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*43 日常の車窓から

 稲の植わった田の鏡面に風光明媚の語を投げて彼是かれこれどれほど経ったか、気が付けば育った苗が水面をすっかり隠すまでになっていた。大変青々しい。夏の青には二種類ある。空の青がウルトラマリンブルーとすれば草木のあおはフタロシアニンブルー、細かくはグリーンシェード、とでも当てられそうである。画家でも無い私がこう細密に言い表すは紛れもなく借りて来た情報によるものであるが、もし風景を描くとなれば画家先生の御話を鵜呑みにして一度試してみたいと考えるは紛れもなく私の好奇心によるものである。
 
 季節の流れが現れるはあぜで囲われた田のキャンバス上にある碧色や苗の背丈ばかりではない。ここ数年すっかり天気予報に無頓着だった私もそれなりに天を気にする様になったのは日本の梅雨のせいである。梅雨と呼ばれる時期に入って確かに雨が増えた。それに雨の降り様迄ドイツと日本とでは異なる事がわかった。肌で感じ覚えたものを論文にするは苦手であるが、ドイツの雨と比べて日本の雨は安定的に激しいように思う。ドイツでも時折暴風雨の様な気候はあったが、さもなければ取分とりわけ雨に祟られた覚えも少ない。フランス人は傘を差さない、というのを聞いた事があるが、私もドイツにいた頃は余程でなければ傘を差す事は無かった。それすなわち傘を要するほどの雨ではなかったという事であるが、事日本において雨が降るとなれば大体の場合が傘を要するほどの雨で、先日私も諦めて傘を買ったところである。
 
 すっかり梅雨ですね、と話頭に上れば御次は、もう梅雨も明ける様ですね、というところ迄は心得ていたが、次いで台風の順番であるは先日人と話していて初めて知った。てっきり台風というものは自由奔放矢鱈目鱈に発生し日本列島を通過していくものと思っていた私にとって、台風にも順序と時期があるという話は大変興味深かった。そしてその人は続けて、今年はどうなるかと台風の発生を懸念していた。発生しないならしない方が良いものと私は思っていたが、どうも台風には台風の役目がある様な口振りであった。ナイルの氾濫がもたらす程の恵、ということでも無いだろうが、矢張り自然現象は理由わけあって地球を回しているんだなと感銘を受けた。
 
 
 車窓を流れていく景色はただ漠然と眺めていればほとんど線状の抽象画アブストラクトであるが、木や電柱や対向車も注視して目で追うと形が浮かび上がる。動体視力である。日本に移って来て気付けば十カ月と過ごして来たが、この十カ月はまさにその動体視力を用いて散々観察して来た。日常もただ漠然と眺めていれば今日と明日の境目さえ識別出来ずに過ぎて行ってしまう。過ぎ行く景色の中に些細でも面白い発見があればあった方が良い。何でも面白い方が面白いに決まっている。季節の順序も野菜の旬も、イベントの大小も人の動きも網羅こそしていないが幾らか目で追って形を捉えて来た。然しどれも分かるのは過ぎるのと同時である。それでも人間の世界は親切に三六五日で区切られ、また同じ様な景色を流すんだから、今年目で捉えて来た事が真に活きるは来年という事である。これを言って理解してもらったのは今週、同級生と久しぶりに飲みに行った時にようやくで、結果と答を急く殆どの人にはなかなか伝わらない。みな急徒歩せっかちである。
 
 
 ところでその同級生と酒を飲んだのに加え今週はやけに人に会った。市役所の方からも呼び出しがあり、印鑑はんこを六ケ所押した。愈々いよいよ企画も大詰めである。しかし市役所には人が沢山働いている。あれだけ人がいる屋内で冷房が十分に効かされているかと思えば期待したほど涼しくも無く、その中で働くのもなかなか大変である。

 もう随分遠い記憶の様に思われてならないが、火曜日には地元の六斎市という催しにサンドイッチを並べた。先日に代表者から声を掛けられて、折角ならと顔を出したが生憎あいにくの大雨であった。私情を挟まぬ現代の世間一般的認識で言えば、御世辞にも賑わうとは言えない催しであるからして目先の銭を稼ぐつもりも無かったが、それでも挨拶代わりのサンドイッチは皆けた。それよりも八月に控えた行事への出店についてこの代表者に話を聞きたいというのがこの日の目的の一つであった。これも先方から誘って頂いていたから詳細はどんな風ですかと聞けば、そちらの行事は大変に賑わうんだと言った。そこいいた仲間の出店者に話を聞いても皆同様に良い事を言った。
 
 その行事が賑わうという事が分かった時、次なる心配は私の労力と時間がそれに見合うかどうかという点である。労力はまあ生きて動ける内はどうにでもなるから良いとしても、時間というのは上限がある。私が寝食をなげうっても最大二四時間しか無い中で、生産力が追い付けるかという計算である。こういう計算を不意に人に漏らすと「時間は作る物だ」などと私を暇人と思ってか実際の生産と生活のスケジュールも知らずに言ってくる人がくいるから口外するのには細心の注意を払うようになった。何はともあれその行事には参加させて貰う事にした。
 
 
 それから地元のとある美容室にも足を運んだ。連絡をくれた美容師の女性はこの店の二周年祝賀会を企画していて、そこに是非私のパンをという事で連絡をくれた。有難い話である。店に入ると犬が二匹走り回って、少し奥に一人の客と美容師がいた。私に連絡をくれた女性はカウンター越しに「犬は大丈夫ですか」と第一声、私は咄嗟に大丈夫ですと答えたが抱いたり触ったりせず、足元を走っているとしても見ている分には本当に大丈夫である。出していただいた珈琲を飲みながら、御店の雰囲気と実際にパンを並べる場所の確認、それから一周年祝賀会の時の様子など話を聞きながら打ち合わせをした。話を聞く限り、イベントに出店するくらいの量は仕込む必要がありそうであった。それでは宜しくお願いしますと言って引き受けたこの祝賀会はちょうど先の行事の一週間後の予定である。
 
 
 土曜日には例の如くカフェの営業をした。開店直後に四人組の客があって以降、二時間近くまた閑古鳥がけたたましく鳴いていたが、次第に人の来店があってそれなり盛り上がった。朝の内に少し雨が降ってからというもの侃々かんかんと晴れて蒸し暑くなったこの日も、矢張り人の腰はなかなか重たくなるものなのか知らんと動体視力を働かした。
 
 さて、そんなカフェを御盆休みに合わせて特別営業をしてみようかと思い立って支配人オーナーに相談した。彼は「やってみたらいい」と二つ返事であった。不断、土曜日しか営業していないが故になかなか来店出来ずにいる人の声を最近聞いたのもありながら、また御盆の時期は実家に帰省する者もあり、子供の夏休みもありと、人が動く要素が幾つかある中で、特別営業をしてみるのは良い実験になりそうだと思い、よしやってみるかと腹を決めるのは良いが、ここでまた生産力と時間の問題が生まれた。何を隠そう先に挙げた行事への出店と美容室の祝賀会に挟まれる形である。生産力の弱い現状、一日あたり二四時間しか与えられていない現状、精一杯に動いても作り出せる量にどうしても限りがある。
 
 ただこの問題もその場で易々と口外はせず、折角閑古鳥が鳴いてうるさい店内に腰を下ろして考え始めた。やるやらないではなく、やると決めて仕舞えば後は手持ちの駒でどう戦うかという作戦会議になる。そうして考える内に、通常営業の時にはまだ並べていない物も含むドイツらしいケーキの類を六種類くらい並べてみようか知らんと思い浮かんだ。人気も認知も無いが美味しいドイツの味を知っている強みが活かせる場面と言えば、おそらくこういう場合くらいであろう。
 


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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