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月刊コグマ#8 アイス評論会

夏も真っ只中。

毎年のことなのだが、「去年と違うことは何なのだろう」と考えてみるとそうだ、アイスを食べたと。

例えば、巨峰×カルピスの爽を食べたり。梨の味も良かった。あれは毎年の定番という感じがするが。

他にも初めてチョコミントの味のアイスを食べたのだが、あのスースーとするミントの感じとチョコの甘味、パリパリ感が相まって美味しかった。

サクレレモンというアイスも食べたのだが、あれも良かった。レモンの輪切りが入っていた気がする。あのガリガリとした氷の食感とレモンの爽やかな香りが忘れられない。

途端にアイス評論会を始めてしまった。けれど、本当に久しぶりのアイスだったので美味しいという気持ちが強かったのだろう。熱中して書くことが出来て良かった。

まぁまだオープニングトークなのだが。

やはりアイスは美味しい。

友達

友達っていいなぁと久しぶりに思った。
心置きなく話せる仲っていいなぁと思った。

先月の終わり頃、オープンキャンパスのついでに仲良くさせてもらっていた人達の家へ向かい、家の写真を撮り、LINEへ送りつけるという遊びをやっていた。

時期も時期。勉強に励んでいたり療養をしていたりで顔を合わせることは無理だろうと思っていたので、ふるさとにお邪魔をするということだけ伝えて各々の家へ向かっていた。

案の定、会うことは出来なかった。何か寂しくなって、会えたら良かったなぁと思って、まだふるさとに行くと伝えていなかった友人に伝えてみる。

「今からピンポンしに行くっていったら会えるかな?」

答えは「無理」(こんなシンプルでは無かったが)

そうだろうと思っていたので、すこし拗ねた感じで「はーい!」と送って涼むために近くの小さなショッピングモールに寄った。

星野源の持ってないCDやライブDVDを見ているとスマホが通知した。
無理と答えた彼が来るらしい。なんか嬉しい。

出会うまで少し迷い、入り口近くの椅子に座っていると聞き慣れた声、久しぶりの声が。
そこからは隣に座って近況や何処に進むのかなどを話していた。
しかし、自分は話のネタがある方じゃないので、会話は延々とは続かない。

それでも久しぶりに会えたってそれだけで僕は気分が良かったし、そのときの雰囲気も懐かしい感じがして良かった。

その後、また別の友人に会いに行き消してしまったLINEを貰い、家に帰った。

結局、ふるさとにいた時間は2時間程しか無かったがそれでも楽しかった。
友人、友達という存在がとても嬉しいと思った瞬間だった。

切ってしまったものは戻したくても戻せないけれど、戻そうとすれば戻るんだなと思った。会えたら、の話ではあるのだが。

帰る時はやはり寂しくなってしまって、駅にいるときに少しうるっときてしまった。それ程この町に愛着がわいていたんだなと実感する。

またいつの日にか、行けたらいいと思う。そして、大切な友達に会えたらいいと思う。


海に行こう

海の写真が撮りたい。

ふとそう思った。夏らしいことをしたいと思い、そういえば海に行ってないなと。久しぶりに海に行きたいなと。

そこで近くの海水浴場を探してみると、三保というところが出てきた。
三保…三保…そうか!三保の松原の三保か!
ならば行くべし!となったのが土曜日の夜のこと。

そして日曜日、行こうとは思いつつも腰が上がらない。気づいたら9:30になっていた。これはまずいと服に着替えて駅に向かった。

そこからなんやかんやあって気づいたら13:00に。乗ろうとしていた水上バスに乗り、いざ三保へ!

とっても優雅な旅だった。波に揺られて海を眺めるなんて過去にフェリーに乗ったぶりで。

15分もする頃には三保に到着。バスが着くところは「港」といった感じではなく、海の上に作りましたといった感じだったので曲がればすぐ海。

動画を載せることが出来れば、海の音とお届けしているのだが…

その後、近くの水族館と自然史博物館が一緒にある東海大学に行き、

魚の写真だったり
化石の写真だったり

を取って、もう大満足。せっかく来たんだしと思い家族にちょっとしたお土産を買い家に帰宅。
ちなみに、自分用にペンギンの絵が書いてある栞を買ったのだがそれがとても使いやすく愛用している。可愛い。
ペンギンはいなかったのだが。

思っていた以上に濃い1日だった。家の外に出て良かったと久しぶりに思った。


Friend Ship

中学3年間と高校の3年間。時間で考えれば4年間ではあるが、その6年間。部活に熱中したと大いに言えると自分は思う。

楽器を吹くのが好きだ。楽器は自分の気持ちを音にして乗せることが出来る。自分のイメージを溶け込ませることが出来る。

初めましては望まない出会いであった気がする。花形に憧れていたから。花形がカッコいいと思っていたから。
けれども、選ばれたのはチューバという楽器。

いざ、吹いてみると「楽しい」という気持ちが生まれる。こんな大きい楽器を自分は操っているのだという優越感。低音にもあるそのカッコよさに惹かれたのかもしれない。

高校生になり、ソロコンに出ようと決心し練習を重ねた。苛烈といっても過言はないと思う。けれど、結果は銅賞。それは自分の練習方法が良くなかったとも足りなかったとも取れるが、要するに下手だったのだ。

自分が出来る最善の練習をしてきたつもりだった私はそこで心のどこかがポキッと折れて、その苛烈さを失くしてしまった。それでも自分が悔しいと思い、見返してやると感じるその気持ちがあっただけで良かったと思う。

楽しいと久しぶりに思うようになった。いい結果を、ということに熱中しすぎて楽しいと思う心を忘れてしまっていたんだなと。もちろんスイッチを入れるところは入れるけれど、ラフになるところはもっと緩くやっていこうとそこで思った。

吹奏楽に、楽器に、チューバに、本当に熱中したと自分は大いに言える。とても青いことを言っている気がするが。

多分、もう吹くことは無いのかもしれないけど、いつかまた会えるかな。と胸に期待を抱いて。


オープンチャットを探る

オープンチャットって面白いんだということを今年の4月頃に感じ、複数のオープンチャットに参加させてもらっている。

一口で言えばあそこは色々な意見の交流場だ。毎日のように沢山の情報が飛び交っている。面白かった話や疑問質問。ときには恋愛相談だってある。人の楽しいと思ったことや悩みをその日々の中で見れるということが面白い。

しかし、LINEといっても一つのアプリ。沢山のところに入っていれば挙動がおかしくなってしまうこともある。

ある日、ふとLINEを開いてみるとオープンチャットに一つの通知が。こんなことは日常茶飯事なのでそのチャットを開き、すぐさま閉じる。しかし、通知が消えない。

「バグったのか…」

とにかく何度開いてもコメントは更新されないし、通知の表示も消えない。一回抜けてまた入り直そうと思いグループ名も確認せずに退会してしまった。

よしもう一度、と探してみるも全く見つからない。グループのジャンルは分かっていても、入っていたオープンチャットが表示されない。探せど探せど出てこない。

そこまでになってくると「あぁ楽しかったな」とそこのオープンチャットの思い出が頭を駆け巡る。こんな話があった、あんなお悩みがあった。30分が経つ頃には自分も諦めて別のことをしていたのだが、やはり気になる。

再度探してみる。下の方に下の方にスクロールしてみると見たことのあるアイコンが。名前もこんなだったような気がする。

そう、やっとこさ見つけることが出来たのだ。とても嬉しかった。失くした宝物をみつけたときのような感覚だ。

これからはしっかりと名前も覚えておこうと誓った日だった。


記憶

誰かの記憶に残れたら良いなと思う。記憶の片隅に今もいるなら嬉しい。そんな人になりたいと思う。

人は毎日生活していく中で色々な情報を取り入れているので、記憶を留めておくことは大変なことだと思っている。特に人との会話なんてそうだ。興味があるものなら覚えていられるが、全く持ってそんな気がないと半日でも少し歩いただけでも忘れてしまうだろう。

僕の中にも顔は思い出せるのに名前が出てこなかったり、反対に名前は思い出せるのに顔が出てこない人は多くいる。大好きだった人も時間が経てば記憶の中にある笑った顔が、本当にこれだったか?と疑問になる。

それがとても悲しい。今すぐその人のところにいって顔をしっかりと見た後に抱き締めたくなる。

絶対に忘れないと誓いたいがそうも言えないのが脳のしょうがないところなのかもしれない。

けれど今でも小さい頃の過去の記憶を思い出すことが出来るのは脳がそのときの映像をしっかりと片隅に記録していてくれているからだと考えると妙に感慨深いものがある。

出来れば、悪い印象じゃなく良い印象として誰かの記憶に残れば良いのだが。いろんな意味で悪目立ちしていたので少し心配だ。

それで言うなら、この月刊だって誰かの記憶に残るかもしれない。そういえばこんなの書いてたやつがいたな、と思い出してくれるかもしれない。

思い出すことが出来るのならまだまだ忘れたわけではないと思う。それこそ記憶の片隅に残っていたと言えるのではないか。そう考えると面白いなと思う。記憶の引き出しとはよく言ったものだ。

人の記憶は計り知れない。どこまで覚えていけるのか。その記憶の引き出しのどこか片隅にいれたらと願うばかりだ。


スカート

エロを綺麗に表現できる人は凄いと思う。エロは下ネタなわけであまり公に話さない下世話げせわな話だと思っているのでそもそも話すのに躊躇ためらいがある。当たり前な気もするが。

変に細かく少しずつ考えていることを出すからいけないのだろうか。いざ話すとなればおもいっきり。そのときの流れにのって話すべきなのかもしれない。

自分を卑下する傾向にあるため自分には程遠い話だとは思っているがやはりシてみたいという気持ちはある。どんな風になるのかも想像がつかないが。誰としたい、とかそういうわけではなくただただ吐露するように。

人を好きになるときは、恋愛をしているときは気持ちが頭に浮かぶことは無い。だが、好きな人がいないときや、夜にカップルが2人で歩いている姿を見るとふっと漏れ出てくる。

これは悔しさなのだろうか。羨ましいと思う気持ちなのか。寂しさもあるのかもしれない。心の拠り所の代わりとしてS◯Xしたい!と叫んでいるのかもしれない。
(言ってしまった…)(規制かかりませんように…)

高校生で童貞を捨てている人は何人いるのだろう。そんな統計があったら面白いのだが。

話は変わるが、初体験のことを歌詞にしている歌がある。それが「スカート」という曲だ。歌詞の一部分にこのようなフレーズがある。

「何もない日々よ スカートの中に入れて
痛みを預けて 春に手を振る」

初体験を「春」という言葉で表現しながらイメージをさせることが出来ることに凄いと感じた。それでいてアコースティックの落ち着いた雰囲気が休日感を醸し出していて暖かい日差しも感じられる。この子はどうだったのだろうか。何を感じたのだろうか。

下ネタがもたらす笑いには不快感を感じるものもあるが、結局笑顔にしてくれるものもある。自然と笑顔になってしまう。こんなくだらない話でも自分はまだ笑うことが出来るんだと気づくことが出来る。それがとても嬉しい。

クソみたいな話で大笑い出来る今をもっと楽しもうと思う。さて今日はどんなビデオをみようか。


まとめ:夏の終わりとセミの鳴き声

気づいたらセミの鳴き声が聞こえなくなっていた。よく聞いていたあのうざったい声も無くなると寂しいものでもう少し聞いていたかったと今は思っている。

アブラゼミやクマゼミたちの鳴き声が終われば次はヒグラシの季節だとばかり思っていたのでヒグラシの声を聞く前に終わってしまった感じがしてとてもさみしい。

それに加えて最近は急に寒くなってきたように感じる。特にこの29日からの1週間は心地よい風も吹いていて寒くなってきたなと実感している。

この時期の風はどこか心を掴んでくるようなセンチメンタルな風が吹いていて、少しうるっときて、本当に大好きだ。

今までは18時も明るい時間帯だったのだが、今ではもう真っ暗で驚いた。時間の流れは早いと強く感じた。

夜が長いから9月は長月というとかなんとか。これも気づいたら秋風に手を振る季節になっているのだろう。

なんというか、夏の終わりをひしひしと感じる。

それにしても内容が薄すぎるのは気のせいだろうか。正直、もっと色々な体験を今月はしてきたと思っていたのだが、自分の考えることを話した出来事の方が多かった気がする。まさかエロに手を出してしまうとは。ネタ切れも良いところだと思う。エロの話をしているときはネタ切れなんだなと思ってもらえると嬉しい。

それでは、次回は出来るだけ20日前後に出せるよう頑張ります。
ではでは!!

トリケラトプス
クエ
そして船


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