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*14 塔

 日本は年度の変わり目である。日本は、と態々わざわざ前置いたのはそれすなわちドイツでは年度の変わる時期が異なるという事を暗に孕ませてみたわけであるが、日本に生まれた私がどうしたって春を始まりの季節だと無意識に感じてしまうのは畢竟ひっきょうこれが原因かな、と不図ふと思った。
 
 春夏秋冬にあたるドイツ語が見当たらないから直接的な比較が出来ないが、抑々そもそもこの四字熟語が春から始まって冬で終わる事に一度だって疑問を抱いた事の無い私だから気が付かないだけで、九月に新年度が始まるドイツ人がこの四字を見たら何故秋冬春夏じゃないのだとむず痒がるのだろうか。我々が最も右端に日本が配置されている世界地図を見た時の、一度は否応無く狼狽せざるを得ない感じが起こるのだろうか。しかし考えてみると十二星座の始まりは春の牡羊座である。自然界には冬眠と言うのもあるから矢張り春を朝らしく表現するが真当に思われる。
 
 
 まあ御託はそれくらいにしておいて、実際寒かったのが暖かくなってくれば人も動物も街も山も活動的になるんだから、それだけで自分の頭の上に芽が萌えるような気分になる。何の因果か私も今この時期にサワー種を新しく起こし始めている。先週レーズンを水に漬けておいて出来上がった発酵液醋エキスをライ麦粉の上に注いだのが水曜日の事である。たったの一晩経った翌日、仕事から帰って来て様子を伺うと大変元気一杯の様子であった。その日私が土砂降りの下を帰って来たからと言うのもあったかもしれないが、屈託も曇りもない晴れやかな表情で私を出迎えてくれた様に思われて、その意気軒高振りに私の疲労も多少なりと緩和された気がした。

1日後
3日目

  また私はそれと同時にルヴァン種にも初挑戦している。折角発酵液醋エキスこしらえたわけであるからと、手元の本を頼りに仕込んでみた。初めてやる事は何だって不安である。不安と言う言葉がやや大袈裟であるなら、いぶかしむが付き物である。実際元気一杯に私を出迎えたライサワー種と並べたルヴァン種は何か私に文句でもある様に大人しかった。感覚談ばかりしていても良くないから具体的に言うとサワー種は容器一杯に膨れ上がっており、ルヴァン種は捏ね上げた前日と殆ど大きさに変化が見当たらなかった。本を捲る。どうも一晩経った時点ではそれくらいで良いという事であったから、本のおっしゃる通りルヴァン種もまた継いで寝かした。  

1日目
4日目

 さて私はこの春の始まりに合わせて――然しかこつけたわけでなく偶々然々時期が重なったに過ぎない――新しくサワー種とルヴァン種を起こし始めたわけであるが、私の職場であるベッカライ・クラインの新しい工房も建ち上がり、愈々いよいよ引越しを迎えた。初めて話が上がった時から半年ほど経ってはいるが、奇しくもこの春の新陳代謝の時期に敢行された。また時同じくして新しい支店も出来上がると言う話であるから並々ならぬ換気ぶりである。 


  週の始まりから引越し前のそわそわとした空気が工房内に蔓延していた。シェフがグループチャットに新しい工房の様子を映した動画を上げれば、原材料の発注を担当するアンナは金曜に配達される材料が極力最低限になるよう指揮を執った。「どうせ今週末に引越なんだから、」という枕詞まくらことばは誰の口からも連日耳にした。私自身も現時点で高々一年と半年ほどと言えど、何処か感傷的センチメンタルな感情を覚えたが、それで言えばルーカスやシェフなんかはとても新しい工房に胸弾ませるばかりとはいくまい。実際、シェフの息子であるベニーは土曜日、着々と大掃除と片付けの進められていく工房を立って眺め渡していた。 


  その土曜日、私はルーカスとシェフと共に深夜から出勤し、その日分のパンの製造にあたっていた。他の面々は朝の八時頃から出勤し、要するに引越要員として予定を立てられていた。とは言え我々製造組も、その日分を焼いて仕上げるばかりで、月曜分を仕込む事はせずにその代わり随分早い内から各所の大掃除に取り掛かっていた。
 
 金曜日に休みの入っていた私だったから、土曜日に出勤してきた時点で既に工房の中が部分的にばらされていて、種実ナッツ類や細々した材料の保管されていた一畳程の小部屋などはすっかり伽藍堂と化していて、引越しの実感がそこで湧いた。
 
 仕事着に着替えて工房に出て来た私は、ルーカスと共にブロー※1トの窯入れをした。久しく携わっていなかったブロートの窯入れであったが、嗚呼これがこの窯で焼かれる最後のブロートになるんだなあと思うと、心の何処かいまいち判然としない所が感動的エモーショナルな感じを起こした。記憶と言うのは実体こそ無いが蓄積されていて、最後の最後に特別感の演出という形で存在感を発揮する。その時に名を記憶から思い出へと変えるのであろう。

 製造も済んで片付けに移る時、私はまずシータ※2ーの掃除に取り掛かった。気が付けばクロワッサン生地の折り込みから成形から殆ど主担当として働くようになっていた私は、確かにこのシーターへの思い入れが何時しか強くなっていたのかもしれない、雑巾でシーターを拭きながら不思議と馬をブラッシングしているような気分を起こした。馬主でも調教師でもない私が何故馬をブラッシングした気分を起こしたんだか点で分からないが、そこには目の前の馬身マシンに対する労いの感情が少なからずあったように思われた。まあ所謂いわゆれば愛着という言葉に落ち着くのだろうか。
 
 
 八時を過ぎるとトミーやアンドレ、マリオや製菓部門の三人も私服で工房に姿を現した。既に床中水浸しになっている所に入って来るには余りに無防備に思われる服装で登場した面々の中で、唯一アンドレだけは作業用らしいグレーのオーバーオールを着ていた。不断ふだんは白で統一された製パン用の仕事服姿しか殆ど見る事がないから急に他人の様に見えたのと同時に、或るドイツの家庭の父親としての一面が垣間見えたように思われていつもよりも少し距離を遠く感じた。まあでもアンドレには違いないから「今日の仕事には一番良い格好だね」と言って服装について触れておいた。
 
 深夜一時半から仕事を始めた私であったから、皆が出勤してきて間も無く工房を出た。すなわち空になった工房も新しい工房も拝まずして帰った。まあ来週の月曜日には否が応でも新しい工房で働くんだから良しとした。帰り際になって販売婦の連中と挨拶を交わした。工房は移転するが店は残るから、これまで程頻繁に顔を合わせなくなると少し念入りに挨拶をした。
 
 
 日本に生まれた私はどうしたって春を始まりの季節だと無意識に感じてしまうが、もう少し意識をしてみると終わりの季節でもある。新陳代謝、出会いと別れ、終わりと始まり、破壊と再生。サワー種や工房の引越のみならず今週はそれらに該当しそうな出来事が幾つもあった事を思い出した。
 
 或る時は、この町唯一のアジア食材店に足を運んでみると店の中が空っぽになって閉店していた。時折買い物に訪れ、店主の女にも愈々いよいよ顔を覚えられたであろうと思っていたが突然であった。
 
 或る時は、私が数年前にウィーンで買って気に入って使っていたパスタ皿をほんの不注意で割ってしまった。シーターではないがこれこそ愛着があったから呆然とし、寧ろ大急ぎで処分した。
 
 或る時は、スマートフォンのロック解除をすっかり度忘れしてしまって開けなくなってしまった。うんと頭を捻った末に偶然また解除する事は出来たが、体で慣れて覚えている事を改めて頭を使って思い出そうとすると却って混乱する事を知った。
 
 思い返せば先週の土曜日、電車に乗って街へ出てトミーを訪れるついでに買い物に行った時も、散々買い物籠一杯に品物を集めた挙句、財布を持っていない事に気付いて手ぶらで店を出たというのもあった。
 
 幸いどの破壊スクラップも三月に置いて来た。これが始まりの季節四月に私を待ち受ける何かしら再生ビルドの吉兆であるとすれば、未来の私も安堵出来るのであるが。
 
 

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。


(※1)ブロート:ドイツの大型パンの総称。
(※2)シーター:生地を伸ばす機械。バターの折り込みなどに使われる。

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