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*41 獄暑

 猛暑、酷暑という熟語もすっかり目に耳に馴染んだものである。私個人の場合を言えば、どうにも近頃頭角を現した熟語の様な気もするが、これを紐解くとどうやらこれはドイツに渡る前の私の記憶らしかった。八年も昔の事だから曖昧然たること疑う余地無しであるが、あの当時にはまだ猛暑という言葉ははやし言葉であった様に思う。それが今やごく自然の現象如く定着し、そればかりかいつの間にか酷暑という上位語さえ平然と肩で風切って歩いている。
 
 彼らがその存在感を高め、幅を利かせだした過程を私は蚊帳の外から眺めていた。猛暑も酷暑も我が国の脅威だと聞きながら、体験せぬ内は見覚え得ぬから他人事だとばかり思って、ドイツは暑くても湿度が低くて快適だと、人が言うのを鵜呑みにしてはそういうもんなんだと疑わず、いつしかその“快適な暑さの中に身を置いてる”事にも慣れながら八回の短い夏を越して来た。
 
 
 敢えてその続きから勘定した場合の九回目にあたる夏を到頭日本で迎えた。暦の規則や気候の定石を素知らぬ私は夏、の定義を論じるつもりはない。私がここで迎えたと言う夏は、あくまで肌身に覚えた体感に従ったものである。しかながら私の肌身が感じ取ったものは、厳密に言えば夏の訪れではなく身の危険、あるいは猛暑酷暑の実態とそのおぞましさであった。
 
 
 蚊帳の外から眺めていた猛暑酷暑の中に今身を置いているという実感が鮮明になった今週、私はようやくに人からの受け売りで口にしていた「ドイツの暑さは湿度が低くからりと乾いている」というのを真に理解した。じめじめと蒸す日本の夏の不快指数というものを身を持って学んだ。数値に直して具体的に比較し測れる知識も技術も無いが、気候がもたらす体への影響が明らかに異なった。
 
 
 また先週迄の体感とも違った。何時いつからの癖か天気予報というものをろくに見ない私であるから明白な事は言い切れぬが、恐らくこれほどまでに心身が猛暑とそれによる不快感を察知したのは今年に入っても今週が最初であったように思うから、一気に気候が夏めいたんじゃないかと睨んでいる。いや、この睨んでいるという所作は恨みを持って細めた目で猛暑を睨みつけるというニュアンスを大いに含んでいると思って頂いてもまず間違いはない。
 
 
 何もしていなくても、すなわちただそこに存在しているだけで体中がべとべととして不快である。然し生きていて、全く何もせずにいるというのはなかなか難しい。一歩でも歩けば背中に汗が伝う。目を覚まして起き上がれば既に腕周りがべたついている様でなかなか清々しくもいられない。そんな生物的必要最低限の所作ですら不快感を伴う時、それが工房に籠ってパンを焼くともなれば何倍もの不快感が生まれるのが容易に想像が付こう。
 
 
 パンを作る作業には体の運動が伴う。熱が生まれる。パンを焼くにはオーブンがいる。高熱が生まれる。そうして生まれた熱がなかなか逃げていかず、天井の四隅に至る迄を熱で埋め尽くさんとする。ずっとそこにいれば自然体は慣れていく。もとい麻痺していくのかもしれない。体が感じる暑さを、脳がなるべく暑さと判断しないように必死に目を背けているのかもしれないと思えばその方が合点がいった。そうかと言っていっそ匙を投げてその環境から逃げ出すことも出来ないのは、工房に充満する熱の如しである。
 
 
 今週、キッシュの大きな注文があった。先方の方で製造している飲物と併せてイベントで販売したいという、先週の内に頂いていた依頼である。意気揚々引き受けたその時の私は、今週の暑さを当然想定していなかった。無論、暑いから引き受けないという選択肢があるというわけではないが、パイ生地の折り込みにこの猛暑は大いに影響を及ぼすから、今週になってそれが大変な懸念であった。

 またキッシュのパイ生地に加えてクロワッサン生地にも手を焼いた。いや、包み隠さずに言えば決して満足な折り込みが出来たとは言えなかった。焼き上げて形にこそなったから傍目に見れば特に気付かぬかもしれぬが、それで良しとし難いのが職人のさがである。キッシュの生地は酵母を使わぬからその点まだ良いが、クロワッサン生地は酵母が入るから、バターが暑さに溶けやすいという課題に加えて生地の発酵が進みやすいという課題もある。理論の上では知っていても、ドイツ育ちのパン職人である私にとってこの蒸暑じょうしょの中でクロワッサン生地を折り込むは初めての体験であるから、全く辟易とした。
 
 
 さらに良く無いのは暑さが精神の方まで浸食してくる事である。私のみの事であれば恥を忍んで書きさらす形になるが、体中がべたべたとし、些細な動きにも汗腺が機敏に反応し、暑さがもたらす体や生地への影響を気にしながらの作業となれば、気に余裕も無くなってしかる。べたべたとした肌の不快感だけでも、そこに絶えず神経を使わざるを得ない環境は御世辞にも痩せ我慢にも快適とは言えない。その上であれこれと気を回さねばならないとなると、足枷やおもりを括りつけられているに等しかろう。これを痛感して、私は尽々つくづくこの暑さの中、涼しい顔で己のパフォーマンスに勤しむ日本人に頭が上がらないと思った。
 
 
 土曜日になってカフェ営業を始める前に、約束のキッシュを先方へ受け渡した。幸いに美味い焼き上がりになって良かったが、だからと言って折り込みの課題とは向き合う必要がある。そしてカフェの為にビーネンシュティッヒを作った時、今度はクリームの泡立てにもこの蒸暑が猛威を奮う事を身を持って味わった。いやはや夏である。これでまだ梅雨も明けていなければ夏本番も控えていると思うと、何をしていなくとも辟易としてならなかった。こういう気候の元に生まれては、生きてるだけで丸儲けと自分を鼓舞してやりたい気持ちも解る反面、見方を変えれば生きてるだけで損している様な気さえして困った。
 
 
 カフェは比較的賑わった。用意したケーキはほとんけた。先日三キロにも上る房酸塊ふさすぐりを準備して下さった方も見えて、リンツァートルテ改めスグリのタルトを食べて行って下さった。「あら綺麗なジャムになるのね」と親しみのないらしい酸塊スグリのジャムに感心し、肝心の味も気に入って頂けた様で良かった。
 
 
 冷房を効かせたカフェでの営業に対して、翌日曜日のイベント出店は言葉を選ばずに言えば地獄の様な一日であった。不安定な天気が続いていた合間、晴れてくれたことは良かったが、とても心地良いと言える気候ではなかった。テントを張って日陰を作った所でパンを並べて販売をしていたわけであるが、体に浴びせられる“暑さ”が私の知っている“暑さ”とはまるで様子が異なった。日光を避けた日陰にいるはずだのに肌は日焼けをしているようであったし、小銭も水もパンもすっかり熱くなっていた。日陰がまるで日陰の役割を果たしていなかった。
 
 客足も果たして多くなかったが、これだけの暑さであれば余程魅力のある物が並ばない限り態々わざわざ外へ出るのも億劫で然る。結局パンはこれまでの出店で最も多く売れ残った。胸は痛むが、こういう結果も大切な情報である。それよりも激暑によって頭が痛み始めた方が深刻で、奪われた体力を気力で補ってどうにか片付けまで完遂した。
 
 駐車場に停めておいた車に乗り込む。中は恐ろしく暑かった。車内に子供を残して、というニュースの深刻さも身を持って感じた。それにしてもこれだけおぞましく蒸し暑い国でなおもサウナが流行っているとは、ちょっと今の私には到底理解し難い境地である。


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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