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*36 グリス

 パンの起源を追い掛け、古代エジプトの世界を一しきり駆け巡った後、現代と古代とを繋ぐ扉である本をぱたんと閉じた途端に、何とも言い得られぬ猛烈な虚無感に襲われた。本を閉じるという一つの行為で数千年という歳月が瞬く間に経過するわけであるから、しばし思考がついて行かれぬ事によるものかとも思ったが、ただちにどうもそれだけでは無さそうだと思ったのは週末に咀嚼し尽くしたかに思われていた“現実”がまだ歯間に舌裏に挟まり残っていたからである。
 
 
 超未来志向社会の日本において古代へ思いを馳せるは文字通り逆行である。己が良いと思った物事に余計な手を加えずありのままを大切に愛でる事さえ停滞と呼ばれ、現状維持で、ひいては衰退だとはやされる超未来志向は伝統すらも淘汰していく戦車である。皆一斉に戦車の操縦士にならんと息巻く。時代の最先端にのみ宝があると言わんばかりに皆我先に前へ前へとがむしゃら突き進む。足元に咲く草花や転がる石には、それらが何処どこから来て、何時いつから在って、何時いつまで残るのかという事に気を配る事なく、無邪気に踏み潰しながら目の前にぶら下がる人参を追い掛ける。実に慌ただしい。
 
 ところがいくら私がそうした風潮に対して理解は出来ても納得は出来ぬと頑なであったにしろ、郷に入っては郷に従えという言葉に苦しめられるは私の方である。その苦しみを先週末に到頭体験として味わうに至った直後、本を開いて古代エジプトへ逃げ込んだはいいものの、いざ帰還してみると現実の骨格がなお鮮明に目に映って愈々いよいよ滅入ってしまった。
 
 人間しか発条ばねである。目一杯に滅入ってみると自然しゃがみ込んでいた脚がまた上へ伸ばされていく。滅入ってはみたものの、そうした世に生まれ付いた何十億と言う人間の中に一つくらい時代に逆行する個体があっても世間の邪魔にもなるまい、と結局いつもの答えに落ち着いてたちまち楽天家になる。
 
 人種と言語と文化はそれぞれ対等に結びつく。世界屈指の複雑さを誇る日本語を母語に持つ私の思考回路が複雑なのは仕方のない事である。それを隅々までしつこくつ芸術的に表現出来るのもまた日本語話者にこそなせるわざであるは、少なくとも漱石を読めば分かる。そうした日本語の速度で働く脳を持つ人種が築いて来た文化や伝統は、英語の様な速い言語速度を持つ文化圏の人間からみたら特異で、斬新で、魅力的である筈だのに、世界中が英語の速度で動いているから我々も見習わなければと慌てた挙句、元来の脳の処理速度が間に合わずに正常な判断が成されず、ただ亡霊からき立てられるように、歴史も伝統も振り払って猛然と未来へまっしぐらに暴走する様相は、少なくとも生きていれば解る。然らば視野も心も狭まる筈である。それが寂しい。
 
 
 再び膝から背筋迄真っ直ぐに伸ばした私は、下手に前向きな言葉を脳内に響き渡らせるでもなく、理想と現実の間で頭を抱えた事実を無かった事としいたずらに葬り去るでもなく、ただ改めて己を内観した。私がこれまでして来た事と、これからして行きたい事を目の前に並べて眺めた。するとあれほど世に愕然とし、その拍子に気を滅入らせた日の前と後で何も変わっていない事が分かった。ただ一時、過敏になったのみで、その実流れる時間の、経過していく人生の上では殆ど影響が無いとも言えた。
 
 いや、全く影響がなかったと言っては嘘になる。実際私は気を滅入らせた拍子にひずんだ過去と未来をぐにゃりと真っ直ぐにする様な間違いはしなかったが、それでも幾らかの要素は抽出して自分の思考回路の一部として組み込んだ。あるいは抽出した要素の正体こそ不明でも、機械油の如く差して思考の潤滑性を増す働きなら少なからずあった。そうした頭で再び五月を振り返った時、もう少しこういう事が出来るかも知れない、ああいう事を試せるかも知れないと、これは事件前の時点では冷静に思い浮かべられていなかった発想に至った。

 その内の一つにカフェ営業を宣伝する為の散誌チラシの作成があった。これまで着手せずに来ていたのは、端的に言えばSNSの過信であった様に思う。無論、常々そういう意識でいたわけではないが、振り返るとそんな気がする。そうかと言って散誌チラシは断固不要と思っていたわけでもないから、デザインや文言や写真の準備に対して生皮なまかわ心が働いていた事は最早頭隠しても尻が出ている状態である。
 
 さてそれでは満を持して散誌チラシを作ろうと向き合った時、私が苦手とするは商品を売り込む文言にあると気が付いた。毎週一度、それも三年以上文章を書いて来て今更何を言っているんだ、という意見は客観的にもあろうが大いに主観的意見でもある。いざ考えてみると良い言い回しが浮かばない。あろうことか良い言葉も浮かばない。此処で言う“良い”とは“一般受けが良い”を指す、すなわち潤滑油として脳内に足された要素であった。
 
 幾ら私がドイツの伝統的で日常的で極めて身近な味を提供出来るとしても、ドイツという国の国旗より他に知らぬ他人から見れば果たしてどんな特徴があるんだか皆目見当が付かない。これまでの私は恐らくこうした場面に、或る種、日本語の表現の豊かさにんぶして貰い、奥深さに抱っこして貰っていたのだろうと解析した。「伝統的で日常的」というフレーズの持つ可視化され得ぬ雰囲気と、響きの持つ印象イメージもっも装飾も咀嚼も出来たつもりでいたが、果たして私が同様に流行りのドラマの中の何某という主人公の好物という売り文句で紹介された食べ物に興味が湧くかと言えばなかなか難しかった。比較の例に安易に異なる国を用いなかったのは、何処の国の例であれ私の場合興味をそそられてしまいそうであったから、突拍子なくドラマを例にした事は断っておく。
 
 
 奏功そうこうして出来上がった散誌チラシは、矢張り自分の頭で考え自分の目で見ながら作っていた分、どうにも良い物の様に見えない。書かれた文言もどこか余所ゝゝよそよそしい。それでも一先ず形にはなったから印刷してみる。いざ印刷してみると形を持つ分、画面越しに見ていたよりも幾らか真面まともに見えた。これで何が変わるとも約束は無いが、六月に出店予定のイベントに散誌を携えていけば幾らかの宣伝にはなろう。SNSで届かぬ所へ一つでも声が届けばそれで今は十分である。
 
 
 土曜日、例の如く深夜からパンやクグロフの準備をし、朝になって配達まで済ますと午前の内に行われた小学校の運動会に顔を出した。ちょうど数日前に姪っ子からも「運動会見に来るか」と聞かれて「カフェの準備もあるから最後迄はいられないが」と条件付きで行くと答えたところであった。本人達からすれば大事な晴舞台である。
 
 私の母校でもある小学校の校庭は随分懐かしかった。そう思うと同時に生徒も運動会も随分小ぢんまりとしたなあと物寂しくなった。聞けば時短だの平等だのといった理由で得点板も行進も紅組も白組も省略されている様であった。また一つ日本の原風景の紛失を目の当たりにした気がした。私の目がこうしてゆがんでいても子供にとっては大事な場、姪も何処か恥ずかしげでありながら一生懸命である。手を振れば嬉々として振り返す。子供の頃の私にもあった、運動会でのみ味わえる感情が思い起こされて、何がどう作用したかは不明であるが午後のカフェ営業を頑張ろうという気持ちになった。
 
 
 くしてカフェ営業である。運動会を後にしてからやや慌ただしく準備したが、試作の散誌チラシも携えて時間通りに開店した。開店早々、一人の御客が飛び込む様に入って来てパンを買って行ってくれた。聞けば地方紙に載った記事を見てようやく来れたんだと言った。人伝に聞いて来たという人もいた。不断ふだん道の駅でパンを買ってくれているという人も来た。そうして其々それぞれに対してなるべく言葉を選んでパンやケーキの説明をした。
 
 罪や過ちを重ねながら、それでも自分の信条を守りながら今の自分に出来る事を積み重ねていく。そういう六月を送ろうと思う。
 
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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