしてそれらは悉く私の気に入り、来月の友人の誕生日に贈答品として贈る考えさえ生まれた。
そんな催しに参加して、私の沈んでいた心はすっかり回復した。思い返せば終始私のドイツ語はいつにも増して下手であった。それでも愉しかったと思えた所に、今の私が知り得るべき事が隠されている様な気がした。考えるのは大切であるが、何事も過ぎるのは毒である。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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