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*39 人生には何が起こるか分からぬ

 人生には何が起こるか分からぬ。いやこれを人生という枠組の中での観察結果とするのは人間のエゴである。世は森羅万象が交錯し、数多の紆余曲折が交織されあい今を作り上げている。生命の存在も物事の盛衰も畢竟ひっきょうその一部に過ぎないわけであるが、それでも矢張り個人の人生という枠組の中であるからこそ劇的ドラマチックに映る出来事もある。私の元に突如として出版社から電話があったのもまさにそれであった。
 
 
 一報は先週にあった。工房で作業している時に携帯電話らしい知らぬ番号から着信があった。誰か知らん、間違い電話か知らん、まあいずれにしても直ぐに済む用事だろうと軽い気持ちで電話に出た。
「もしもしN社の安部です」
 電話の向こうの女性が名乗った社名は有名出版社であった。そこで一つぴんと来た。つい先月、N社が企画した小説コンテストを偶然知った私は、これも何かの縁だと特に後先考えるも期待するもなく過去作を一つ応募した。
「先日はコンテストへのご応募ありがとうございました。」
 案の定である。態々わざわざ電話までくれて、さて大賞だろうか。
「厳正な審査の結果、ご応募いただいた作品は大賞とはなりませんでした」
 特に落胆もなかった。それよりも、ああ落選の通達も電話で行うとは律義なもんだと思って「そうでしたか」と返事をした。しかしそこから出版社の彼女は続けざまに私の作品を褒め始めたのである。
 
 構成、文体、表現、世界観に加え挿絵と、何よりこれ程のボリュームある作品を書き上げられる文章的筋力が素晴らしいと身に余る程褒めて下さった。また着眼点が実に的確で、私が意図して工夫した点であったりわざと配置した仕掛けについても評価して下さった。報われる、という体験は過去に何度かはあるが、こと文章や小説作品についてこれほどまでに報われたと感じた経験はこれで初めてであった。その大きな理由として、文学出版の世界に身を置く者からの直々の称賛であった事は、下手に風潮に乗じて取る大賞よりもずっと価値がある様に思われた。
 
 「出版に興味はありませんか」と誘われたのは一しきりの称賛を浴びた後であった。私は無論興味はあるが、その実どうして着手すべき事柄なんだか実態が分からないでいるから現実的にはまだ考えていない、と答えると、オンラインで説明の口を設けて貰う約束になった。それが今週の月曜日であった。
 
 
 指定されたURLからオンラインの会議室へ入る。画面にはN社の社名があり、また紹介された社長の名もベストセラーを記録した代表作も知っている名前であったから、全く凄いところから声が掛かったもんだと改めて驚嘆した。
 
 そうして一通り出版の工程、期間、費用等の話を聞いて、その上で今回は御断りした。パン職人としての本業との優先順位の話にもなる。それでも具体的な情報を聞けた事で自分の先の人生の中に前向きに出版という予定を組み込みたいと思うに至った。その際にも是非御力添えさせて下さいと担当の彼女は言う。そうして最後に、誰彼構わず電話をしてお誘いしてるんじゃないんです、と断りの挨拶があった。まあ冷静に考えて何千何万という応募の中で手当たり次第乱環ランダムに電話をするんじゃ無駄骨が過ぎるし、何より理由はどうであれ作品を的確に評価された事は嬉しいのに変わりは無い。どうせ自費出版するのであればN社の名を背負った本として出版したいと思った。
 
 
 さて本業の方はと言えば、やる事は先週と然程変わらない。その中でも例のリンツァートルテに使う酸塊スグリを、パンを出荷した早朝に地元の道の駅に見付けた。長野県が産地だと知った矢先、地元産が手に入るならこの上ない。そう思った私は昼になって、工房での作業にきりのついたところで道の駅へ向かった。朝は早過ぎてまだ開店前であったから昼に来ようと考えて道の駅を後にしたが、果たして昼まで残っているか知らんと運転しながら車中、不図ふと心配になった。
 
 道の駅へ着くと平日と言えど駐車場に車が沢山停まっていた。空も快晴である。地元に賑わいが見られるのは気の良いものである。
 
 農産物直売所の店内へ入ると、いつも納品時に顔を合わせる職員と目が合った。「御世話様です」と挨拶をすると「誰かと思えば」と頬笑んだ。直売所の正面入口から入るのは何時いつ振りになるんだか、朝に納品する時はいつも出荷者専用出入口を使っていたから、極度の方向音痴の私にはその入口が変わっただけで景色ががらっと違って見えた。それで朝酸塊スグリを見掛けたと思った所がぱっと見ただけでは分からずに、その職員に「何処でしたっけ」と聞くと、「彼方あちらですよ」とうながされた場所は確かに朝と同じ場所であった。朝、十以上もあった筈の酸塊スグリはたったの二パックにまで減っていて、私は迷わずその二つをレジまで持って行った。

 「これで何をするんです」と聞かれたから「ジャムにするんです」と言うと、そんな使い方があるんですねと言わんばかりの感嘆詞を職員は漏らした。聞けばこの辺りでは生食か果実酒にする場合が多いんだと言う。成程なるほど一般にジャムを見掛けないとは思っていたがそういう事なら納得である。こうした微々たる違いも食文化の片鱗である。

 さて早速ジャムにしてみる。パン作りにおいてはマイスターでも、ことジャム作りにおいてはドの付く素人である私は、ウェブサイトで見付けたレシピを参考にして恐るゝゝおそるおそる酸塊スグリに手を掛けた。
 
 房をばらすのに先ず手を焼いた。それから種を取り除くのにまた手を焼いた。参考にしたレシピでは事細かな説明もなされていなかったから、ヒントがあるとは言え手探りで進めていった。種をそうと思った時などは、種は金篩ふるいの網目を擦り抜けるし、代わりにまだ硬かった皮が格子のこちら側に残るしと、手で探るとは字の如くに格闘した。

 くしてジャムにはなった。もといジャムらしい姿には成った。まあジャム作りの経験に乏しいだけで、ジャムを見た事も食った事もある私は大体のジャムのあるべき姿は心得ているつもりである。瓶に詰めて逆様に引っ繰り返す。瓶に入るとますますジャムである。そうしてこのジャムは来週、一回り大きいリンツァートルテを焼く際に使おうと冷蔵庫にしまうと、代わりに先週取り寄せたジャムを取り出して小振りのリンツァートルテを作り始めた。

 土曜日、悪天も危惧されていたが幸いに空は晴れた。その好機を逃すまいと人がわっと外へ出たんだか、その日のカフェは大の付くほど盛況であった。よもぎを使った料理を振る舞うチームと合同であった事も間違いなく要因の一つであっただろう賑わいの御陰で、パンもケーキもほとんど売り切れた。例のリンツァートルテの解説も再三した。説明をしながらの販売は好きである。中には鬱陶しく思う御客もいるかも知れぬが、これはどんなパンであれはどんなケーキでというのを自分の口で説明出来る方が安心出来て嬉しいのである。
 
 また翌日曜日は山の上で開かれたイベントで出店した。朝から晩まで傘印のついていた天気予報とは裏腹に午前中はなんとか持った。御陰でパンも良く売れた。帰国してからもう八ヶ月とパンを売っている。幾らか私のパンとしてプレッツェルの名が出回り出している様子も伺えるが、少し地元から離れた場所で出店すれば当然まだ知らぬ人が多い。この日も私は幾度と無くプレッツェルの特徴と、私の経歴と、現在の活動について説明した。無論、辟易したと愚痴ゝゝぐちぐちしたいわけではなく、責任を持って説明が出来る安心感を味わっている。
 
 またこの日、初めてキッシュを携えて行った。元来はフランスの物であるがドイツでも食われる。結果的に全て売り切れて御の字であったが、その御客の内にフランス人の女性があった。「私はフランス人だから御免なさい、キッシュには厳しくなっちゃう」と言ってキッシュを選ばなかった彼女はプレッツェルを買い、隣で旦那は「僕はキッシュが食べたい」と一つ買って行ってくれた。その二人が暫くして再び店頭に姿を現すとフランス人の彼女の口から「キッシュ、とても美味しかったわ。生地もご自身で作っているの」と称賛の言葉がこぼれ、追加で一つキッシュを買って行ってくれた。それどころか、出店者側に立つ彼女らの方から、近々あるイベントでこのキッシュを自社製品と併せてセット売りさせて欲しいがどうか、との提案さえあった。

 矢張り人生には何が起こるか分からぬ。私の小説が出版社の目に留まった事も、私のキッシュがフランス人の口に合った事も予期していない出来事である。しかいずれの場合も、例の小説もキッシュも、作り手である私の方には確かに自信があったという共通点が見えた時、何が起こるか分からぬ人生の絡繰カラクリも少し解ったような気がした。
 
 結局午後になって土砂降りになった。この大雨に「人生、何が起こるか分からぬ」と思わぬのは畢竟ひっきょう天気予報士の御陰である。
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
 


◇出版社の方に褒めて戴いた作品◇

 

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