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*10 冒険前夜

 百聞は一見に如かず、と言う言葉の度が過ぎてしまうのが私の性質であった。まあ余り偉そうに思われたって嫌だから意を引っ繰り返すと、すなわち聞いた噂話を鵜の如く飲み込む事が昔から如何いかんせん苦手であった。かつて日本で働いていた頃の同期入社の男が入社してそう経たない内から「何某なにがしと言う名の先輩が全く仕事も生活も大層ひどいらしい。金の管理も杜撰ずさんだという話だ。そんな最低な野郎に従うなんて御免じゃあないか」と眉間にしわを寄せながら私に話して来た事があった。この同期の男の言うような何某にまつわる悪い噂と言うのは社内で大変有名であったから、そういう意味では信憑性もあったのかも知れないが、当時の私はまだその何某と働いた事も無ければ酒を酌み交わした事も無かったから、同期の男と同じ温度になって「御免だ、御免」と共感する事も出来ず、「まだその何某を良く知らないから何とも言えない」と茶を濁しつつ、そればかりか胸の内では「凄い剣幕だが君、果たして君は実際にその何某先輩から害をこうむってそれで激昂しているのかね」と甚だ疑問に思いながら、それでもそれらしく話の相槌だけ打っておいた。
 
 百聞は一見に如かずの度が過ぎるのと同時に、あらゆる何かしらを考察するのも好きであった。これをてみたらこうるのではないか、既に起こっている事象の経緯にはこんな事があったのではないか、誰それの言葉と胸の内、文化と社会と国民性、一見無関係にも見える情報の断片同士を繋ぎ合わせて一つの解を推察すると言うのは最早無意識中に起こる私の癖である。そしてその癖の先、即ち考察の答え合わせの手段も矢張り多くの場合一見に如かないとも思っている。一見の好機チャンスが目の前にあったなら、触れたくもなり、試したくもなるのである。
 
 
 パンの歴史をさかのぼる聖地巡礼の旅がすぐそこまで迫って来た。無論この巡礼の動機も例外無く、一見の好機が目の前にあったという所に帰するのであるが、それに触れたくなる時は決まって不安や心配の制御が効かなくなっているもんだから、後から心配事が次々出て来て小さい心臓がぶるぶる震える、というのが常であった。
 
 「予約したホテルにカイロ空港まで迎えに来てくれるよう頼んだ」と仕事中、アンドレに云った。彼は興味津々に、君一人の為に来てくれるのかだの、空港でどう待ち合せるんだだのと色々聞いて来たが、実際私も行った事の無い場所でのやった事の無い事だから、騙されたつもりになってホテル側からの連絡のままアンドレに伝えた。過度な心配症を患う私は実際、空港まで送迎が来ない可能性どころか、現地払いという約束で予約したカイロのホテルが実在しない可能性まで疑繰うたぐっているから未だにどきどきなのであるが、一方で性善説なんかが心根に宿っているもんだから、まあ最悪の事態が起こったにしても相手が人間である内は何とか出来るだろうと呑気のんきでいるのもまた事実である。「送迎は何で来るんだ、屹度きっとリムジンか」と嬉しそうに冗談を言ったアンドレに「いやいやラクダに違いない」と言って二人して笑った。それから空港で電話が使える様にシムカードも買わないといけないんだと私が言うと、「エジプトから帰って来られなくなったら連絡を入れるんだぞ。ピラミッドで迷子になって出て来られないかも知れない」とアンドレが最後に「迷宮ラビリンスみたいに」と付け加えて言って、また大笑いした。
 
 翌木曜日、そんなアンドレは随分早い時間に早退した。トミーから口伝くちづてに聞いた話によれば、なんでも娘の具合が悪いからと言う話であった。まあそれなら仕方がないなと飲み込もうとした矢先、トミーはにやにやとしながら「実際はどうだろうかね」と不断ふだんと様子の違ったアンドレの行動から推測して言った。幸いこのトミーと言う男が愚痴ったれでなく、よしじゃあ二人でこうやって仕事を片付けようと話の出来る男であったから二人ともそれ以上何も言わなかったが、いずれにしても私の有給休暇前にアンドレと会ったのはその日が最後であったから事の真相も迷宮入りで、ろくな挨拶も出来ず仕舞いになってしまったのは少し残念であった。
 
 
 突如人手の欠けたその日はトミーと二人そのまま休憩も取らずに最後まで働き続けた。途中ゝゝとちゅうとちゅう販売婦から「何か食べる物は要るかい」と聞かれたが、その度に空腹を感じていなかった私は幾度も丁寧に断っており、その内ついに「ちょっと、なんにも食べなくて大丈夫なの」と余計な心配を掛けるまでになってしまったから、最後は「それじゃあ冷たい水を頂戴」と言って喉を潤した。気付けば腹の減りも喉の渇きも便所に行く事も忘れて最後まで働いていたから――特に何かを考えている内にそうした生理現象をすっかり忘れている事がくある――、飲んだオアシスが体に染み渡るのが良く分かった。

 この販売婦をはじめ私より幾つも年上の彼女ら販売婦達からは随分可愛がられている。月曜日などは私が休憩に入ろうと店頭に出向き、いつもの通りカプチーノを、然し何の気無しにバイエルン訛りを交えて注文してみただけで「バイエルン弁を喋った」「少しずつバイエルンに染まって来たんだ」と大袈裟にはしゃいでいた。私も人を笑わせる事に案外重きを置いて生きている節があったから満更でも無かったが、それにしたって一を投げて百と返って来たもんだから想定外の反応で呆気に取られてしまった。
 
 その内のマヌエルと言う販売婦が土曜日、私が一人工房の掃除をしている所に顔を出して来て少し世間話をした。来週の私の休暇についてもかれたから、大凡おおよその日程と心配事とを話すと、続けて「いつまでこの職場に居るんだい」と神妙な面持ちで聞いて来た。
 
***
 
 今週の火曜日、二月の末日に私はシェフに直々、この職場を辞めて日本に帰ろうと考えている旨を遂に話していた。こうした場面は人生で三度目になるが、三度目になっても言うべき時期や言葉や態度が掴めず、それからシェフの反応を彼是あれこれ悪想あくそうしてしまうから、いざシェフの前に立って告げた時、予想外に温かい反応が返って来てほっとしたと共に、肩の力が抜けたからか、自分の口から案外すらすらと感謝なり思い出なりが出て来たのには我ながら驚いた。私もシェフも顔の強張る事の無いまま話を進め、彼の言葉に却って嬉しい気持ちにすらなったが、いざ事務室を出て工房へ戻ると、遂に言ってしまったと言う――無論端からその積であったに違いないのであるが――事に心か体か頭が騒々そわそわとしてしまって、一度無意味にぴょんと一つ跳ねてみた。
 
***
 
 それだからマヌエルがその話を知っていても不可思おかしい筈は無かった。私は正直に何時ゝゝいついつまでだと言い、それから日本への本帰国の話もすると寂し気らしい表情をした。それで私が「君も一緒に来るかい」と巫山戯ふざけると「私も家族や子供や孫が居なかったらドイツを出て何処かへ行っちまいたいよ」と語気を荒げてドイツ社会への不満を一通り吐き出した。続けて「然し長い間住んだ所からまた遠くへ引っ越すのは大変な事だよ、簡単じゃないね。同僚も友人も置いてかなくっちゃならないんだから」と、私の事を立派とでも、或いは気狂いとでも言う様な調子で年長者らしい言葉を掛けて来た。私はへらへらと同意しながら、ひょっとすると私が主観で感じている以上に傍からは大事おおごとに見えるのかもしれないなとはっとした。
 
 
 仕事を終えて帰る間際店頭に挨拶をすると、マヌエルとそれからペティもどしどしと近付いて来ては「休暇を楽しむんだよ」「旅行は気を付けるんだよ」「ちゃんとまた帰って来るんだよ」と息子でも見送るように言葉を浴びせて来た。余りに一気に浴びたから笑って「ありがとう」と答えるより他に気の利いた言葉も浮かばず、話の隙間でまた少し考えたりしてみたが矢張り「ありがとう」ばかりであったから、その後職場を後にして道を歩いている際に「ああ、こんな言葉が返せたじゃないか」と思い浮かんだ言葉も空気に混じって何処かへ行った。
 
 然し反省したってしなくたってこれで休暇である。月曜日に発ってアテネ、カイロと回って金曜日に帰って来る、と言うと皆決まって「ゆっくり出来ないじゃないか」と言ったが、家にいたってゆっくりの仕方もまったりの仕方も解らないでいるんだから一緒である。旅行と言ったって地図上の何処其処どこそこに自分が居る、という感じを頭の中で実感さえすれば実際の所それで満足する性質だから二週も三週もあったって却って持て余すし、その上今回はパンの歴史と大変因果の深い所へ行くんだから地図の上のみならず歴史の上にだって御邪魔する積である。極論アクロポ※1リスもピラミッドも見れず仕舞いで帰って来たって、歴史を遡るが如くその土地を訪れる以上、その新世界で得た経験は全て私の学畜がくちくになる筈である。百聞は一見に如かず同様、矢張り学習は実践にきざすのだろう、と不図、思った。
 
 
 

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。



(※1)アクロポリス:ギリシャ・アテネの観光名所。パルテノン神殿などがある事でも有名。

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