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*28 負けられない戦い

 サッカーに然程明るくない私にアンドレが「日本人選手は沢山ドイツでプレーしているんだ」と、カマダだのヨシダだのエンドウだの、それからカガワやハセベと言った先人は勿論、挙句の果てには「タカハラがドイツでプレーした最初の日本人選手の筈だ」などと日本人の私よりもずっと詳しく説明してくれたのもあって、ワールドカップへの関心はみるみるうちに高まっていった。私は試合当日の仕事中、「日本が負けたら明日は休む」だの「日本が勝ったら明日は身を隠して町を歩かないといけない」だのと、よもや奇遇な組み合わせにあやかって冗談ばかり言っていた。それを言った私の胸の内は、畢竟ひっきょう日本がドイツに勝つ事など無いだろうと期待さえ抱いていなかったからであり、またその冗談を聞いて呑気にあははと笑っていた同僚の胸の内は、ドイツが日本に負ける事など無いだろうと決めて掛かっていたからに違いない。二〇〇二年の大会ではドイツが何処かの国を相手に八点も奪って勝った試合があったと思ったが、当時私は小学生ながら大変印象的だったその記憶しかり、二〇一四年には優勝もしている強豪国であるんだから、冗談を言った私の胸の内も呑気に笑っていた同僚の胸の内も至極真っ当の事である。それが引っ繰り返ったから大事おおごとであった。

 
 翌日出勤するにあたって私は考えた。世界的サッカー大国が東の小さな島国に負けてしまったわけであるから、国民の誇りはすこぶる萎えてしまっているに違いない。先ず私の方からサッカーの話題を提供するのは御法度である。とは言えサッカーを愛する大人であれば、おまけに身近に対戦国出身の者が折角いるのであれば、そこはすっかり傷を癒やして、いやいや昨日の試合は驚いたね、まさかドイツが負けるとは、くらいに話しを仕掛けて来るだろうと思っていた私は、その時に初めて、いやいや信じられない、世界的な衝撃に違いないね、くらいに興奮を吐き出す心積もりでいた。ところがシェフもルーカスも結局サッカーの話題を私に振る事無くその日の仕事を終え帰って行った。これは想像以上であった。
 
 シェフの夫人は、そこは矢張り人生経験豊富な女性である、朝一私の顔を見るなり「サッカーは観たの」と快活に問い掛けて来た。それでも周囲にシェフの息子夫婦もいたからなるべく慎重に「観た、信じられないよ」と言うと、女性陣は笑ったもののシェフの息子は「こっちも信じられない」と笑いつつも強めの語気で言い放った。矢張り余程のショックと見えた。続けて夫人はまた快活に「シェフは昨日、試合が終わってから機嫌が悪かったの」と、はははと笑いながら案の定な事を伝えて来た。その時、下手すればその声が届きそうな所にシェフが立っていて私は少しドキとしたが、それでも頑としてサッカーの話は彼の口から出なかった。
 
 またルーカスも頑なであった。共に休憩に入った時、先に休憩室に入った私は机の上に新聞を見付け、ドイツ敗戦の記事を読んでいた。少し遅れて休憩室に入って来たルーカスにも、私が広げていた記事が良く見えた筈であったが頑としてサッカーのサの字も発しなかった。仕様がないので新聞をとじて、君はスーパーでパンを買う事があるかという質問を彼にしたのを皮切りに、彼がシュトレンを余り好んで食べないという話や、昔アメリカに居た頃のパンの話なんかを沢山した。言葉の拙い外国人との会話が億劫と言うわけでも無さそうであった。その後仕事の終わり掛けになって二人で掃除をしている工房に販売婦が一人入ってくるなり、「日本が勝ったわね、すごい」などと両手の親指を突き出して私に言って来たから、私は大変注意深く「信じられないね」と、販売婦からすれば大凡おおよそ物足りない返答をするに終わった。ルーカスは無論聞こえないふりである。昔小さい頃父親と神宮球場に阪神対ヤクルトの試合を観に行った事があったが、ヤクルトが勝利したその試合の帰りの電車内、ヤクルト贔屓の私達父子の周囲が皆虎柄を纏っており、まるで息を殺すように私達は立っていたのであるが、それを思い出した。まさかこれほどまでに興奮を吐き出せないとは思ってもおらず大変窮屈であった。

  それから土曜日になって二日ぶりにアンドレと対面して働いた時、彼は開口一番でサッカーの話を仕掛けて来た。当日の試合後にも既にメッセージを遣り取っていたにしても、ようやく興奮を吐き出せたようでほっとしたが熱ならとっくに冷えてしまっていた。

 そうかと言ってワールドカップが始まって以来サッカーの話ばかりしているかと言えば全くそうでは無い。先にも書いたが私自身サッカーに決して明るくないからであるが、それ以外に例えば見習い生のマリオと話す話題テーマの中にその日の昼飯は何だという極一般的なものがある。彼の答えの内で最も興味深かったのが、ブロートにケチャップを付けて食うというメニューであった。そうした作法の存在を知らずにいた私は言うまでも無く驚いた。ブロートと言えばバターを塗ってハムとチーズを乗せて食うのでも最低限かと思っていたが、それよりもさらに質素な食い方があったとは考えもしなかった。然し言われてみればバターだけ塗って食ったり、ジャムだけ塗って食ったりするのと何が違うんだか自問しておいて自答には窮した。もっと言えば米を握ってそれに醤油を塗って焼いた焼き御握りともつくりほとんど一緒であるし、幼い頃にテレビで見たマヨネーズをちゅうちゅう吸う女形に感化されたんだか白米にマヨネーズのみ掛けて食っていた事のある私が、今更ブロートとケチャップの組み合わせに態々わざわざ驚くのも変である。
 
 物は試しだと、丁度日曜日にブロートを部屋で焼いてあった私は早速ブロートにケチャップを垂らして食ってみた。成程美味かった。上品な味とは言い難いがさっさと腹を満たしたい時には十分である。その上この時私の手元にあったブロートは向日葵ひまわりの種やら南瓜かぼちゃの種やらのたっぷり入ったブロートであったから全くもって物足りなさも無かった。昔の者に比べて濃い味を好む現代人が生んだ邪の道だと一蹴してしまえばそれまでであるが、これもドイツパンの歴史の一片と思えば外様の私の関心を引くには十分である。こうなると抑々そもそも酸味を持つロッゲンブ※1ロートにケチャップで酸味を足す場合は果たして酸っぱ過ぎやしないだろうか、また小麦粉の小型パンにケチャップを付ける場合などはいよいよ舌淋したざみしいんじゃないだろうかと工夫が発展していくからまあ追々試してみようと思う。

 十二月も近付いてドイツ各地で数年ぶりのクリスマスマーケットが順次始まっているようである。いつか仕事終わりにグリューワGlühwein:※2インでも飲みに行こうかとアンドレと呑気な話をしていたが、それはそれとしてどうにもこの時期はふわふわと落ち着かない。十二月に入ってしまえば尚の事だろうと思うが、今年の遣り残しと来年の展望とを同時に頭に浮かべている内に漠然とした不安感に苛まれるのが常である。幸い今年はここ二カ月の内に二三にさん出会いがあって、それらに多大な影響を受けた私は背を猫らせずに済んでいる。ここで言う出会いとは広義なもので必ずしも存命の人間では無く、また必ずしも身近に限った出会いでも無いが、久し振りに心震える信念や熱誠に火を点けられた私は、ワインにも負けず劣らず年末から新年、未来からまた足元を見据えながらglühenグリュー:※3としているところである。



(※1)ロッゲンブローRoggenbrotト:ライ麦粉、サワー種を使用した大型パン。
(※2)グリューワインGlühwein:クリスマスマーケットなどで飲まれる香辛料の入ったホットワイン。
(※3)glühen:[ˈɡlyːən] 灼熱する、(感情が)燃え上がる。※グリューワインのグリューもこの単語の派生。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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