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*35 最後の日

 先日から職場に一人の日本人が加わった。ドイツに越して来て未だ数カ月、偶然にも日本人である私の働く職場に出会い、願書を出し、そうして今に至る。その人の経歴や国籍も相俟あいまって私の「代役」だと加入前から騒がれていたが、職場内の事情もあり、なかなかそうも順調にいかなかった。
 
 それはそうと私はその人と働いている内に一つ妙に気になる事があった。「すみません」と「有難う御座います」の数がやけに多いのである。それらをしきりに言うのである。言うは良いが、恐らくその矛先に立つ私としては果たして何に対するすみませんと有難う御座いますなんだがてんで判然としなかった。例えば一日の仕事の内に一〇〇回ものすみませんと有難う御座いますを言うとして、其々それぞれの言葉が果たしてどの事象に対応しているんだか私が理解出来たものは二個とあればいい方であった。
 
 幾ら考えても理解に及ばず我慢の出来なくなった私はある日の帰り道、「そんなに私に対して懸命に謝る必要はありません。あなたは仕事で失敗もしていなければ、私も別段深々感謝される様な事は何もしていませんよ」とその人に問うてみた。その人は笑って「私の性格もあるかも知れませんが」と前置いて「ドイツに長くいて忘れてるんでしょう、日本ではそれほど珍しい事でも無いと思います」と言った。そうか、と思った。
 
 
 ベッカライ・クラインに身を置いて二年。到頭とうとうここで働く最後の一週間であった。私が引越し退職間近でばたばたとしているのもる事ながら、職場全体で見ても随分ばたばたとしていた。抜ける私が理由の一つではあるが、シェフの足が俄然思わしくないらしく、現場復帰は早くても三カ月後になるんじゃないかと言う話であったのも大きな理由である。それでアンディも至急オーブンの手順を、反対にルーカスは仕込みの手順を通常と入れ違いで学ぶ必要があるんだとトミーが私に説明してくれた。
 
 そうは言っても去り行く私が白い目で見られるような事は決してなかった。「八年もドイツにいたら屹度きっともうほとんどドイツ人になってしまったんじゃないか」とトミーが冗句ジョークを言って笑った。それに対して私は「あながち間違いじゃないよ。考え方や性格なんかは気付かない間に日本人との間にずれが出来ている様だ」と、すみませんと有難う御座いますの例を引き合いに出して説明した。
 
 そうして自分の過去を振り返る。見習い生であった頃の自分が幾重にも未熟に思われた。ドイツ語しかり、働きぶり然り、そんな事を思い返している内に不図ふと、当時勤めていたパン屋で私を良く気に掛けてくれていたマイスターに会いたくなった。そうして直ぐに連絡を付けると、向こうでも「喜んで」と何とか帰るまでに会う段取りを付けた。彼からドイツ語で数字を数えられる事を褒められたのを良く記憶している。最初の年のクリスマス前の時期であった。そんな私が今や製パンマイスターであるという事が彼の目にどう映るんだか楽しみである。

 このベッカライ・クラインで働き始めた二年前の私でさえ、幾らか幼く未熟者に思われた。八年前と現在を比較するとその語学力の差は歴然であるが、二年前と比べても上達しているかも知れなかった。それで言えば見習い生への指導をする中で、それまで以上のコミュニケーションが要されていたのが一つ要因であったかもしれない。
 
 そんな見習い生、マリオとクララも見習い生となって一年と経つが成長著しい。クララもマリオも同学年同士で入って来たわけであるが、矢張り女の子の方が男の子より成長が早いというものなのだろう、現在職場内の事情で見習い生でありながらほとんど製菓部門の柱となっているクララの落ち着きぶりは一年前から備わっていた様に思い返された。対して一年前のマリオは今よりもなお危なっかしかった。
 
 思い返して比較すれば五十代のルーカスとも見違える程に打ち解けた。彼が今、新しく加わった日本人に対して恐る恐る接しているのを見ると、二年前の私に対しても幾らかそういう風だった事を思い出した。それが今やしきりにちょっかいを出して来るのに始まって、先日の酒の席では「クリスマス会の時には工房の壁にスクリーンを垂らしてビデオ通話で日本から彼を参加させよう」と妙に舞い上がっていた。
 
 
 今週の水曜日に突然トミーから写真が送られてきた。彼の恋人がオーナーを務める衣料品店の壁に掛けられた私の絵の脇に花を飾った、という報告であった。この男も忙しそうな男である。恋人の店を手伝ったかと思えば、週末となると足繁くフリーマーケットに足を運び玩具だ何だを売り捌いている。つい先日も、店を閉めるという玩具屋から品物を山ほど安く仕入れて来たんだと、ぱんぱんになった車のトランクを見せてくれた。こういう多岐に積極的な男であったからこそ私の絵に初めて値段が付いたんだと思うと、この出会いも私に新しい経験をもたらしてくれた。

 アンドレが有給休暇から戻って来た。彼が休暇に入る前、「君が日本に帰る前に町で一度二人でビールでも飲もう」と提案してくれたのを私は覚えていた。また何カ月も前に「俺にも一枚、思い出に絵を描いてくれないか」と言ってくれたのも当然覚えていた。大柄な見た目の割に内気シャイなアンドレはいずれの場合も周りに他の同僚がいない時を選んで私に伝えて来た。それだから私も今週、周りに誰もいない時を見計らって「来週の何時いつが都合良いだろう。その時に君への絵も描いて持って来よう」と言った。内気な大男は「ああそんな事も言っていたなあ。そうしよう」と主導権を有耶無耶にしながら前向きであった。彼とも随分意気投合したものである。


 そうして私は最後の一日を迎えた。その金曜日の朝九時前、工房で働く同僚皆で休憩室に集まると私が持参したビールでもって乾杯をした。休みの入っていたトミーは、来るとは言っていたものの生憎あいにく都合が合わず来られなかったが、休暇中のマリオは私服姿で登場した。

 ビールを飲むついでに小さな贈物プレゼントとしてチョコレートとそれから御守りを「日本風の守護天Schutzengel使だ」と言って其々それぞれに渡した。集まってビールを飲んでいるからと言って、別段私との過去を回想する事も無ければ、しんみり別れを惜しむ様な空気でも無かったのは、ちょうど一年前に当時見習い生だったヨハンとの別れの日と同様であった。
 
 ビールを飲んでいる内に退勤時間を迎えたルーカスとは最後に抱き合って見送った。マリオやアンドレとは来週にまた会う予定をしていたから拳を突き合わせて見送った。製菓部門と私はまだ仕事が残っていたから工房に戻ると、しばらくして足を悪くして入院していた筈のシェフが工房に姿を現した。危なっかしく歩いて来るから私の方からも近付くと、抱き合って感謝の挨拶を交わした。そうして彼はまた帰って行った。シェフの両親も工房に顔を出し、最後の挨拶をしてくれた。「またドイツに来たら顔を出しなさい」と言ってくれた。
 
 若チーフのマリアが夫のベニーと私の元に来た時、彼女はすでにぼろぼろと泣いていた。先日行われた職場のバーベキュー会でした私の演説スピーチの時にも泣いていた彼女はこの日も、ひょっとするとその時以上に涙を沢山流していた。私は彼女ともベニーとも抱き合って挨拶を交わした。貰い泣きこそしなかったが、この職場に就職が決まった時、滞在許可の問題を抱えた私が彼女に電話越し泣きついた最初の日を思い出した。
 
 仕事の最後、すっかり私の持ち場と化したシーターを不断以上に念入りに掃除をした。機械であるから背も腹も判然としないが、背中を流した、と比喩るが感覚的には正しかろう。その掃除を製菓見習いのクララも手伝ってくれた。思えば彼女が入って来たばかりの頃、家でパンを焼くという共通の趣味で以て彼是あれこれと話したものである。そうして掃除を終えると彼女とも抱き合って別れの挨拶をした。

 私のドイツでの生活を文字に起こし堂々物語ってきているが、まさか私は褒められた様な人間じゃない事は私が最もよく理解している。恩を仇で返した事もあれば、人の優しさを無下にした事もあった。人との間に距離が生まれ、孤独の部屋に籠り机に齧り付いていた時でさえ、自分が自分の意志でコミュニティから離れ、孤独を選んだんだと胸を張るほどの意固地であった。相手の為に動いている積で、相手から見れば自分勝手と思われるほど人の気持ちに鈍感な男であった。それら全ての中心に己の信念が貫いて在ったからなおたちが悪かった。
 
 職場を離れる最後になって同僚からの別れを惜しむ言動は、実際社交辞令である可能性も否めないのが普通である。それだからこの日私が感じた気持ちが、文字の上では胡散臭く、また都合の良い綺麗事に映っても致し方ないという覚悟もある。その上で、こんなにも自分は、同僚達から、そしてこの職場から存在を受け入れられ、愛されていたのかと、これが愛されるという事なのかと、その輪郭さえなぞれるほどくっきりと強く感じた。私が職場を離れるという事で涙を流してくれる人がいたという事実は、ドイツ語もパンの事も何も知らず始まったこのドイツ生活の全ての瞬間において、製パンマイスター資格なんかよりよっぽど価値ある功績になった事だろう。
 
 
 酒の入ったまま仕事を終えた午後、日本へ送る最後の荷物を送った。何時しか面識のはっきりした職員から「あら、また来たのね」と言われた私は「これが最後の荷物になります。そう言えばその他の荷物はとっくに日本に着きました」と答えると、職員は驚いた様な顔で会話を続けた。手続きをしている間も何だ蚊んだと喋り、そうしてそれが済むと「気を付けて日本へ帰って下さいね」と見送られた。職場のみならずこの町からも受け入れられている様な嬉しさがあった。言葉の拙い外国人を哀れんだ道徳的な優しさにあらず、会話の出来る対等な住民として接されている実感が、自分の身に起こっている事の様に思われなかった。
 
 
 蓄積していた全ての疲労を取り去るかのように、その日の夜は用意していた酒も食事も取らないまま、死んだ様に十二時間と眠った。私もこれだけ長く眠れるんだという事に驚いた。頭と心がすっきりした一方、体は随分固まっていて痛かった。矢張り睡眠は好きになれないなと改めて確認した。
 
 昼になって大家が部屋に来た。約束を付けた日から随分長い間連絡を待たされていたから、ひょっとして私の事が気に入らないのだろうか、それとも何か失礼を働いただろうかと怪訝に思って心配していたが、その心配もこの日ですっかり晴れた。今後の手続きと日取りとを確認する。部屋の状態も問題ないね、と一通り見せた。そうして最後に、日本へ帰ってからはどうなさる御積おつもりと彼女の方から聞いて来たから彼是説明すると、最後には「日本でも頑張りなさいね」と背中を押してくれた。
 
 
 く婆ちゃんは私を見送る際、体に気を付けてという言葉と共に「人には嫌われないように」と言ってくれていた。その忠告をことごとく破りながら生きて来た自負のあった私は、この小さな町での生活に限っては見せても恥ずかしくないものになったと思えた。道徳的に優しくされたのではなく人間的に愛された有終の美である。
 
 終わり良ければ全て良し、と言って笑って無視できない過去の失礼失態もある。それこそ、すみませんでしたでは済まぬ程である。それでもこうした最後の日を迎えられた事実は人間として大変幸せであった。それこそ、有難うでは足りない程である。


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※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
  


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