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*17 生を活かす

 ホロスコープもタロットカードも読めない私であるが、週の始めの月曜日の早朝、出勤の為にアパートを出るなり見上げた空に目撃した流星には、何か幸運が訪れる予感を覚えずにはいられなかった。これは微塵の根拠も極微の裏付うらづけも無い、即ち私の直感であった。私は大変な小心者である。同時に臆病者である。石橋を一度や二度叩いたからと言って安心して渡るにはもう少し時間の要る心配症患者である。それだから何をするにも繊細に考え慎重に動く性質なのであるが、その割に強く閃いた己の直感にはすこぶる従順で、何の疑いも持たず妄信するような所もあった。この日の私は全くそれであった。ただ流星を目撃したからと言って、良い一週間になるんだろうと考えながら職場を目指して歩いた。

 

 今週の私には一つ大きな任務があった。任務と言っては甚だ仰々しいが、それは職場の同僚に寿司を振る舞うというものであった。先週ヨハンの餞別に際してレバーケ※1ーゼを皆で食ったが、誰かの誕生日があると年を取った本人がレバーケーゼを準備して皆で囲んで食うという習慣ならわしがこの職場にはあった。それで先日誕生日のあった私は、前々から「君の時には寿司だろう」と言われていたのを受けて寿司を作る事にした。単に寿司と言っては米の上に刺身を乗せた物を想像してしまうのは我々が日本人だからであるが、ドイツ人にとっての寿司と言えば米を海苔で巻いた巻寿司の方が馴染みがあった。

 私は月曜日の仕事中から「今週の水曜日に寿司を持ってくるよ」と皆に呼び掛けておいた。呼び掛けておきながら胸の内では、やっぱり彼らは口では寿司と言いながら腹はレバーケーゼを待っていただろうかなどと心配を巡らせていた私は、いやいや私の任務は寿司を巻く事でそれを美味いと感じるか醜味まずいと思うかは彼らが下す判決なんだから、私が先立って頭を悩ませる必要は無い筈じゃないか、という月並みな問答を繰り返しながら材料を買い揃えるなどして水曜日までを過ごした。

 

 当日は平生よりも余計に一時間早起きをして米を炊いた。近くのアジア食材店では大した食材が見付からなかったから、殆どの材料をドイツのスーパーで揃えた。寿司を巻きながら思い返すと、そう言えば私はこれまでにドイツ人に寿司を振る舞った試しが一度として無い事に気が付いた。そもそもイタリアのピザやドイツのパンが日常の生活に根付いた食べ物であるのに対し、日本を代表する食べ物が非日常の贅沢に根差した寿司であるという点に違和感を抱いていた私であったから、日本人として寿司は人に作って振る舞う物であるという認識が今の今、こうして人から言われるまで起こる事も無かった。

 なんとか出勤時間までに作り終えた寿司を入れた手提げの袋の中には醤油と山葵わさびも入れた。これは山葵が私の大好物であるから持って行くという利己主義エゴイズムではなく、彼らが山葵を口にした際の反応を見たがる只の興求主義キュリアシズムであった。

 

 例にならって九時頃に皆で休憩室に集まった。持って来た寿司を切り分けてみると、想像していたよりも少なく心なしか物寂しかった。私がそれぞれの皿へ幾つずつと取り分けていると、少し遅れて製菓職人のアンナとシルビアが入ってくるなり、私の目の前に紙袋を置いて「私達からのプレゼント」と言った。余りに予期せぬプレゼントであったから私は喜ぶよりも先に驚いた。そうして驚きを追う様に「ありがとうDanke」といって中を覗くと、ウイスキーとチョコレートと、それから職場全体の同僚達が其々署名した祝いの手紙も入っていた。

 肝心の寿司は好評であった。好評であったからこそ猶更量の少なさに引け目を感じた。これまでに寿司を食べた事が無いというルーカスもいぶかりながらも美味いと言った。アンドレなどは山葵を大変気に入ったようであったから、某処どこそこのスーパーで買えるよと教えてやった。またアンナとシルビアは、具としての卵焼が初めてであったようで意外らしい顔でそれでも良いと言っていた。マリオは醤油を付けずに山葵だけでちんまり寿司を食っていたから醤油は要らないのかと二三度聞いたが何れも要らないと頑なであった。何にしても私の心配が取り越し苦労に終わって御の字である。また流れ星の如く突然目の前に贈られたプレゼントが大変嬉しかった。

 寿司を振る舞う以外は日頃と然程変化無く続いていくと思われた仕事であったが、週の半頃に現れた巨大なツォプ※2フによって私の中で一つ盛り上がりを見せた。突然シェフがツォプフ用の生地を仕込み、捏ね上がった生地を分割すると作業台一杯に伸ばされた三本の棒を作った。それを順番編んでいく。そうして三人掛かりで木板に乗せると、一晩冷凍室で寝かせた後、オーブンの中に奥も手前もぎりぎり一杯に焼かれた。途中、焼きむらを防ぐ為に前と後を入れ替える作業は一筋縄ではいかなかった

 プレッツェルを成形しながらアンドレが、あれはSpitzweckenシュピッツヴェッケンというんだと教えてくれた。話によれば、バイエルン地方における結婚式の風習で、シェフが作っていたものも何某なにがしかの結婚式の為の特別注文らしかった。私はそれを聞いてまた好奇心が掻き立てられた。

 

 シュトレンが何より有名であるが、ドイツには季節や催事に合わせたパンが幾つもあった。ここにドイツパンの食文化としての歴史と生活への根付き振りが見られるわけであるが、それは単に季節の果実フルーツをあしらったタルトでも無ければ祝祭日の象徴シンボルかたどったパンでもなく、軒並み一見何の変哲も無い姿をしている場合が多かった。シュトレンも粉糖が雪を見立てていると言う以外に奇抜な点など見当たらない。このシュピッツヴェッケンも大きさに惑わされるだけで物はただ三本編みのツォプフである。それでも私の好奇の心はサンタクロースを模したパンよりもシュトレンの方に俄然惹かれた。ただ大きいだけのツォプフを運ぶ時には祭の神輿を担いでいるかの様な気分で舞い上がった。そうして私を嬉しがらせる要因は果たして何であるかと考えれば、それはパンという食べ物に込められた想いに他ならなかった。もっと言えばこれは作り手である職人の想いではなく、シュトレンを一日一枚ずつ切り分けて食べながらクリスマスを待ち、結婚式に登場する巨大なツォプフに歓声を上げるその消費者の想いの事であった。人間として産まれた以上、人間としての生物的な役割に務め、人間としての根本的な生活を楽しむという精神が随所に見られるドイツの空気を吸って吐いて育て上げられたであろう文化が、パンという形で以て人々の口に入り、腹に落ち、そうして浸透していく謂わば普及媒体であるのと同時に、その普及媒体であるパンを生産する職人を支える消費者の肉体を育む主食の一面をも持つ時、長い歴史の積み重ねの末に構築された信頼による人とパンと文化の強靭な結束から生まれた想いに私が心底惹かれるのは当然であった。そしてそれがドイツのパンの存在であった。

 

 見習い生の面倒を見る役回りになってから土日が休みとなる事が増えた私は、この週末にはミュンヘンへ行き、先日マイスター試験を見事合格した元同僚夫婦と、それから八年来の付き合いになる友人を訪れた。人と会うというのはそれだけで刺戟である。果たして私が流星に覚えた予感は現実のものとなったと言えた。良い一週間というのは実に曖昧な基準であるが、曖昧であるからこそ目に留まる幸運というのもあるだろう。贅沢をせずとも生活はそれだけで案外十分である。

 

 


(※1)レバーケーゼ:ドイツの名物料理。
(※2)ツォプフ:編みパンの総称。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

 

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