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*42 クライミング

 カフェを開けてから小一時間、人影の出入りもなく私は椅子に腰掛けて壁中に敷き詰められた本を眺めていた。退屈という事もない。元来がんらい暇さえあれば―いや暇など無くとも―頭を必要以上に忙しく働かせる性分である。それでいて実のある研究考察を脳内で展開させるでも社会問題や人生の課題について整理するわけでもなく、ただ延々と取るに足らない彼是あれこれで夜に目が覚めてから晩に目を閉じるまで絶えず頭を働かせるのが私であった。それだから時として脳だけがひどく疲れる。そうかと思えば体を横たえて瞼を閉じても頭の中だけは騒がしい事も珍しくない。兎に角ぼうッとするを知らぬ頭である。
 
 本の背表紙を左から右、右から左へと繰り返し撫でる。こうしている間も背表紙を眺めているようで頭の半分は余所見よそみをしていたりする。本棚と本棚の間に大きく開いた窓硝子の向こうの景色は大変気持ちよさそうに日に照らされて明るい。これだけ天気が良くて客足がまるで無いのは、立地の不利を加味して考えても妙に思われた。屹度きっと先週の日曜の如く、余りの蒸し暑さに誰も外へ出たがらないのかとも考えた。あるいは梅雨にしてあまりに天気が良過ぎて気持ちの良い千載一遇の機会チャンスをもっと大切な物事に割きたいのだろうと、不特定多数の人間をぼんやり思い浮かべながら呑気のんきをしていた。
 
 まあしかしそんな日も無ければ世の均衡も保たれまい。一方が賑わえば一方はかんする様に世界は平等の筈である。今日はのんびり四時の訪れを待とうか知らんと、今度は手元に開いた本に目を落とす。一万冊以上の本に囲まれながら結局持参した一冊を読むんだから贅沢者である。それでも一万冊と並んでも、パスタを紐解いてイタリアの歴史を知ろうという主旨の本は一冊として無いんだから持参せねば仕方が無い。本との出会いは人間が本を選んでいるのではなく本が読み手を選んでいる、という迷信を聞いた事があるがこれはなかなか面白い視点である。私も選ばれた身である以上は一万冊の誘惑にそそのかされず真摯に向き合ってやるが道理である。
 
 
 文字を目で追っていると外で車の走る音がする。御客かと思い顔を上げる。車は過ぎていく。また目を本に落とす。これをしきりに繰り返している内、一息に読めないのに辟易とし本を一度閉じると、そこで不図、ドイツから日本へ戻ってから今日こんにちに至る迄を振り返ってみたくなった。厳密に言えば帰国を考え始めたドイツの、シュヴァンドルフの、シュレーゲル通りの、オレンジの、三階建ての建物の、屋根裏みた様な最上階の部屋の、寝室の、勉強机からの記憶である。
 

 ***
 
 今年も下半期に突入した。それと同時に私も日本へ戻って間も無く一年と経とうとしている。大人になるほど時間の体感速度が増し、一年があっという間に過ぎるという話は小さい頃から方々で耳にしたが、これが現在なかなかそうとも感ぜられていない。退屈している時の様な鈍行というわけでも無論無いが、そうかと言って特別に速いようにも思われない。ばかりか時にる月の最終週になって月初の出来事を思い返した時、随分遠い記憶の中の出来事の様に思われると同時に、それでいていまだに当該の月を過ごしている事に「一ヶ月とは随分長いんだな」と驚く事さえある。六月はまさにそれであった。
 
 
 帰国してからはまず日本の一年間を観察してみねばならない、という帰国前当初の目的は依然続いている。ようやく最終局面、夏のフェーズに入った。折々し四季を味わうも、年間の世の流れを把握するも意義の内ではあるが、何れも主旨とは言い難き副旨である。それ以外に実験と研究の要素を含んだ主旨すじが一本通って在り、皆迄は打ち明けぬが、その観点で言えば実験の内、手応えのあったものと改善を要するものとが判明し、特別実験とはせぬまでも想定通りに行った事もあればそうでない事もあった。こうした情報が肌で得られた事の大きさは傍目に見る以上に私で感じ、納得も出来ている。
 
 しかしこうして業績の類を振り返る以前に、或いは今の手応えや改善点の土台に、大きく予想を外した大前提が横たわっていた。そしてこれが予想外とは言え、嬉しい誤算であったから無視してしまうわけにいかなかった。
 
 寝室の勉強机に着いて帰国を企て始めた時、幾ら地元に戻ると言えど十何年も地元をからにしていたばかりか、地元に住んでいた学生時分でさえ此処を等閑なおざりにしていた私は、誰からも歓迎されず誰からも忘れられているを覚悟しておかねばならないと誓っていた。文字に起こすとやや大袈裟な見映えであるが、いや然しそこに偽りは無く、当時の私は確かにそう思っていた。それすなわ人脈コネクションに始まり、事業を始める取っ掛かりさえ無いものと、してや与えられる事など無いことと前提し、自らの手で絶壁にペグやハーケンを打ち込みながら登っていく必要があると腹を括っていた。
 
 ところがその当初の大前提を踏まえた上でこれ迄の十カ月を振り返ると、岩壁で彼方此方あちこちから伸ばされた手に掴まっている内にあれよあれよと体が引き上げられていく様であった。私は精々せいぜい掴んだ手には力を込め、岩肌に少しの突起を見付ければそこへ爪先をちょんと乗せて平行バランスを保つくらいなもので、ペグを荷物から取り出す事さえせぬ内に気付けばここまで登って来ていた。それだから時折、どうやってここまで登って来たんだか、血肉刺ちまめの出来ていない掌を眺めてはこれで良いんだろうかと不安を覚える。そして直ぐに、いや然し登って来れた事は事実なんだからこれは周囲の恵みに感謝をすれば不安がる必要も無い、と思い改める。そう考えた時、ドイツの勉強机からさらに記憶を遡り、マイスター学校、ドイツのパン屋、語学学校、ドイツへ向かう飛行機の中、宮大工見習いとして走り回っていた工事現場迄いってもいつも私は幸運に恵まれていた。周囲の人間にも恵まれていたし、環境にも恵まれていた。その果てに今があると思えば、人脈も取っ掛かりもあれよあれよと目の前に差し出されてきているのは何とも私の人生らしいと言えた。唯一取柄と呼べるものがあるとすれば私はこの運の良さに尽きると思う。これも彼是かれこれ何年と口にしているか分からぬ話である。

***

 そんな事を考えている内に一組の御客が来店した。それを皮切りに次々人が来た。始めの一時間鳴きっ放しであった閑古鳥も何時しか口をつぐんでいた。その御客との会話の中で、この週末が三連休であるを初めて知った私は、好天にも関わらずしずかだった理由が解った様な気がした。それにしてもリンツァートルテもビーネンシュティッヒも、食べた人皆に美味しさが伝わって嬉しい。
 
 
 翌日曜日には先月縁あって参加したイベントへ出店した。土曜と打って変わって雨模様だったからそれほど売れないだろうと控えめな量を準備して、車で五十分と離れた会場でパンを広げると、それでも大いに売れ残るを覚悟していたのであるが有難い事に結局ほとんど売り切れた。中には地元から私と同様に車で五十分と走って駆け付けてくれた御客も在って嬉しかった半面、その方の目星めぼしがって下さっていたキッシュが既に完売していて申し訳ない気持ちにもなった。何はともあれここでまた初めて会う人達にドイツのパンを知ってもらい、美味しいと評していただく事が出来た。自分の作った物が美味しいと言われて嬉しいというよりも、私が感じている美味しいが共有出来ている感覚が嬉しかった。
 
 本は読み手を選ぶ。大変魅力溢れる本に私が選ばれているとした時、私の前に差し出されてきた数多の手も私の焼くパンに選ばれていたのだとすれば、そのパンが大変魅力溢れるパンで在るは私の責任である。毎度同じ様に作っている筈のケーキもパンも、それだからその都度味見しておかねば安心して御客に差し出す事が出来ない。舌が肥えるが先か、腹が肥えるが先か。頭はまた忙しい。


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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