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*4 発酵

 近頃、髭を剃る事に関して言えばすっかり生皮な私の顎を文字通り無精髭が覆っている。幸い此処はドイツである。私よりも髭を猛々もうもうと生やしている者を其処彼処そこかしこで見掛けるからその中に生きる分にはこれといって問題もあるまいが、二週間後には日本へ飛び発とうという私であるから矢張りそこはさっぱりとさせていかねばならない。一方でこうして無精に無精を重ねて育てた髭をあっさり剃り落すのも些か勿体ない様に思われる。無精と言うだけあってこだわりや思い入れの類は微塵も無いが、只放って置けば果てしなく続く変化の最果てには頗る興味があった。思い返せば子供の頃、手動発電の懐中電灯をいつまでもがしゃがしゃと縦に振っては際限なく充電させていた事があった。あの時も只、目的は有りながら明確な制限の無い作業が果たして何時まで意味を成すのかと言う疑問を子供ながらに暴こうとしていたのかもしれない。今私の顎から伸びている髭も果たして剃らずに放って置いたら何れ地球に到達する日が来るのか知らんなどと思い始めると好奇心が黙っていないのである。然し私も社会に生きる以上、何れ社会的制限に阻まれてしまうんだから日本への一時帰国を機として剃り落す事にする。こう言っておきながら思い立ったら案外未練なくさっさと剃り落してしまうのもまた私の性質である。 


 パンの生地が発酵していくのも果てしない変化の一つであるから、パンの過発酵は幾度と無く経験しているが過発酵の向こう側にも俄然興味があった。然しながら事パンに関して言えば私は髭や懐中電灯の例とは異なる愉しみを持っていた。例の如く果てしなく進んでいく生地の発酵も或る特定の一時いっときに強い高温の熱を加えると生地は美しく伸びやかにパンへと膨らむわけであるが、その一瞬を見極めるのが大変愉しい。パンに仕上がる発酵具合と一口に括るならその切刻タイミングは案外幅が広い。然しその中にも必ず最適の一瞬と言うのがある筈なのである。教科書にも書かれないその一瞬を己の感覚で見極め、速やかに生地を窯に入れるというリズムゲームこそが焼成の実態なのであるが、それが成功か失敗か判明するのとパンが完成するのが殆ど同時だから酷である。酷であるが、酷であるからこそ真剣になるのである。 


 月曜日は祝日であった。時間が沢山あった。先日こしらえたケシの実のフィリングもまた沢山余ってあった。それで私はモーンシュ※1ネッケでも作ろうか知らんと、朝の八時から生地を捏ね始めた。暫く前に機械の調子が悪くなって今では専ら手で生地を捏ねているのであるが、機械が無くっちゃ重労働になってしまうと仕事後の疲労を危惧していた私もすっかり手捏ねに慣れた。無論最適解とは思わないが、かと言って無抵抗である。

 その後暫く冷凍庫で寝かせておいた生地とバターを合わせて一度折り込むと、それをまた冷凍庫へ戻した。そうして書物机の前へ行くと、椅子に腰掛けてパソコン作業に取り掛かった。それからまた何分か経った後、冷凍庫から生地を取り出しては平たく伸ばして折り畳み、それをまた冷凍庫へ戻すなりパソコンの前へ腰掛けた。生地を折り込む間も頭はパソコンの前にあった。所謂いわゆるながら作業である。だからと言っていい加減に作業しているのかと言えば無論そうでは無かった。また目を瞑ってでも出来る程に手が覚えているんだと高を括っていたわけでも無かった。言うなればその時頭の代わりに心が生地に応対していた。或いは頭を半分ずつ使っていたと言う方が理解に易しいかも知れない。まあ何れにしてもこれで手を抜いていた積は毫も無かった。 

 そうして生地を冷やしては畳みを繰り返した後、成形をすると愈々いよいよ発酵の始まりである。余り頓珍漢な事を言うと狂気を疑われてしまいそうであるが、発酵の見極めは肉眼よりも心眼が重要である。言わばさっきと反対に今度は心だけを生地の前に残して置いて、頭を含む体は書物机の前に置いておく事も出来るのである。 

 自室のオーブンに限って言えば、沸かした熱湯をオーブンの内に置いて先ず発酵器代わりとして使った後にようやく本来のオーブンとしての役割を与える私であるから、発酵の具合とオーブンの予熱時間との帳尻を合わせてやらねばならない。最適な一瞬を仕留めるには言わずもがな大変な悪環境である。それでも上手く焼こうと思うと矢張り電卓や時計や能書きばかりではどうしても歯が立たないので、窯入れを待つ生地の脇に心を残しておいて話し相手をして様子を伺っていてもらわねばいけないのである。そうして漸く私はモーンシュネッケを焼き上げた。実に二千文字弱をも費やして焼き上げたモーンシュネッケであるからこれで失敗していたんじゃ御話にならない。

 今週はルーカスが有給休暇で不在であった為に、週の半頃から私がオーブンに張り付いてはせっせとパンを焼いていた。改めて工房用の大きな窯に羨望の眼差しを向けた。私のモーンシュネッケもこの窯で焼いてやったらさぞ嬉しがるだろうと思った。

 木曜日には初めてシェフの見ている前でオーブン仕事に勤しんだ。これまでアンドレの気紛れな委任を機に幾度かオーブン仕事をする事のあった私は、そう言えばこれまでシェフの前では一度も無かった事に気が付いた。それで私が小型パンを窯入れする時になると、どの窯にどれを入れろと細かく指示が飛んできた。私は従順に言われるがまま動いた。彼も一人親方で最終責任者である以上、幾らマイスターと言えども言葉の覚束ない外国人にパン作りの仕上げたる焼成を手放しに任せるには想像の及ばない程の勇気が要るんだろうと、私は理解に苦しまなかった。

 暫くして彼は焼き上がったパンを出荷する準備に移る為にオーブンから離れて行った。残された私の背中では窯入れを待つパンが刻一刻と発酵を進めていた。このごろになると窯ごとの癖さえ掴み始めていた私はただ飄々と、窯入れを待ち侘びていたパンが我先にと私の心に訴え来るのをなだめ乍ら順々に窯へ放り込んでやった。その振る舞いの沈着ぶりたるや、ちょっとして様子を伺いに来たシェフの心配の目さえないがしろにする程これ見よがしであった。シェフは結局口を挟む事無く、ただ去る前に安堵らしい感嘆を漏らして行った。

 そうして次の日、それでも全くの心配が晴れたわけではないであろうシェフも比較的あっさりとした指示をするだけに留まった。彼の私に対する評価にはまるで無頓着むとんじゃくな私は、ただ今後人手が足りない時にオーブンを遣らせる目処が彼の中で立っていればそれで十分だった。幾ら口で能力を論じたとて、実際にオーブン仕事をしている姿を一見しないままでは証拠不十分で当てにすらされなかった筈である。 


 土曜日になるとはなからシェフの監視の目は無かった。信頼と言うより試練の様に思われたが、私がベッカライ・クラインに来て初めてオーブンを任された日が生憎土曜日であった為に、私の内で重圧プレッシャーは殆ど無いに等しかった。それでも忙しい土曜日のオーブンである。頭と心のどちらもを要した。どちらもがフル稼働であった。するとその途中でアンドレが私に「Du bist Top Figur am Ofen.」と言った言葉を不意に浴びせて来た。私はまさに繁忙の中で必死であったからなんだか良く解らずいい加減な返事をしてしまっていたが、落ち着いて考えると「君にはオーブンでの仕事が似合っている」という様な意味で言ってくれていたのだろうと、蔑ろにしてしまった私の態度を省みた。また内心で素直に喜んだ。 

 そうして気分良く仕事場を後にした私は、久しぶりに街へ出て一時帰国に向けて御土産を買い漁った。会計を済ませて尚商品を鞄に仕舞うのに梃子摺てこずっていた私の横に立った見知らぬ婆さんが、そんなに沢山の御菓子全部一人で食べなさるのと聞いて来たので笑いながら、いえいえ御土産なんです。今度休暇で祖国に帰りますから、と話した。それで漸く荷物を片付けると、今度はレジ係の婦人に目が合ったので「どうにか仕舞えました」と笑ってそれで店を出た。発酵を見極めていた仕事の傍らで、一時帰国への準備も着々と進んだ一週間であった。
 
 


(※1)モーンシュネッケMohnschnecke:シナモンロールのケシの実フィリング版。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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