*11 思いがけない打診
ちょうど一年前の私を思い返した時、笑いの起こる半面に冷汗が垂れて身の震えるのが分かった。四部構成であったマイスター試験の内、教育者適性学科の試験を目前に控えていた私が、勉強に勤しむ傍ら翌八月分の働き口を見付けるのに頭も体も心も奔走してひいひい言っていたのは、他でも無く自分の意図せぬ内に不法滞在を犯していたからに過ぎなかった。「マイスターを志すのは実に素晴らしい事だが君、このままでは全て中止して祖国に帰って貰わなくてはいけない」と強制送還を仄めかされた、役所から下宿迄の帰り道から、何とかドイツ滞在を継続出来るだけの条件を果たした七月三十日迄の二週間。それを越えるほどの冒険を私は先にも後にも経験として持っていなかった。その条件と言うのがマイスター学校が休暇に入る八月分の働き口を見付ける事であったわけであるが、その時に私を救ってくれた働き口というのが何を隠そう今現在もパン職人として所属しているベッカライ・クラインであった。
あれから一年と経つのかと思うと突然体がふわりと浮かび上がるような妙な心持がした。己の人生においてこれ以上無い程の命拾いをした当時の私には、職場のシェフも若チーフもそれから工房で働く先輩職人らさえも神々しく見えていたから、この恩をどうしたら返せるものかと奉仕の精神と緊張を併せ持ちながら八月の三週間を働いていたのであるが、それが今では神々しき集団の一員を自分が担っているんだと気が付くとどうにも不思議に感ぜられた。然し幾ら過去を振り返った刹那、これ見よがしに不思議がってみても、刻一刻と目の前を過ぎる時間の殆どでこの現状を事実であり単なる日常だと考えているんだから大袈裟である。所が今週はどうしても不思議がらずにはいられない転機が私の元に訪れた。
それは月曜日であった。早朝三時にベッカライ・クラインへ出勤するのも今や至って普通である。所がその日、工房の中には熱気に混じって不穏な空気が流れている様に思われた。
私が作業に取り掛かって五分と経たない内にシェフの荒々しい声が聞こえたかと思うと、その内シェフが私の元まで来て「カイザーの生地がおかしい。これでは売り物にならない」と言った。私は直ぐに彼の意図する所が分かった。このカイザーの生地は先週の土曜日に仕込まれたものであったのだが、その時に他でもなく私が仕込んだ生地であった。「硬過ぎたか、乾き過ぎていた筈だ」と言うシェフの言葉を受けて土曜日を思い返すと、確かに稍硬かったが、まさか結果として売り物にならない程酷い硬さだとは判断出来ていなかった。それでシェフは月曜の朝からその日分のカイザーを仕込み、無論それが全体の作業手順を狂わす事になった。私はと言えば一人別の作業に掛かっていたから、焼き上がった失敗のカイザーを実際に自分の目で見るくらいで、後の作業に加われなかったのがもどかしかった。
それから暫くすると、今度は焼き上がったパンの出荷準備の為に工房から出ていたシェフが、プレッツェル・リングを手に持って工房の方に戻って来ると「リンゲがまた不揃いだ」と、物凄い剣幕で私達に向かって言い放った。私達と言ったがそれはあくまでもシェフの表面上の格好がそうであっただけで、実際の標的は私であると私には直ぐに察しがついた。と言うのもこれも火種は先週にあった。「見習い生のヨハンの成形するリングが大き過ぎるから、君も目に付いたら注意するように」と私はシェフから直々に言われていたのであるが、土曜日の成形の時に私はすっかりそれを見落としてしまっていたらしかった。それをシェフは怒っていたのである。実際私の目には、シェフが手に持って見せて来たリングが大き過ぎる様には映らなかったが、私の監督が不行きだったのは事実である。さらにその後も、これは私ではなかったが、声を荒げるような事のあったシェフは、結局この日機嫌の良い素振りを片時も見せる事は無かった。
問題の発生した時こそ胸の内で反省をしたが、それ以降は至って穏和に同僚と仕事を片付けた。ヨハンが二週間の長期休暇に入っている今、大体私が最後に工房を後にするから、ルーカスとアンドレをそれぞれ見送ってから私も帰り支度を済まして工房を出た。反省は既にし尽くしていたから心は軽かった。
それから帰宅し、例の如く運動を始めようかと思ったその時である。スマートフォンに通知があった。見ると製パン部門のグループトークにシェフから私の名指しで「十七時に職場に来れるか?話がある」というメッセージが入っていた。私は運動用のマットの上に膝立ちをしたまま暫く要件を勘繰った。仕事中、終始虫の居所が悪かったシェフである。もしや改めて煮えくり返った腸を私の上に再度浴びせようと言うのか、それとも何かもっと予想だにしない非情な話であろうか、兎に角私の頭は解ける筈も無い問に対して思い付く限りの仮定を立て、数分経ってから「わかりました」と返事を打ち込んだ後、気を取り直してやっと運動を始めた。
時間が経つ内に不安がる気持ちも薄まっていた私は、多少遅れてもまあいいだろうといい加減に部屋を出た積が十七時ちょうどにベッカライ・クラインに着いた。店内は既に店仕舞いへ向かって薄暗かった。販売婦に挨拶をして、シェフは事務所かと聞くと多分そうだと言うから私は階段を上がって事務所の扉を開くと、ちょうどシェフも今店へ降りて行こうという時機であった。彼の表情はすっかり柔らかくなっていた。
店内に降りると「何か要るか?」と聞いて来たのでカプチーノを頼んだ。また「食べる物は?」とも聞いて来たから、季節物のツヴェッチゲン・ダッチを味見がてら貰った。シェフはそれが好きなんだと笑っていた。
私が仕事を終える昼前頃には客で賑わっている店内も、見習い販売婦がすかすかと掃き掃除を出来てしまうくらい伽藍としていた。その内の広いテーブルに私とシェフが向かい合わせに着くと、案外分厚い前置きも置かず本題に入った。それは私が散々立て尽くしたと思っていた仮定も及ばない、来週から入って来る見習い生の教育役をやらないかという打診であった。その為に日頃遅くとも三時の出勤を五時か六時に遅らせて、見習い生と共に始業し共に終業するという計画であった。まさに青天の霹靂であった。私は直ぐに引き受けたい旨を伝えた。シェフの胸の内に秘めた思惑が万が一邪悪なものであったとしても私の判断に変わりは無かったに違いない。それは畢竟私の為になるからに過ぎなかった。とは言え何も利己的なばかりではなく、あくまでも真新な見習い生に正しく教育を施すという点において真面目である事は大前提とし、且つそうしたエデュケーションを果たして私の持ち得る実力のみで実現出来るかと言う所に挑戦を見出した。また見習い生への手解きや説明を通して、それが同時に私自身の勉強になるという点も魅力であった。後日他の同僚にも来週から私が教育役をやる旨を伝えると「朝ゆっくり眠れるじゃないか」と呑気であったが、私にとって時間などどうでもよく、ただ若い人間に知識を伝えるという点において得意と考えていた己の真価を試す場が与えられたという事にのみ歓喜した。
奇しくも一年前、ベッカライ・クラインに救いの手を差し伸べて貰った私は教育者適性試験へ向けた勉学の真只中であった。解答用紙の上において、私の教育者適性は合格であった。果たして実践においてはどうであろうか。試験官は私自身とシェフ、それから見習い生の彼らである。カイザーの仕込みやリングの成形に際してシェフからとやかく言われている場合では無さそうである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
この記事が参加している募集
この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!