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*8 人の世、人の情

 ラジオからは相変わらずファッシ※1ングを盛り上げる為の音楽が繰り返し流れている。来る日も来る日も明くる日も同じ歌ばかり流れているから愈々いよいよ口笛でセッションするくらい出来るようになったが、それにしたって曲調が一辺倒で堪らない。同僚は皆、殆どの曲を一緒になって歌えるくらい熟知している所を見ると、ここ数週間繰り返し流れるファッシング音楽は今に始まった事では無く、ずっと昔から変わらず続いているのだろうと推測出来る。ドイツはいつもこうである。まるで不変なのだ。それが故に文化として根付いて来た物が沢山あるのは魅力的事実であるが、新しい風と言うのはその反対なかなか吹かない。夏場のアイスクリーム屋に行けばショーケースをからふる幾種類ものアイスに目もくれず、端から決まった味を入店と同時に注文するドイツ人は一向に珍しくない。却って私などが店員の目の前でショーケースを舐める様に、その時の気分に合う味を探す方が珍しいくらいである。
 
 然しそれにしたってファッシング音楽の一辺倒振りには辟易とする。例を挙げてこうだと指し示してやれないのが甚だ問答もどかしいが、日本の音楽シーンで言う所のおどるポンポコリンとそれに酷似した曲調の音楽が延々繰り返されるのを想像していただければあながち的外れる事もなかろう。すると気が付いたのは、おどるポンポコリンはその題に全く相応しい構成で、踊れる音楽として正しく作られているという事である。只今ドイツのラジオから突如としておどるポンポコリンが流れて来たってドイツ人は気付かず踊るに違いない。まさかそこに新しいアジアの風が吹き込んだからと言って、頭ごなしに毛嫌いしてチャンネルを変える事も音量を下げる事もするまい。兎に角ドイツのファッシングという文化については関心があるし、数年前にファッシング音楽が何故こうも人を踊らせるのかと考えて自分でも似たような曲調の歌を作らんとしてみた事もあったが、連日こう耳を触られるとなかなかこたえる。ファッシングを盛り上げるどころか、大至急ファッシングが過ぎ去るのを心待ちにする始末であるが、それは何も音楽によるものばかりではなかった。クラップフ※2ェンである。
 
 
 ファッシングの時期には飛ぶように売れるクラップフェンである。飛ぶように売れるのであれば飛ぶように焼かねば間に合わない。土曜には一時半に出勤した後、クラップフェンを揚げ始めると、最後のクラップフェンにジャムを詰め終えた頃にはすっかり五時半であった。アンドレから「君、四時間もクラップフェンを焼いていたね」と労いに御情けと御笑いを混ぜた声を掛けられたのもあったが、この際数の多さや時間は問題ではなかった。以前勤めていたパン屋では五日間中もひたすらクラップフェンにジャムを詰めていたんだから、それと比べたら、もとい比べ物にもならない量である。問題は熱された油から立ち込めるけぶい空気であった。何時だかに煙の臭いが厄介だとした事があったが、それ以上に四時間も煙を浴び続けていると仕舞いには目の奥、頭の内が痛んだ。それから腹は減っても食欲が欠乏していた。揚げたてのクラップフェンの地獄的な美味さに憑かれている私ですら、目の前に並んだそれらに全く手が伸びなかった。まるで油が空気に混じって体内に潜り込みそのまま体中をぐるり内側から包むが如く心持が悪かった。天窓を開けようにも生憎あいにく雨降りであった。これに慣れる日が来るならば、それはっくに血も汗も肉も神経も骨の髄までも油でべとべととし切った後であろう。まあ残り僅か、来週の火曜日までの辛抱である。

 火曜日に販売婦のジェシーが三十歳の誕生日を迎えた。それだから先週の内から彼女に見付からない裏で贈答用に皆で現金を集めた。それで集まった現金を包んだ小袋と皆の署名サインを集めたバースデーカードを手に持った販売婦のマヌエラを先頭に、我々製パン製菓部門の面々もぞろぞろと店頭に立つジェシーの元へ向かった。
 
 店頭でジェシーは場都ばつ悪く珈琲を淹れている所であったが、店頭に着いた我々はそれに構う事なく、誰からともなくハッピー・バースデー・トゥ・ユーの合唱を始めた。私の後ろにいたアンドレの声が、不断の様子よりも案外積極的なのが意外であったと共に心の温まる様な感じがした。歌い終わると口々におめでとうと声を投げ、マヌエラがプレゼントを手渡すと、もう一人の販売婦ペティは三十と数字の入った風船をジェシーの肩に取り付けた。主役の彼女が照れている向かい側で、祝う側の皆は笑顔でいた店頭の一角のあの空間は間違いなく幸福感に満ちていた。ここに見当たる感情はなかなか細密に言語化出来ないが、人間同士で作り上げお互いに生きている人間社会における大切なものの手本である様に思われた。そしてまたドイツに生きている内にそうした手本を幾つも見て来た。頭でっかちになり過ぎた故に心の比重が小さくなりつつある無機質な世の中に欠乏している人間味が未だドイツの其処彼処には転がって在る様に思われる。

サワー種

 今週はライ麦一〇〇パーセントのパンを焼いた。イーストを使わずサワー種のみで膨らませた。先週に焼いたロッゲンフォルコンシュロートブロートではサワー種らしいサワー種で無かったから、所謂サワー種らしいサワー種の姿を見ておきたかったのかもしれない。一先ずサワー種が健やかに膨らんで安心した。

古くなったパン

 それから古くなったパンも砕いて使った。あらかじめ細かく切っておいたパンを乾燥させて、それをまた微塵切りの要領で細かくしていったのであるがこれがなかなか手間を食った。チョッパーを使って砕こうともしたが、余りの騒音とそれに見合わない効率であったから泣く泣く包丁を手に取った。そこに沸騰した湯を注いでぐるぐると混ぜたなりしばらく冷まして置いた。

 生地を作ってみたら随分硬かったから途中で少し水を加えたがそれでも硬かった。サワー種とアルトブロー古いパント以外に水を加えないレシピであったから、その何れかに材料なり両なり微妙なずれがあったのだろう。生地が硬いと発酵が遅くなるから予定通りの時間ではまだ生地は静かであった。まあ元来発酵と言うものは時間で裁けないものである。それから様子を見つつ気長に待ち窯入れの頃合いを見極めた。

 大変美しく焼き上がった。これは然し美しい。完璧である。あらゆる方面から眺めてみたが非の打ち所が見当たらなかった。私が焼いて気たライ麦のパンの中で最も綺麗に焼けたと言っても過言では無かろう。生地に練り込まれたスパイスの香りが大変心地良かった。

 土曜日に仕事を終えたのは朝の十時前であった。工房を出て店頭に立つ販売婦達に向かって「良い週末を」と手を挙げて声を掛け職場を後にすると、その足でスーパーへ向かった。
 
 職場のパン屋の正面には八百屋がある。過去に三度程そこで用事を済ませた事があった。私がその八百屋の前を通り過ぎ、なおもずんずん歩いていると後ろから男が私を追い越し、それしなに「おはよう」と声を掛けて来た。見ると例の八百屋の親父である。私は笑顔で「おはよう」と返事をした。この親父が、私が八百屋で買い物した際にも大変親切に良い野菜を選り分けてくれた事を不図思い出した。町に数少ないアジア人だから目立つとは言え、こう顔を覚えて貰っているというのはなんだか嬉しい。あれを単に営業スマイルだと突っ撥ねてしまうのは罪である。もといこれが営業スマイルだったとすれば、ドイツに転がる人間味や人間社会の手本の様な温かさに私が気付く事も無かった筈である。
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。


(※1)ファッシング:カーニバル、謝肉祭のこと。コチラでも解説しています。
(※2)クラップフェン:ドイツのジャム入り揚げドーナツ。ベルリナーともいう。

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