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ドイツパン修行録~マイスター学校編~

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製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な…
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*26 転がる石には苔が生えぬ

 何処となく浮かない気分の週末を切り抜けた後の月曜日の事であった。朝八時から始まった授業を態々(わざわざ)共同キッチンのテーブルに立てたパソコンを覗き込んで受けていると手元のスマートフォンに着信があった。知らない番号である。私の頭の中には外国人局だとか年金機構だとかの小難しい電話かもしれないという予感が働いて、あと五分で午前の休憩に入ろうかという授業を画面に流したまま電話に応えた。電話の相手は、とあるパン屋であった。  先週の内に一件パン屋から面接への招待をして貰った所であ

*25 カササギをただ待つよりも

 七夕という風物を意識して過ごしたのは何年ぶりだっただろうか。思い返そうと記憶に飛び込んで連想を試みても、ジョバンニとカムパネルラが天の川を旅するばかり(※1)で七夕の記憶は保育園生だった頃まで遡る必要がありそうであった。かと言って今週の七夕も果たしてどういう因果で思い起こされたのかまるで分からない。短冊を書くでも吊るすでもない私は、試験の後からの雇用を乞うメールや事務的な堅いメールを二三書く必要があったので、それを七夕の日に、余り面倒な未来を引き起こしてくれるなと願を掛けイ

*24 ダイナモライト

 実技試験を終え帰宅した私は同居人のトーマスと試験についてあれこれと話している内にとてつもない解放感に襲われ、居ても立っても居られない心持ちになっていた。暫く話し込んだ後、彼は実家のあるオーストリアに帰ると言うので、良い週末をと言って見送ると愈々下宿に一人になり、溢れる解放感に身を委ねた。  この解放感の正体というのは大勝負を終えた安堵でもあるが、それ以上に三ヶ月間続けた奮励からの解放であると直ぐに分かった。寝食を二の次に一心不乱に机に向かい、週末には狂ったようにケーキやパ

*23.5 結果報告と六月の回想

 ドイツに渡って初めの六ヶ月間語学学校でドイツ語を習い、その最後に満を持して当時の私にはまだまだ敷居の高かったB1レベル(※1)のドイツ語試験を受けたのだが、その際に、やるからには満点を目指す積だ、端から赤点基準さえ越えられれば良いという考えは理解が出来ないという意気込みを何の気無しに会話の流れで他人に話してみたところ、君は完璧主義でナルシストだねと評された事がある。成程、これを人はナルシストと呼ぶのかと、その聞き馴染みの無い表現に感心をしては目から鱗を零していたが、それで言

*23 身の程知らず

 私が一心不乱に勉強を進めていた間に、窓の外の景色はすっかり変わっていた。猫の目の如く忙しなかった天気は過ぎ去り、今度は三十度を越える太陽の光線でもって徹底的に我々を焼き付ける。オーブンや発酵室が稼働する工房の中ともなれば、さらに質の悪い暑さで身を内外から痛めつけてくるのであるが、そう言えば比較的からりとした暑さの夏ばかり経験しているここ数年の私が湿度の高い日本の猛暑の炎天下に放り出されたら、忽ち団扇代わりに白旗でもって暑さを凌ぎそうなものだと考えるに至った所で少々恐ろしくな

*22 フォーエヴァー・ヤング

 私が工業高校を卒業して十八歳で宮大工の会社に入社した時、初めて配属された現場の指導者が二十八歳であったと記憶している。自分より十歳年上だったその人はその年齢差が指し示す通りの、大人として、また現場指導者としての風格や貫禄があった。あれから十年が経ち、今では私が二十八歳であると気が付いた時、果たして今の自分に当時の彼の様な貫禄や風格があるかと自らに問うと、私自身が出した答えは否であった。無論、主観と客観では感じ方が異なる事など重々承知の上である。  これと同じ様な事が二十歳

*21 四の五の言わず

 一を聞いて十を知るが如くある程度の事は察し良く熟せるという自負のある私であったが、事勉学となると、ましてや我が人生に直結した物ともなれば、ドイツ語で見聞きした物を察したのみで満足して進むわけにはいかず、学んだ事を慎重に頭の中に詰め込んで、それを今度は落とさないようにこれまた慎重に歩みを進めていると、かつて要領良く仕事をしていた私が嘘のように思われ、またいくら私の歩みが遅くなろうとも当時と等しい速度で過ぎていく時間に否応無く焦燥感を抱かされるのである。まったく一筋縄ではいかず

*20 拙を守る

 この身体に覚えた違和感だか不具合は、或いはとうに先週末から始まっていたのかもしれないと思ったのは、週も半ほどに差し掛かった頃であった。  この間の日曜日の朝の事である。目を覚ますと部屋の灯りが煌々と私の目を眩しがらせて、それで私は昨晩電気も消さずに眠りに落ちた事を悟った。ベッドの上でスマートフォンを手に持っていた所までは記憶しているのだが、さてそろそろ寝るかという意識の起こる前に眠りに落ちたと見られる。  こんな不養生は久しぶりだ、と己の行動を省みた矢先の事であった。日

*19 生命の源たる

 私が今住むこの街は、寂れた田舎町と形容するのが最も相応しい平凡な街である。華やぐ繁華街も無ければ自然が豊かなわけでもない。教会も別段大きく聳え立つわけでもなければ、特筆すべき名物があるわけでもない。事に私は外国人と言えどミュンヘンという大都市から越して来た身であるから、両者のコントラストが否応無しに目に付くわけであるが、それでいて不自由を全く感じない程に今の私の暮らしは慎ましいものである。  世の中ではアウト・ドアが流行しているようであるが、私はイン・ドアを通り越してフロ

*18 ドイツパンの心臓に触れて

 虫の角と書いて触ると読んでみたり、日と月を並べて明るいと形容してみたり大昔の人の好奇心や感性には目を見張るものがある。尚且つそれが人々に共感を齎したんだか何だか今まで受け継がれてきている事実も、疑いの念が湧く程想像の追いつかないスケールの物語である。  また紀元前四千年のエジプトで穀物を石で擂り潰してそれを水と混ぜて粥状にし、それを熱した石で焼いたのがパンの始まりと言われているのだが、それで余っていた粥が自然と発酵してそれも焼いて食ってみたら酸っぱくて美味かったのがドイツ

*16 オーブンが無いとパンに成らない

 このシュトラウビングと言う街に越して来てからというもの、矢鱈と忙しない天気が目立つ。それも日毎に空の表情が変わるというのとはわけが違って、十分前に吹雪いていた景色が今はもうさっぱり晴れていたりするという様なのを一日中繰り返して、三寒四温を二十四時間の内に凝縮したが如くに晴れたり雨たり雪たりするのである。毎日では無いにしても既に頻繁である。それだから学校からの帰路で晴れていたと思っても、トレーニングを済まし、いざジョギングへと外に出ると、私を小馬鹿にする様に雨やら雪やらが舞っ

*15 馬に乗るまでは牛に乗る

 四月に入ると冬の影もすっかり無くなり、外を走る際の身支度にも衣替えを施し、また走っていると其処彼処で車のタイヤが交換されているのを見掛ける様にぽかぽかとした日が続き、この街もすっかり春の訪れを両の手に迎え入れたと思ったところに雪が降った。朝起きてキッチンにミルクを取りに行くと、窓の外の景色がすっかり薄らと白んでいたので、普段は天気に殆ど無関心な私もこれには驚いた。それで学校に行き更衣室で二人きりになったクラスメートにまた冬に戻ったねと話し掛けると、それを最後に先生からも生徒