見出し画像

*9 東京

 「一時帰国で東京に来て野球を見に行くなんて斬新で面白そうじゃないか」と友人と盛り上がった後、チケット迄事前に取っておいた試合の球団に感染症クラスターが突如起こった為に野球の試合は結局見られなかった。何たる不運であろうか。なかなか思い通りにゆかない。そう言う事が一時帰国中、もとい私の人生において大変多い。東京に来てから感染者数が拡大したのも連日の雨も予定を狂わした内の一つである。そうかと言ってそれらが最悪の結末を引き起こすかと言えばそうでも無かった。寧ろ「なんてついていないんだ」と笑える程度の被害で済むのも私の人生においていよいよ見飽きたほどである。金曜日にはドイツ行きのフライトを逃してしまった私であったが、余りにも想定外な出来事に偶々たまたま休みを取って見送りに同行してくれていた友人と大笑いした。

  スマートフォンのアプリでフライト情報を随時確認していた私は、アプリに表示されていた出発時間に間に合うよう余裕を持って家を出て呑気に空港に向かったのだが、空港に到着した時点で既に飛行機がった後であった。一向に何が起こったのか理解出来ないでいた私は一先ずチェックインカウンターに並んで、それで自分の番になると係員に尋ねた。簡潔に結論を言えば原因は私の不注意にあった。一月ひとつき程前にフライト時間の変更がなされたという旨のメールが手元に届いていたのだが、私が随時気にしていたアプリの方ではその変更が反映されておらず、私は私でメールの方をすっかり気にせずにいてしまったから、変更前の古い情報に合わせて私は空港に到着していたのであった。これが予定より何時間か遅くなるという変更であったなら良かったものの、先に行かれてしまってはもう為す術無しである。その時の私は自分でも驚くほど冷静であった。冷静に状況を噛み砕いていた。
 

 次のフライトは何時ですかと聞くと日曜日の朝だと言った。計算上では月曜日の仕事には間に合いそうである。私は直ちに片道分のチケットを取りたいと言うと、係員の方で確認だの調整だのとあって随分長い時間待った後、どうにか私はチケットを受け取った。無論余分に金を払ったが背に腹は変えられなかった。
 
 そんな顛末を友人と大笑いした。もとい大笑いするより他にする事も無かった。追加のチケット代も決して安くは無かったが、然し大笑いしていられる程の被害で済んでいるのも事実である。自分で言うのもはばかられるが、大変私らしい休暇の最後であった。昔から格好の付かない人生である。予定していなかった二日間の時間が生まれ、屹度これは私がまだ日本で遣り残した事があるという言伝ことづてに違いないと考えながら、友人に連れられて銭湯に行き湯に浸かっていると、そう言えば私はこの一時帰国中に気持ちの昂る様な、未来へ向けて勇気の出る様な話を会う人会う人から聞いていたので、人生の分岐点ターニングポイントの渦中に居る気がするほど精神面が燃え上がっていたのであるが、その分忙しく動いていた肉体の方を気に掛ける事が無かったように思われた。こうして湯に浸かる事も無ければ、一人頭を空にしてぼうっとする事も無かった体には目に見えない疲労の蓄積があったかもしれない。それらを抱えたままの体で、燃え上がる心の手綱を引けるかと聞かれれば、純粋に首を縦に振る事は難しいかもしれない。私は、この二日間は心身のクールダウンの為であると思う事にして、無理に忙しがらない様に心掛けた。

 地元の友人や元同期の男との話も然る事ながら、東京へ出て来てから会った、SNSで知り合った三名の方々との話も頗る刺戟的であった。
 
 月曜日には千葉県へと向かい、そこでパン屋を営むMという男性に会った。一時帰国の前に彼の方からインスタグラムで連絡があり、それで時間を作って貰った。具体的に書き出そうとすればデジタル画面の中でインクを切らしてしまいそうな程に様々な話を聞いたから、その辺りの内容は割愛するが大変勉強になった。彼の経験、現在の状況、彼の工房にも入れて貰い専門的な話も幾つも聞いた。原材料や機材の話、店作りや地域の構想まで何処までも興味深かった。帰り際に独自のサワー種を使ったバタールとカンパーニュを手渡して貰って、部屋に戻ると早速食べた。成程私の知らない味わいがあるように感ぜられて美味しかった。

 翌日には豊島区でシェアキッチンを使ってサンドイッチを売っている女性の店を訪れた。彼女の綴るnoteを追う内に、サンドイッチを売り始めたと言うから、一時帰国した際には行ってみようとかねてから思っていた私は、一週間前の内から予約をしておいてその日サンドイッチを受け取りに行った。あくまでも一人の客でありながら、私が店に入ると「ドイツからわざわざどうも」と声を掛けてくれて、それから少しの間立ち話をした。シェアキッチンと言う場所の実際を見たかったというのもあったが、オンライン上でしか認識していなかった人や状況を実際に目の前にするというのがなかなか面白かった。彼女の活動に対する想いを聞いていて、これもまた刺戟になった。
 

 サンドイッチ片手に、店主である彼女から見送られながら店を後にすると、その足で今度は前日にTwitterで連絡をくれた方と会う為に表参道駅へ出向いた。背中のリュックには午前中に買い漁った十冊以上の本が詰まっていたから、その方と出会ってカフェに入って椅子の背もたれに鞄を掛けると重さで椅子を倒した。
 
 この森本という女性が、ドイツパン大全という本を書かれた方なんだと話している途中で判明して驚いた。何を隠そう私もその著書を購入した人間の一人であった。彼女自身はパン職人ではないというがパン業界との繋がりは大層広いようで、彼女の口から吐かれる言葉の端々に私の未来の為のヒントの種が散りばめられている様に思われた。
 
 
 
 森本さんと分かれた私は重たい荷物を背負い、折角カフェの涼しい空気で乾いたシャツと背中との間をまた汗で湿らせながら浅草寺を目指した。雷門も吾妻橋も一時帰国の度に見るから何時しか新鮮味は無くなった。この日は観光の気は無く同僚への土産を買う積で足を伸ばしたばかりであった。
 
 仲見世通りを端から見ながら一旦奥の方まで行く。新規感染者が急増しているとテレビで連日報道されているまさにそんな時であったから閑散としていると思ったが案外人が多かった。一通り抜けて宝蔵門を潜ると両手におみくじの文字が見えた。連日新しい人物と出会い貴重な話を聞いていた直後の私は、自分自身に今降り掛かる幸運を証明する為に百円を投げようかとも思ったが、下手に証明などしなくとも実感として幸運なんだからそれでいいじゃないかと野暮な事はやめて、植物で屋根を作った避暑の一角に腰掛けてその日シェアキッチンで買った合鴨とルッコラのサンドをようやく食べた。写真でばかり見ていたサンドイッチをいざ実際に見てみると、想像していた大きさより一回りも二回りも小さく見えたが、食べ終えてみるとすっかり満足感があった。美味しかった。大きさという点において言えば、彼女のサンドイッチのみならず一時帰国中に見掛けた物の殆どが心なしか小さく見えた。道行く人間もまた例外では無かった。これはひとえに私がドイツの規格に目が慣れてしまっていたからで、こういった差異にもしつこく理由を探さなければならないと思った。 


 そうして私の二年半ぶりの一時帰国は幕を閉じた。大変な充実を感じる程の幸運に恵まれたが、それと同じくらい不運にも恵まれた。これまで培ってきた不運を笑い話に変換して片付けるテクノロジーを遺憾なく発揮した。地元の田圃道を散歩した朝が三週間も昔の話かと思うと、或いは長く日本に居過ぎたかもしれない。ドイツに着陸した飛行機から部屋へ帰るに乗り継ぐ電車が何時間と壊滅的に遅延し混雑していたのを見て、つい形成スカイアクセス線や山手線を思い出してしまって辟易とした。然しただ項垂うなだれていてはこの三週間で蓄えた燃料が無駄になってしまう。満員の車内でシェフからの連絡を受け取って、翌月曜日が急遽休みになった。幸いである。日本で出会った全員から少しずつ分けて貰った火種をドイツに持ち込んだ私は、その火を決して絶やさぬよう大事に灯し続ける事を改めて誓った。五輪の聖火の如く。


 


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


インスタグラムではパンの写真も投稿しています! 



この記事が参加している募集

この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!